港町の喧嘩

 初めて体験した海を楽しんだユウは満足し、波打ち際から離れた。冷えた手をこすり合わせながら今しばらく海を眺めると踵を返す。石畳の岸壁に戻ると斜面を伝う小径こみちを登った。


 そろそろ登り切り、東門の検問所が見えそうというところでユウは異変に気付く。誰かが走ってくる足音を耳にしたのだ。立ち止まって様子を見る。


「なんだろう? うわっ!」


「ちょっ!?」


 坂の上を見上げた瞬間、ユウの目の前に人が飛び出してきた。とっさに浅黒い肌の男だとはわかったがとりあえずはそれだけだ。


 思わずユウは右手の草の生えた土手に転がって避ける。背嚢はいのうが背中を変に打ち付けて息が詰まるが、何とか一回転して立ち上がった。


 一方、飛び出してきた男は空中で体の均衡を崩すと、地面に足を着いてすぐに坂道を転げ落ちていく。


「何あれ?」


「おっしゃマヌケが転んでやがる! ぶちのめすぞ!」


「おお!」


 土手の下で倒れている男を見つめているユウは、次いで追いかけているらしい男たちの声を土手の上から耳にした。そちらへ顔を向けると、今度は2人組が土手を駆け下りていくのを目の当たりにする。


 再び土手の下へと顔を向けると、転んだ男は立ち上がったところで2人組の男たちを見て目を見開いていた。そうして砂浜の方へと逃げようとする。しかし、起き上がるまでにかけた時間は致命的だったらしく、2人組の男たちに捕まった。


 取り押さえられた日焼けした男が叫ぶ。


「言い寄って来たのは女の方なんだぞ! なんで俺が責められなきゃいけないんだ! 男なんていないって言ってたのに!」


「だったらなんで逃げるんだよ!」


「んな言い訳通用するかぁ!」


「こっちの話を聞こうともしないでいきなり殴っ、ぐはっ!」


 1人が背中から羽交い締めにして、もう1人の男が日焼けした男を殴り始めた。取り押さえられた男の方は暴れるが、戦いに関しては素人らしく拘束から抜け出せないでいる。


 そのうち人が集まってきた。喧嘩は娯楽の1つらしく、集まってきた男たちが中心の3人をはやし立てる。


 そのうち土手の上からも人がやって来た。その中の1人の中年が土手の半ばでぼんやりと見学しているユウに声をかける。


「兄ちゃん、ありゃ何の喧嘩だい?」


「どうも女の人を取られたとかって言ってました。殴られている方が取ったらしいんですけど、なんか女の人の方から言い寄って来たって言ってましたよ」


「ふ~ん。お、ありゃリッキーじゃねぇか。まぁたあいつかぁ」


「え? 常習犯なんですか?」


「おぅよ。あいつ見た目がいいから女にモテんだよ。それで、喧嘩が弱いくせにあっちこっちの女に声をかけるもんだから、いっつも殴られてやがんだ」


「それじゃ、女の人から言い寄って来たっていうのは?」


「半々だな。本当のこともある。けど、あいつに女を取られたことのある奴はちらほらいるから、そんなことを気にする奴はこの辺にいねぇなぁ」


「うわぁ」


 あんまりな話にユウは引いた。わずかにあった同情心も消えてなくなる。


 しかし、のんきに他人と話をしていられるのもそこまでだった。3人を中心に話が進んだらしく、リッキーに指差されてわめかれる。


「あいつのせいで俺はこんなひどい目に遭ったんだ! 責任取って俺に加勢しろぉ!」


「言いがかりじゃないか」


「あっはっは、まったくだ。けど、周りの連中もすっかりその気になっちまってる。残念だが行った方がいいな。喧嘩して負けただけならすぐに忘れられるだろうが、ここで逃げるとずっとバカにされ続けるぞ」


「最低な街だ」


「そう言うなって。ここじゃ喧嘩も娯楽の1つなんだよ。みんなを楽しませてやれ」


「おじさんだってその1人でしょうに」


「あっはっは、その通りだな!」


 横で楽しそうに笑う中年の男から目を離してユウは周囲を見た。野次馬たちは大半がユウへと目を向けており、口々にはやし立てている。中年の男のいうことに嘘はなさそうだった。ため息をついたユウは不機嫌そうに土手を降りる。


 野次馬が輪を解いた所からユウは例の3人へと近づいた。そうして背嚢を地面に下ろすとリッキーに向き直る。


「ほ、本当に俺と戦ってくれるのか?」


「うるさい!」


 話しかけられたユウはいきなりリッキーの顔を殴りつけた。吹き飛んだ日焼けした男は顔を手で覆って地面を転がる。


「誰がお前なんかのために戦うもんか! 自分の後始末くらい自分でつけなよ!」


「へぇ、言うじゃねぇか。俺もそう思うぜ。おっと、そう睨むなって。オレはダリル、ダチの手助けをしてただけだよ。テメェ、見ない顔だな? 名前は?」


「ユウ。昨日ここに着いたばかりなんだ」


「なるほどね。そりゃ災難だな。さて、2対2でやるはずだったんだが、そっちのリッキーはありゃダメだな。これで2対1になったわけだが」


1対1サシでやってやれよ、コラァ!」


「うるせぇな! 今言おうとしてたんだよ! おい、ジャック、お前さっきあいつを散々殴ったろ。ここはオレに任せてくれよ。消化不良なんだ」


「だったらオレはもうちょっとあいつで遊んどくぜ」


 ユウは完全に置いてけぼりにされた状態で物事が決まっていった。気分は最悪である。


 周りと話を付けたダリルがユウに向き直った。そして構える。


「ワリィな。運がなかったと思って諦めてくれ。この街じゃ珍しくねぇんだ」


「やっぱり最低な街だ」


「そう言うなって!」


 話ながら距離を詰めたダリルが殴りかかってきた。実に楽しそうな笑顔である。最初から右拳を全力で振るってきた。


 体を沈めながら一歩前に出ようとしたユウは瞬時に退く。尚も踏み込んでくるダリルに対して、更に退きながら左拳で牽制した。半円を描いて立ち位置を入れ替える。


「お、やるなぁ。大体は最初ので一発いいのを入れられるんだが」


「そういうのは一通り喰らったことがあるからね」


「見かけによらず喧嘩慣れしてるってことかい。いいねぇ!」


 更に機嫌が良くなったダリルが踏み込んだ。同時にユウも前に出る。


 互いの距離がほとんどなくなったところで打ち合いが始まった。ダリルが右のフックで仕掛けると、ユウが上半身を後ろに逸らしながら右脚でローキックを放つ。それを左脚で受けつつ踏ん張ったダリルが左拳でジャブを返すると、ユウが右腕で受け流す。


 近接しての真っ向勝負に野次馬は湧いた。派手な喧嘩はウェスポーの町では好まれる。最初から全力勝負を仕掛ける2人に大きな声援が送られ、一発当たる度に歓声が上がった。


 顔に痣を作った2人が一旦離れる。真冬だというのにどちらも顔が上気していた。


 地面につばを吐いたダリルが口元をつり上げる。


「思った以上だな。こういう傭兵ならこの街はいつでも大歓迎だぜ」


「僕は冒険者だよ。傭兵じゃない」


「はは、どっちでもいいや。強い奴なら誰だってな。さぁもう1回やろうかぁ!」


 嬉々として突っ込んで来たダリルに対してユウは両拳を肩の辺りまで上げて待った。そうして拳を警戒していたところへ左脚を蹴り込まれる。当たった瞬間、膝を折って体を地面に倒し、1度転がってから立ち上がった。


 もちろんそれだけでは終わらない。ダリルはすぐに間合いを詰めてくる。ユウもそれに合わせて前に出た。再び打撃戦、と思いきや、ダリルが放った右腕をユウが両手で掴む。


「なっ!?」


 目を見開いたダリルが右腕を引き戻そうとした。ユウはそれに合わせて右半身をダリルに向け、自分の右足で相手の右脚を払う。体を引くために重心を左脚から右脚に移していたダリルは耐えられずに地面に尻餅をついた。そのままユウは流れるようにダリルの腹に乗って相手の上半身を地面に押しつける。


「どうします、降参しますか?」


「ふざけんな! オレはまだ、ぶっ!」


 降参の意思がないとわかった途端にユウはダリルの顔面を殴りつけた。最初は右拳、次いで左拳で頬を打つ。相手の目から闘志が消えていないので今度は顎を打った。


 最初は大いに暴れていたダリルだったが、顔を殴られる度にその抵抗は弱くなっていく。そして、ついには白目を剥いた。


 ダリルが気絶したことを確認したユウは立ち上がる。うるさいまでの歓声が周囲から浴びせられた。リッキーの方を見ると地面に転がって動かない。ダリルの友人ジャックがため息をついていた。


 殴られた痛みに顔をしかめるユウがジャックに声をかける。


「そっちはどうなんです?」


「終わったよ。あーあ、あいつ派手に負けちまいやがって」


「これでもう帰っていいんですよね?」


「まぁな。こいつどうすんだ?」


「知りませんよ。赤の他人ですし」


「そーだったな」


 不機嫌な顔で答えるユウを見たジャックが苦笑いした。そうして、興奮冷めやらぬ野次馬に適当に答えながらダリルを担ぐ。


 ユウも背嚢を背負うと、体中の痛みに耐えながらその場を後にした。

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