どこまでも広がる大きな水たまり

 冒険者ギルド城外支所の建物からユウが出たとき、六の刻の鐘が鳴る音が町の中から聞こえてきた。日没まであと少しとあって周囲はかなり薄暗い。


 店じまいする城外支所の建物を尻目にユウが周囲を見回すと、城外支所の両脇はどこも飲食店か酒場だった。その建物の脇にはいくつか小道がある。


「ちょっと入って見ようかな」


 興味の湧いたユウはふらりと1つの小道に入った。人通りは多くないが道が狭いので往来しづらい。その道の両脇には小さな店がいくつも軒を連ねていた。そのどれもが木造で、潮風にやられたのかあちこちが傷んでいる。


 白い息を吐いてゆっくりと歩くユウは店の中をちらりと覗き込んで回った。どこも席の数は多くないが大体半分程度が客で埋まっている。そしてどこからも、空腹を刺激するような臭いが漂ってきていた。


 生唾を飲み込んだユウは目に付いた店に入る。2人用の小さな四角いテーブルが3つにカウンター席がいくつかのあまり大きくない店だ。カウンターの奥には厨房がすぐ見える。


 背嚢はいのうを下ろしたユウはカウンター席に座った。そこへ老店主が近づいてくる。


「何にする?」


「エール、パン、それと、魚入りスープと焼き魚はありますか?」


「焼き魚はあるよ。でも魚入りスープってのはないね。海鮮入りスープならあるが」


「海鮮? なんですかそれ?」


「知らんのか? そうか、内陸から来たんだね。海鮮ってのはだな、海で獲れた魚、貝、海藻なんかを煮込んだスープなんだよ」


「へぇ、いくらするんです?」


「鉄貨で20枚だね。焼き魚と同じだよ」


「安い! レラの町だと30枚以上したのに!」


「そりゃ隣が海だからね、当然さ」


「それじゃ、海鮮入りスープにします!」


 思わぬ朗報にユウは顔をほころばせた。厨房の熱気で強ばった体がほぐれていくことで更に表情が緩む。


 焼き魚は注文を受けてから老店主が焼き始めたが、エール、パン、海鮮入りスープはすぐにユウの元へ届けられた。


 今日一番の注目の品に目を引きつけられたユウは、早速木の匙を使って白濁した海鮮入りスープをかき混ぜる。橙色の線が入ったかけらや濃緑色の海藻らしきものが木の皿の中で浮き沈みした。それに合わせて湯気と共に香りが鼻をくすぐる。


 最初に木の匙でスープをすくったとき、中は白濁したスープのみだった。ユウはそれを口の中に入れる。熱いスープが舌の上に広がり、わずかな固形物が溶けていった。魚入りスープのときとは違い、複数の海鮮の味が絡まって複雑な味が口の中を満たす。


 魚のみとは違う海の幸の味にユウは震えた。次いで橙色の線が入ったかけらをすくって食べる。肉とは違ってさっぱりとしつつも弾力のある歯ごたえが楽しい。更には濃緑色の布のような一片を口にする。わかったようなわからないような感触と味だった。


 すっかり気に入ったユウは何度も木の匙ですくっては口に入れていく。途中でパンを注文していたことを思い出し、ちぎってはスープをすくって食べた。すべてなくなった頃にはすっかり満足した様子でため息をつく。


「へい、お待ち。焼き魚」


 まるで食べ終わるのを見計らっていたかのように、老店主がカウンターの裏側から焼き魚の載った皿が差し出した。串を刺されて塩を振りかけられた焼き魚は香りを湯気で舞わせている。


 木製のジョッキを一度傾けたユウは串を手にするとためらわずにかぶりついた。猛烈な熱気が口の中に溢れて口から離す。顔をしかめつつ酒で口の中を冷やしてから、今度は慎重に囓った。


 最初の感想は、川魚と同じ味というものである。小首をかしげながら更に噛むとやや塩気が強いように思えるが、海の魚だからなのか塩のせいなのかは判断がつかない。前に食べたことのある白身の魚が実は海にもいると言われても納得してしまいそうだ。


 何度か食べてみると、小骨が少ないことに気付いた。レラの町で食べたときは口の中がちくちくとしたが、この魚にはそれがない。それが海と川の差なのかやはりわからない。


 それでも旨いことには変わりなかった。途中で考えることを諦めたユウは味だけを楽しむことにする。別にどんな魚だろうが何ら不満はないことに気付いたのだ。


 焼きたての熱さに苦労しつつもユウは酒を舐めながら焼き魚を少しずつ食べていく。寒い冬に熱い料理を食べるのは至福だ。


 残るは骨だけとなった魚を皿に戻したユウは幸せな息を吐き出した。しばらくぼんやりと空になった皿を見つめた後、木製のジョッキを呷って残った酒を飲み干す。


 体の内側が温かくなったユウは席を立つと背嚢を背負って席を立った。




 翌朝、ユウは安宿の寝台で目覚めた。ウェスポーの町の東門から延びる白銀の街道沿いにある1軒である。寝床は今までのものと大差ないが宿泊料は更に高かった。


 特にやることのなかったユウは日の出と共に寝台から立ち上がる。大部屋の中にいる旅人の数はまばらだ。背伸びをしてから寝台に座り直し、周りをぼんやりと見ながら干し肉を噛み、水袋の先を口に含む。


 食べ終わると再び立ち上がって背嚢を手で持ち上げた。裏手に回って用を足し、それが終わると安宿の前に立つ。


「ん~、今日も寒いなぁ」


 雲が多めの空を見上げながらユウは白い息を吐いた。故郷よりいくらか息が白くなりにくいようだが、それでも体感での寒さに違いはあまりない。


 ウェスポーの町の東門から東へと延びる白銀の街道には往来する人が多い。旅人、行商人、荷馬車の御者台に座る商売人、貧民の人足、馬に乗った指揮官と兵士などを見かける。


 その中に、随分と日焼けした厳つい風貌の男たちが何人かいた。いずれも弛んだところが見当たらず、精悍な顔つきの者ばかりだ。一見すると裏家業の人々にも見えるので近寄りがたい。


 しかし、それだけ特徴的な風貌にもかかわらず、ユウにはどんな仕事をしている者たちなのか想像できなかった。それだけに、興味をそそられる。


「どうせやることもないし、ちょっとついて行ってみよう」


 当面のやることを決めたユウは日焼けした男たちの後を追った。近づいて気付かれると厄介なので見失ってもいいくらい離れておく。


 その5人の男たちは東門の検問所近くまで歩くと、手前で街道を逸れて南へと曲がった。水堀に沿ってそのまま歩いて行く。


 続いてユウが男たちの曲がった所までやって来ると、南側に顔を向けた。何もないと思っていた地面には踏み固められた小径こみちがうっすらと延びている。


「こんなところに道があったんだ。あ、ということは、もしかして海に行ける?」


 小径を見て感心していたユウは目を見開いた。川には散々入ったことはあるが、海はまだ触れたことがない。


 目を輝かせたユウは小径へと足を踏み出した。白い息を吐きながら足早に歩く。途中からは下り坂となり、斜面にあるわずかなくぼみを踏みしめて下りて行った。目の前に広がっていた濃く青い色の海が近づいてくる。


「うわぁうわぁ」


 港の東の端に出たユウは目の前の光景に声を上げた。見渡す限り水平線の彼方まで水しかない。初めての風景にしばらく呆然とする。


 雄大な光景に心奪われていたユウは、何かいつもと違う臭いがすることに気付いた。少し湿気っていて、それでも雨のときとは違う臭い。後に磯の香りと知る空気をこのとき初めて感じたのだ。


 満足げな白い息を吐いたユウは右を向くといくつもの船を目にした。水や海の上に浮かぶ木の建造物という話は前に聞いたことがあるが、こちらも実際に見るのは初めてである。


 何歩か歩いて船に近づこうとしたユウだったが、あちこちに厳つい顔の男たちがいることに気付いた。白銀の街道で見かけた男たちと風貌が似ている。


「あの人たち、もしかしたら水夫だったのかなぁ」


 立ち止まったユウはぼんやりと仕事に励む人々を眺めた。


 しばらくして反対を向くと、途中で港として整備された石の床が途切れて砂浜が奥へと広がっている。そして、その先に小さい集落の様なものがあった。


 一通り見て満足したユウは次いで砂浜へと降りる。最初は足を取られてふらついたものの、すぐに慣れて波打ち際へと近づいた。


 寄せては引く波をユウは口を半開きにして見る。誰も動かしているわけでもない海の水が動いているのが不思議で仕方なかった。


 やがて好奇心を抑えられずにユウは海に近づき、寄ってきた波の一部を両手ですくって舐めてみる。


「ぺっ、本当にしょっぱいんだ!」


 話を聞いたときにはそんなものかとしか思わなかったことを体験したユウは叫んだ。しかも予想以上に塩味がきつい。水平の彼方まである水の塊が全部塩辛いなどと知って動けなくなる。世の中のことを何も知らないと実感した瞬間だ。


 ユウは改めて水平線へと目を向ける。体が冷えるのも構わずにそのままじっと見続けた。

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