レラの町の夜

 レラの町は中継拠点の町だ。北へと進めば領都であるトレジャーの町に着き、南へと進めば港町であるウェスポーの町に着く。また、4つの街道の起点であり終点でもあった。なので、必然的に商売が盛んになる。


 西端の街道を進み境界の川を渡ったユウがたどり着いた町はアドヴェントの町よりも大きかった。辺境でも西の端にある町と人の集まる町を比べることがおかしいのだが、それでもより活気のある町を見て呆然とする。


「すごいな、これがレラの町なんだ」


 町の東、西、北の3ヵ所から街道が延びているが、そのどこにも貧民街が連なっていた。街道沿いには貧しい旅人や商売人のための安宿や安酒場が並んでいる。ただ、西側だけはすぐ境界の川にぶつかるので城壁と川の間に貧民街が広がっていた。


 西門の検問所近くに背嚢はいのうを背負ったユウがぽつんと立つ。


「うーん、今日はどうしようかな」


 空を見上げると相変わらずの曇り空だったが、その雲が暗く見えにくくなっていた。日没はそう遠くない。


 次いで周囲を見た。船着場から西門までの短い街道沿いの南側は原っぱだが、北側は店が軒を連ねている。そして、船着場と西門の中央辺りに小道が延びていた。ちらほらと壁に火を点けた松明たいまつを掲げる店が増えてきている。


「今日はもういいや!」


 背嚢を背負い直したユウは小道に入った。狭い道は大体人で埋まっており、その両脇は飲食店が軒を連ねている。歓楽街の騒々しさと何とも知れぬ料理の香りに包まれていた。


 並ぶ店の風貌はどこも似たようなものである。あちこちが傷んだ木造の店舗はアドヴェントの安酒場街と似ていた。なので、どの店に入ればいいのかわからず延々と歩く。


 境界の川沿いの歓楽街の北端が近づいて来た。さすがに引き返してもう1度選ぶのは面倒だったユウは、思い切って手近な店に入る。店内は広くないホールにいくつかの丸テーブルがあり、調理場との仕切りにカウンターが設えてあった。


 ほぼ埋まっている丸テーブルを横切ったユウはカウンター席の隅に背嚢を置いて座る。重い荷物から解放された体が弛緩した。


 緩んだユウに対して、中年の給仕女が声をかけてくる。


「いらっしゃい。何にする?」


「ここじゃ何が食べられるのかな?」


「そりゃ酒と肉と魚に決まってるさね」


「魚?」


「ああ。ビギャットの町から魚の干物が入ってくるから、それを使った煮込みスープが売りさ。肉とは違った油は口に合ったら病みつきになるわよ。それと、そこの境界の川で捕れたものなら焼き魚もあるね」


「そうなんだ。それじゃ、その魚の煮込みスープと焼き魚、後はパンとエールをください」


「毎度。銅貨1枚用意しておいておくれ」


 にっこりと笑った給仕女が踵を返してカウンターの奥へと入っていった。女の大きな声でユウの注文が調理場に響く。


 懐から革製の巾着袋を取り出したユウはトレジャー銅貨を1枚摘まみ上げた。何年も慣れ親しんできたこの銅貨もしばらくしたら使えなくなる。


「はい、お待たせって、銅貨なんて見て何してるんですかい、お客さん?」


「え? ああいや、もうすぐ領外に出るんですよ。それで、この銅貨ももうすぐ使えなくなるんだなって思って」


「だったらここで使い切ってくれたら嬉しいね。あたしらはこれからも使うんだからさ」


「はは、確かに。はい、これ」


「毎度」


 手渡された銅貨を握った給仕女は笑みを浮かべたままユウの元を離れた。


 目の前に料理が残されたユウはそれらに向き直る。魚入りスープと焼き魚は湯気と共に魚油混じりの香りを放っており、鼻腔から空腹を誘った。


 生唾を飲み込んだユウは一番気になっている焼き魚を手にする。木の棒を差し込まれた魚は何と言うのか知らないが、以前川で泳いでいるところを見かけた気がした。それが所々焼けて良い香りがしている。


 ユウは一口囓った。塩が多めに振られているせいかしょっぱい。噛むと白身がほぐれすり潰れていく。ときおり細長い針のようなものが口の中に刺さるが、焼き魚の囓り口を見て小骨だとわかった。構わず噛み砕く。


 干物の魚は何年か前に1度食べたことのあるユウだったが、釣ったばかりの魚は今回初めて口にした。魚がこんなに柔らかい食べ物だと知って目を剥く。また、肉とは違ってあっさりとしているのでいくらでも食べられそうだった。


 すっかり気に入ったユウはひたすら焼き魚を食べ続ける。背骨は食べられないかと噛んでみて涙目になりながら諦めたり固くなった尻尾で口の中を切ったりと色々楽しんでいた。やがて食べられる身がなくなる。


「ああ、なくなっちゃった」


 骨と頭と尻尾だけになった魚を見ながらユウはつぶやいた。とても残念そうな表情を浮かべる。


 しかし、視界に入った魚入りスープを見たユウは気を取り直した。次はこれである。


 一見すると魚入りスープは普通のスープと違いがないように見えた。肉入りスープのときも同じだが、とろみが付くまで煮込んでいるせいもあって油は浮いていない。


 木の皿に入ったそのスープをユウは木の匙でかき混ぜた。濁ったスープには肉と違って魚の身がほぼ入っていない。いや、溶けてなくなっているというのが正しいのだろう。


 湯気立つスープを木の匙ですくったユウは口に入れた。すると、野菜だけのスープよりも濃厚で肉入りよりかはさっぱりとした味が口内に広がる。しばらく目を見開いたまま口を動かしてから飲み込んだ。


 初めての味にユウは呆然とする。じっと木の皿に入ったスープを見つめた。まだたっぷりとある。もうひとすくいして口に入れた。わずかに残る魚の身と共にその風味が口の中を満たす。


 次いでユウはパンを手にした。先の方を小さくちぎってスープにひたす。すくい上げたパンにスープが乗っているが見た目は見慣れたものと同じだ。それを口に入れる。


「お、これは」


 先程までは感動の連続だったユウは口の中の感触に感心した。魚入りであっても充分においしいことを知る。それからはパンをちぎってはスープにひたして口に入れ、たまに木の匙でスープのみを楽しむことを繰り返した。そのせいで魚入りスープもすぐになくなる。


 だいぶ腹の膨れたユウは一息ついた。木製のジョッキをたぐり寄せると口を付ける。ここでようやく今晩初めてエールを飲んだことに気付いた。食器を見るとすべての皿は空だ。


 ちびちびと木製のジョッキを傾けながらユウはホールへと目を向ける。現地の人足が半分と残りは商人や旅人っぽい者たちが丸テーブルを占めていた。冒険者や傭兵のような風体の者はいない。


 会話の内容は大して聞き取れなかった。訓練をしたわけでもないユウには単語を拾うのがせいぜいだ。それも今日の出来事や知らない誰かの悪口などが大半である。たまに商売や戦争の話が耳に入ったが部分的すぎてよくわからなかった。


 木製のジョッキを空にしたユウは立ち上がる。背嚢を背負ったところで脇を給仕女が通り過ぎようとしているのが目に入った。背中が見えたところで声をかける。


「あの、今晩泊まる宿を探したいんですが、どの辺りに行ったらありますか?」


「そうだねぇ、ここからなら北門辺りの方が近いんじゃないかね。西門辺りよりも宿屋は多いし、どこかしらに潜り込めるはずだよ」


「ありがとうございます」


「そうそう! 街道沿いのところから探した方がいいよ。裏手だと安いけどその分怪しい連中が寝泊まりしてることが多いから危ないしね。安全を買いたいってんなら明るいところにしときな」


「はい!」


 礼を述べたユウは笑顔で店を出た。既に日は暮れており、壁に掛けられている松明や往来する人の持つ明かりを頼りに北へと向かう。しばらく飲食店街が続いていたがすぐに宿屋街に変わった。一見すると普通の安宿街だが、往来する人々は何となく怪しく見える。


 満腹の腹を抱えたユウは周囲を見ながら泊まる場所を探した。しかし、給仕女の言葉を聞いたせいか、境界の川に近い安宿に泊まる気になれないでいる。


 散々迷ったユウは結局境界の街道へ一旦出ることにした。北門を出てすぐの所から西側に傾いている街道の端周囲を見る。東側へと延びている干物の街道にも宿は並んでいた。


 真冬の夜ともなると人通りのある所であっても寒い。食事でせっかく温まった体が徐々に冷えていく中、ユウは境界の街道沿いにある1軒の安宿に入った。木造の大きな家屋で大部屋型の見慣れた宿屋である。


「1泊したいんですけど、空いてますか?」


「レラ鉄貨で30枚だよ」


 トレジャー銅貨を渡して釣り銭を受け取ったユウは空いている寝台を探した。まだ1人しか横になっていない寝台を見つけ出してその脇に背嚢を降ろし、外套と鎧を外す。


 大きなため息をついたユウは寝台に横になると外套を体にかけて目を閉じた。

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