初めてのよその町

 灰色がかった白い雲が一面に広がる空の下、寂れた街道を複数の荷馬車がまとまって進んでいた。緩やかに南東へと続く街道の北側は森、南側は丘陵で、いずれも地平の彼方まで続いている。


 その景色に変化が現れたのは、その荷馬車集団の旅が終わる前日だった。北側の森がついに開けたのだ。以来、そこからは広い平原が続く。


 荷馬車集団の最後尾を進む荷馬車の荷台に黒目黒髪の少年が荷物に挟まれるようにして座っていた。薄汚れたチュニックと白麻のズボンを革のベルトで締め、その上から胴鎧、籠手、脛当てという簡易の軟革鎧ソフトレザーを身に付けている。腰には巾着袋や水袋だけでなく、刃物類もぶら下げていた。


 膝の上に乗せた槌矛メイスを力なく握っていた少年はぼんやりと過ぎ去る風景を眺めている。もう何年も前に初めて故郷から出たときと代わり映えしない風景だ。


 一定の速度で進んでいた荷馬車の歩みが緩やかになる。体に与えられる揺れの変化に身を震わせた少年は外套で身を包んだ。同時に大きなあくびをする。


 しばらくすると荷馬車が停まった。それからすぐに遠くで人の話す声が耳に入る。悩ましい表情をしていた少年は白い息を大きく吐き出すと立ち上がり、荷台から降りた。革のブーツが土を噛む音を気にすることなく前へと進む。


 垢抜けない中年が御者台から降りてきた。近づいてくる足音へと顔を向けると口を開く。


「ユウ、なんだ眠そうな顔をしてるな。もしかして寝てたのか?」


「まさか。起きていましたよ。いくら暇でも仕事は怠けたりしません」


「他の奴の言葉なら信用できないんだが、お前は真面目だからなぁ」


「馬鹿にしてますよね?」


「とんでもない! 最高の評価だぞ」


「ところで、どうして停まったんですか?」


「渡し船待ちの行列に並んだからだよ。境界の川に着いたんだ」


 中年の男が指差すはるか先に川らしきものが街道を横切っていた。


 手をかざしてその先を見るユウが中年の男に尋ねる。


「カールさん、西端の街道ってあんまり人通りがなかったはずなのに、どうしてこんなに人が並んでいるんですか?」


「川向こうにあるレラの町に用がある連中がそれだけ多いってことだ。俺たちのような商売人だけじゃなく、周りの村の奴らも多い。まぁ、アドヴェントの町からはるばるやって来る奴らなんて滅多にいないだろうけどな」


「これ、結構時間がかかりますよね?」


「今日中に町に着いたらお慰みだな。レラの町の船の数はそんなに多くないんだ」


 両手を腰に当てたカールが軽く笑った。理由を聞いたユウは白いため息をつく。


 川に橋が架かっていない理由はいくつかあった。大きく分けて3つあり、技術的な問題、利権的な問題、そして軍事的な問題だ。


 技術的な問題というのは、単純に橋を架ける土木建築技術が不足しているということである。そのため、大河ほど橋を架けることができない。


 利権的な問題というのは、渡し船を営む渡し守ギルドの存在だ。河川の運搬を押さえるこのギルドと敵対すると物流が止まってしまう。


 最後に軍事的な問題だが、これは橋の有無で町や領土を守る難易度が大きく変化するということだ。いつ攻められるかわからない世の中なのでこの点は無視できない。


 こういった理由から川には大体橋は架かっておらず、要所には必ず渡し船がある。ただ、この渡し船が便利なのかと問われるとそうともいえない。往々にして需要と供給を無視して自分たちの都合を優先するのだ。今、ユウたちが並んでいるのもそれが原因である。


「こうなるともう待つしかないな。ところで、ユウはコンフォレス王国まで行くんだったよな?」


「はい。その先どうするかはまだ決めていませんが、とりあえずはそこまで行く予定です」


「となると、トレジャー銅貨で報酬を渡したらやりにくそうだな」


「冒険者ギルドで両替すればいいんじゃないですか?」


「あー、その考え方は正しいんだが危ないな」


「どういうことです?」


 微妙な言い回しにユウは首をかしげた。その様子を見てカールが苦笑いする。


「例えばだ、今ユウが持ってるトレジャー銅貨をトレジャー銀貨に両替したいとする。レラの町なら領内だから当然できる。なら領外はというと、ウェスポーの町でもできる。けど、ティンクラの町より東ではできないんだ」


「コンフォレス王国ではできないんですか。あれ? それならどうしてウェスポー共和国だと両替できるんですか?」


「あそこは自国で通貨を発行しない代わりに、トレジャー通貨とコンフォレス通貨を使ってるからさ。逆にコンフォレス王国は自国の通貨があるから、よその国の通貨を基本的には使わないんだよ」


「そうなると、コンフォレス王国に行ったら今僕が持っているお金は使えなくなっちゃうんですか?」


「金貨は大丈夫だ。そのまま使える。銀貨は為替レートがあればそれに沿って両替できるよ。ただ、なくても銀の含有量によって交換できる。ちょっと損はするけどな。でも、銅貨はダメだ。使える町で使い切るか、物に交換するしかない」


 重要な話を聞いたユウは目を見開いた。曖昧な知識で思わぬ落とし穴に落ちかけるところだったことに気付いたからだ。


 肩をすくめたカールがにやりと笑う。


「こういう通貨かねの話は俺たち商売人にとっちゃ基本的なことなんだが、他の奴は結構知らないんだよな」


「僕もはっきりとは知らなかったです。町の中の商店で倉庫管理をしていただけなんで」


「まぁ外からやって来る商売人とやり取りしなきゃわからんわなぁ」


「今の話だと、銀貨はどうにかなりそうですけど、銅貨はよく考えないといけませんね」


「その通りだ。旅人の中には宵越しの金は持たないなんて剛毅なことをする奴もいるそうだが、後先のことを考えながら旅をするんなら通貨の管理はきっちりとするべきだぞ」


「ウェスポー共和国でトレジャー銅貨とコンフォレス銅貨の交換ってできますか? あの国は両方の通貨を使っているんですよね?」


「いいところに目をつけたな! 確かにあそこならできる。冒険者ギルドなら無料で交換できるんだろう? だったらそこでうまく乗り換えるんだ」


 機嫌良くカールはユウにしゃべり続けた。まるで弟子や息子に語りかけるようである。


「そうそう、ユウは冒険者だから毎度日銭を稼ぎながら旅をするんだよな。だったら、その場で生活する分と旅先で使う分を考えながら、ちゃんと報酬を受け取るんだぞ」


「その町で使える通貨ばかりもらうと次の町で使えなくなるし、逆もあるということですね」


「そうだ。俺みたいに限られた範囲内だとあんまり気にしなくてもいいが、諸国を巡るとなるとこの辺りは面倒だぞ。金貨や宝石に換えられるだけ稼げたらあんまり気にしなくてもいいかもしれないが」


「はは、今の僕じゃ夢物語ですね!」


「そうだな、冒険者だもんな!」


 2人して大笑いした。笑い終わった後のユウの表情は少し悲しげだったが、すぐに笑顔を浮かべる。


 その間にも列は少しずつ動いていた。ある程度前の列が進むとカールは荷馬車の御者台に乗って馬を操る。先客が止まると馬を止めた。


 荷馬車に合わせて隣を歩くユウにカールは顔を向ける。


「それにしても、今ここを出るって選択は正しいかもしれんな」


「そう思いますか?」


「戦争なんてしたくないって思うんなら逃げるのが一番だからな。傭兵なら喜んで参加するんだろうが、冒険者は違うんだろう?」


「まぁ。知り合いで喜んでいた人はいませんでした」


「だろうな。まぁ、戦争が終わるまでの間だけでもどこかに逃げた方がいいな。今の戦況はトレジャー辺境伯爵に不利らしい。戦士ギルドの連中は最初から引っぱられたらしいが、今じゃファーウェストの町辺りの冒険者も戦場送りになってるって聞くしな」


「ファーウェストの町って東部の町ですよね。その話は僕も聞いたことがあります」


「だろ? しかも、あの辺りは敵軍に荒らされてるから難民がいろんな所に逃げるし、辺境の街道が封鎖されたせいで食料品なんかの物価も上がり始めちまった。あー言ってて嫌になってきたな。俺もどっかに逃げようかね」


「ここからならウェスポーの町ですよね」


「そうだな。ちょうどお前と同じ経路なわけだ。うまくやったな、ユウ」


 褒められたユウは苦笑いした。実のところ今回の経路は仲間に教えてもらったのだ。なので素直に誇れない。しかし、カールの言葉だけでも真剣に便宜を図ってくれたことがよくわかる。


 結局、その日の夕暮れ時になってユウたちは渡し船に乗れた。境界の川の旅は短時間で終わり、すぐにアドヴェントの町以外で初めての町にたどり着く。


 その後、荷馬車の護衛が終わったユウは報酬をもらってカールと別れた。支払いには銀貨を融通してもらう。今のユウには何よりの心付けだった。

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