別れを告げる人々(中)
今まで夜明けの森に入ったり街道を巡回することはあったユウだが、あてのない旅というのは初めてだ。なので、そのための準備は入念にしておく必要がある。
今年も残すところあとわずかというところで、ユウは武具屋『貧民の武器』へと足を向けた。年季の入った木造の建物に入ると、武器や防具がひしめいている棚を通り過ぎてカウンターの奥に座っているホレスに近づく。
「こんにちは、ホレスさん。僕は来年この街を出て行くので、武器と防具を見てもらえませんか?」
「そうか」
カウンターの上にユウは自分の武器と防具を置いた。
最初に
「こいつは別に問題ねぇ。きれいにしてりゃいつでも使える。ダガーと
「ありがとうございます。何も言わないんですね」
「根無し草なんぞ、いつどこにいくかなんてわかりゃしねぇもんだ。いちいちなんか言ったりなんざしねぇ」
「そうですか」
「それより、お前、ナイフは持ってるか?」
「ナイフですか? いえ、ダガーがあるので買ってませんけど」
「金があるんなら買っとけ。ダガーがナイフ代わりに使えるのは知ってるが、それでもダガーは戦うためのもんだ。食い物の油を染み込ませて錆びさせることはねぇ」
「なるほど、そういうことでしたら」
「この肉厚のやつなら、いざってときには武器にもなる。銅貨10枚だ」
「結構大きいですね」
「刃渡りは15イテックある。チンピラの持ってるおもちゃなら相手になんねぇ。護身用として持ってても誰も怪しまねぇから常に持っとけ」
しゃべりながらホレスが1本のナイフをカウンターの上に置いた。
銅貨10枚をカウンターの上に置いたユウはナイフを手に取る。刃渡りはダガーの半分ほどだが、重厚な姿は素手に比べれば頼もしく感じた。
ナイフから目を離すとユウはホレスへと顔を向ける。
「ありがとうございます」
「ダガーは手入れもしておいてやる。俺にできるのはそれくらいだな。明日取りに来い」
カウンターの上にある武具を手にしたホレスはそう言うと店の奥に姿を消した。
ナイフを鞘にしまうとユウは踵を返す。そして、棚の品を見ることなく店を出た。
武具についての心配がなくなったユウが次に訪れたのは道具屋『小さな良心』だ。かなり傷んだ木造の家屋に入ると、積み上げられた商品のせいで狭苦しい店内を進んでカウンターの前で立ち止まる。
「こんにちは、ジェナ」
「おやまぁ、ユウじゃないか。今日はまたさっぱりとした顔をしてるじゃないか」
「そうですか? 今日は旅をするときに必要なものを揃えに来たんです」
「旅? あんた、旅に出るのかい?」
「はい。年が明けたら出発するつもりなんです。ですからそれまでに準備しようかなって」
「へぇ、とうとう行っちまうんだねぇ。まぁ、若いもんが同じところでじっとしてるってのもつまんないものだからいいんじゃないか。で、行き先なんかは教えてくれるのかい?」
「あーそれが、行き先ってあってないようなものなんです。何しろいろんな所を見て回りたいっていうのが目的なんで」
「そりゃまた壮大だね。でもそうなると、長旅に備えなきゃいけないわけかい。ふむ、何がいいだろうねぇ。裁縫道具はこの前買ってもらったし、火口箱や袋はもう持ってるんだよね。ああ、あんた、料理道具は持ってるかい?」
「料理道具ですか? ナイフなら持ってますけど」
「それじゃ切ることしかできないじゃないか。ぱっと思い付くのは、鍋、おたま、まな板だね。そのくらいは持っておいて損はないよ」
しゃべりながらジェナは椅子から腰を上げて店の奥に消えた。少し間を置いてから口にした料理道具を抱えて戻って来る。
「ほれ、こんなのがいいんじゃないかい。この鉄製の鍋はあんまり大きくないけど、荷物として常に持ち歩くんならこの大きさが限度だね。おたまとまな板は木でできた物だよ。これで旅先でも人並みな物が食えるってもんさ」
「干し肉を食べられたそれでいいと思ってました」
「何日かくらいならそれでもいいんだろうけどね、何週間も何ヵ月も干し肉ばっかりだと絶対に飽きちまう。そうして我慢しきれずにそこら辺の野草をむしって食べちまって死んじまうのさ。そうならないためにも、煮炊きできる道具は持っていくんだよ」
「あ、はい。いくらですか?」
「銅貨7枚だよ。ああそうだ! まだあったよ。ちょっと待ってな」
再び店の奥に姿を消したジェナが今度は木の皿2枚と木の匙4本を持ってきた。カウンターの上に置いてからユウの前に差し出す。
「これも買っていきな。せっかく作っても、これがなきゃ食べられないからね」
「おたまで直接鍋からっていうのは確かに」
「ひひひ、ちょいと恥ずかしいねぇ。真っ当な人に見えるよう取り繕うのも大切だよ。追加で銅貨1枚だね」
苦笑いしながらユウは革袋から銅貨を差し出した。それから料理道具と食器を手にする。
「ありがとう。これでいい旅ができそうです」
「そりゃ良かった。つまんないことで死ぬんじゃないよ」
上機嫌なジェナがユウに言葉を贈った。
ユウはうなずくと踵を返す。手にした品物を落とさないように慎重に歩きながら店の外に出た。
道具を一旦宿に持って帰った後、再び市場に戻ったユウは露天商の並ぶ道を歩いていた。その中でも居並ぶ露天商に埋もれるように座っている人物に声をかける。
「シオドア、こんにちは」
「やぁ、ユウじゃないか。森に入るのに必要な物を買いに来たのかい?」
「必要な物を買いに来たのは確かなんだけど、森に入るためじゃないんだ」
「おや? ということは街道の巡回なんかかな」
「それも違う。僕、年が明けたら旅に出るんだ。それで必要な薬を買っておきたいんだ」
「なんと、旅に出るのかい!」
ローブで表情がわからないが口調は明らかに驚いていた。そして、興味ありげにユウへと尋ねる。
「どこへ行く気なんだい?」
「それが、特にあてはないんです。ただ、いろんな所を見て回りたいと思ったんですよ」
「あてのない旅か。いいじゃないか。旅先で何があるかわからないのが楽しみだよね」
「シオドアは旅をしたことがあるの?」
「そんなにいいものじゃなかったけどね。どちらかというと、流れ流されと言った方が正しいかな。それを旅だというのなら確かに旅をしたことはあるね」
「いいことはなかった?」
「全体的に見て楽しいものじゃなかったけど、いいことも悪いこともどちらもあったよ。でも、ユウは自ら望んで旅をするんだよね。だったら私とはまったく違うものになるさ」
口元にわずかな自嘲を浮かべたシオドアは一旦言葉を切った。それに対してユウがなんと返答しようか戸惑っていると、口調を明るくして話題を変える。
「さて、私のことはどうでもいいか。それより、何か必要な物はあるかい?」
「旅先に必要な薬について教えてほしいんです。前にいくつか買いましたけど、あれで足りるのかなって思って」
「ユウは何の薬を持っているんだい?」
「動物系と植物系の解毒薬、痛み止めと腹痛止めの水薬、後は虫除けの水薬、あとはそうそう、傷薬の軟膏ですね」
「それじゃ必要な薬は一通り持ってるんじゃないかな。細かいのを勧めるのならいくらでもあるけど、薬師じゃないならそれで充分だよ」
「そうなんですか。あ、虫除けの水薬は空っぽだった! 今あります?」
「あるよ、いくら必要なんだ?」
「中瓶で3つください。それと悪臭玉もほしいな。もう残り少ないんだった」
「考えれば出てくるものだね」
言われるままに品物を出すシオドアは楽しそうに受け取った代金を懐にしまった。次いで小さなため息を漏らす。
「それにしても、とうとうきみもここを去るか。随分寂しくなるね」
「他にもいいお客はいるんじゃないですか?」
「頼めば薬草を採ってくれるお客なんてそうそういないよ。薬の買いっぷりもいいし、何より薬草と薬の知識がある。得がたかったよ」
「ありがとうございます。僕もシオドアに薬を調合してもらえて良かったですよ」
「あれで喜んでもらえたら何よりだね。それと、旅先では色々とあると思うけど、あまり重く受け止めないようにね。あてのない旅をするなら尚更だよ。気持ちが沈むと前に進めなくなるから」
「はい、わかりました」
「どこか腰を落ち着かせるところを選ぶんなら事情は変わってくるけど、どうせなら明るい理由で定住地を探す方がいいね。ともかく、楽しい旅になることを祈ってるよ」
「ありがとうございます。それでは」
薬を抱えたユウは礼を述べると体の向きを変えた。これで最後になるが態度はいつも通りである。
しばらく見えていたユウの背中はやがて雑踏の中に消えた。
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