市場の声
暦の上では既に夏とはいえ、人々が名実ともに夏だと感じるのは降臨祭の後だろう。ちょうど夏至の日と重なることから体感とも一致しているからだ。
アドヴェントの町にやって来てから7度目、町の外に出てから5度目の祭ともなると、ユウもあまりやることがない。祭の雰囲気を肌で感じて楽しむだけという年寄りみたいなことに早くも馴染んでしまっていた。
この地方としては1年の間で夏だけ広がる青空の下、
「最後は泥酔亭に行くとして、先に回れるところを回っておこう」
方針を固めたユウは最初にシオドアのとこへと行った。必要なものを買って雑談を済ませると市場を東へと歩く。すると、様々な料理の匂いに混じってあの独特な香りが漂ってきた。市場の東西の境目にあるスープの出店、スコットのスープ屋だ。
店頭に大きな鍋を出し、店の奥には水瓶を乗せた車輪付きの荷台が停まっている。その鍋を食いしん坊のチャドがかき回していた。
まだ店先に客がいない中、ユウはチャドに声をかける。
「チャド、おはよう!」
「ユウ!」
この数年でユウの背丈が伸びたようにチャドの背も伸びていた。相変わらず背丈はユウよりも頭一つ分低いが、その顔にもう幼さはない。立派な少年だ。
金を支払って木の皿と匙をもらったユウはその場でスープを口にする。あの微妙な口触りは健在だ。それでいて旨い。
しばらく食べて落ち着くと、ユウはチャドに話しかける。
「こうやって見ていると、もうすっかりチャドが店主だね」
「えへへ、よく言われるんだ」
「スコットさんはどこに?」
「荷台の日陰で休んでる。もうあんまり無理は利かないみたいなんだ」
「ということは、いよいよ本格的にチャドが店を引き継ぐことになるの?」
「そうだね。もう何年もしないうちにそうなると思う」
「へぇ。そうなると、いよいよチャドのスープ屋になるんだね」
店が自分の名前を冠したものになると言われたチャドはかなり照れた。いよいよ夢の実現までわずかなのだ。
そうして2人は客がまだいないことを良いことに雑談を始める。最近は昔話ではなく、現在の情勢が話題になることが多くなった。そして、近頃は良い話があまりない。
「ユウは知ってる? 最近貧民街に人が増えてきてるんだ」
「移住者が増えているってこと?」
「うーん、そうとも言えるし、違うかもしれない。その人たちって、同じトレジャー辺境伯爵領の東側から避難してきた人たちなんだ」
「あー、もしかして難民っていうやつかな」
「たぶんそれだと思う。その人たちが貧民街の周りに居着くようになったんだ」
「冒険者になってから貧民街には寄っていないから知らなかったなぁ」
「僕はスコットさんと端に住んでるから知ってるんだよ。春頃から知らない人が増えたなって思っていたら、あっという間に増えたんだ」
「なんでそんなに増えたの?」
「トレジャー辺境伯爵がやってる戦争が原因だって。東の領地は戦場になるところもあってもうめちゃくちゃらしいよ」
「あれ? 戦争は外でやってるんじゃなかったの?」
「知らない。でも、最初は外でやってたけど、内でもやるようになったんじゃないのかな」
魔物の間引き期間に見慣れない冒険者パーティから聞いた話をユウは思い出した。時期はずれているものの内容が重なる部分が多い。
「それで西側のこっちにみんな逃げてきてるんだ」
「うん。しかも、兵隊や傭兵の数が足りないらしくて、あちこちから引っぱってきてるんだって。それが嫌で逃げてきた人もいるそうだよ」
「負け戦なんかに参加させられたくないもんなぁ。僕だって嫌だよ」
「そうだね。でも、引っぱられるのは難民の人たちだけじゃないみたい。戦える人たちがほしいそうだから、東の領地だと冒険者も兵隊や傭兵にさせられるって聞いた」
「うへぇ。嫌だなぁ。あ、でも東から流れてきた冒険者は春から増えてきているんだ。もしかしてその徴兵を嫌ったってのもあるのかな」
「絶対にあると思う。あ、いらっしゃい」
数人の客がやって来たところで2人の会話は途切れた。鍋から少し離れたユウはぬるくなったスープを口にする。日差しがきつく暑いのでむしろこのくらいがちょうど良かった。
それにしてもとユウは思う。チャドの話ではトレジャー辺境伯爵のやっている戦争は随分と不利になってきているらしい。このまま戦争が続くのならばアドヴェントの町にも影響が出るのは避けられないと感じる。
ただ、だからといってユウにやれることは何もなかった。まだ冒険者として一人前ですらない身としては、まず自立して自由に動けるようにならないといけない。何とももどかしい話である。
木の皿の中身がなくなった。食器はチャドの脇に置いてある籠の中に入れる。水瓶に入った水で洗ってまた使うのだ。
手持ち無沙汰になったユウは次にどうしようかと首をひねった。すると、客足が途切れた鍋の前に立っているチャドに呼びかけれられる。
「ユウ、もう1つ話しておきたいことがあるんだ。こっちに来てくれる?」
「話って何かな?」
話すことは大体話してしまったと思っていたユウは小首をかしげた。言われるままにチャドへと近寄ると話を促す。
「あのね、実はダニーのことなんだ。ちょっと厄介なことになってるらしくて」
「え、ダニー?」
「うん。去年辺りからパットがスープを食べに来てくれるようになったんだ。そのパットによると、今月になってダニーがアルフの家にやって来たそうなんだ」
「うっ、何となく話の展開が読めたけど続けて」
「お察しの通り、ダニーがあそこの子たちに自分のパーティに入らないかって誘ったんだって。ユウは最近のダニーについては知ってる?」
「先月テリーから教えてもらったんだ。魔物の間引き期間にパーティメンバーが死傷して、その穴埋めをするのに躍起になってるって」
「それは知ってるんだ。で、アルフやパットもその話は知っていたらしいんだけど、ティムとジョナスが乗り気になってるんだ」
「あの2人はダニーが強引な勧誘をして周りから煙たがられていることを知らないのかな?」
「どうなんだろう。ただ、どこかのお店で2人を気前よくごちそうしたらしくて、それで見る目が変わったらしいよ」
「そんなあからさまなことで転がるって駄目じゃないか」
話を聞いたユウは頭を抱えた。まだユウが薬草採取のグループにいたときの冒険者になることに前のめりだった2人の姿を思い出す。
「たぶん、仲の良かったウォルトが冒険者になったのを見て気が逸ってるんだろうな」
「ああ、
「どうしてチャドがそんなことを知ってるの?」
「お客がそんなことを話してたのを聞いたんだ」
意外と侮れないチャドの耳の広さにユウは呆然とした。冒険者の話題は冒険者が一番知っていると思っていたのである。
そのチャドは少し眉をひそめて黙った。それからユウに話しかける。
「ねぇ、ユウからティムとジョナスに話をして、ダニーの話に乗らないように説得できないかな?」
「うーん、僕かぁ」
以前、酒場でばったりと出会った3人の姿をユウは思い出した。何を話したのかはもう記憶にないが、失望されたことは覚えている。
「たぶん、無理だと思う。アルフの家を出てから1度だけ3人と泥酔亭で会ったんだけど、どうもあのときに3人ともがっかりさせちゃってね」
「え? 何にがっかりしたの?」
「細かいところははっきりと覚えていないんだ。確か武器に関してだったと思う。今も同じ武器を使ってるし、何より気前のいいダニーの方に惹かれるのは止められないだろうな」
「そっか、残念」
「テリーならあるいはとも思ったんだけど、あの3人とは接点がないからなぁ」
「僕もそう思った。こういうときにテリーは頼りになる」
「ウォルトがまだ冒険者になっていなかったらあるいはとも思うけど、順番としては妥当な上がり方をしてるからね」
「ウォルトがいたら説得できた?」
「いや、結果は変わらないと思う。ただ、誰も冒険者になっていなかったら、せめて耳を傾けてくれるくらいはしてくれたんじゃないかなって思ったんだよ」
「難しいね。放っておくしかないのかな。あ、いらっしゃい」
再びやって来た客にチャドは対応を始めた。スープ屋の周囲にはぱらぱらと人が集まってきている。祭の日なので客足はしばらく途切れなさそうだった。
その様子を見たユウは話ができるのはここまでだと悟る。さすがに雑談で商売の邪魔はできない。脇に置いていた背嚢を背負う。重さが肩に食い込んだ。
最後にユウは無言の笑顔でチャドに挨拶をする。返ってきた同じ黙礼を受け取るとユウは踵を返してスープ屋から離れた。
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