老婆の手縫い指導

 貧民にとって物は大切にしなければならないものである。理由は簡単で、手に入れることが難しいからだ。稼ぎが少ないからではあるが、交換できる所有物がそもそもほとんどないからでもある。


 だからこそ、手に入れた物は大切に使う。いや、大切に使わないといけない。失ってしまうと代わりを手に入れられるかわからないからだ。なので、どんな物でも修繕できなくなるまで使い続けた。


 それは冒険者であり貧民でもあるユウも同じだ。最近は金貨を手に入れるという幸運に恵まれたが、あくまでもその機会があったというだけで本質は変わっていない。


 薬草採取のグループにいたときからユウは境界の川で体と服を洗っている。真冬でも繰り返すため周りからは変わり者と思われているが、本人にとっては重要な作業だ。


 河原に焚き火をおこして素っ裸になり、境界の川に入る。季節は春になったとはいえ水はまだ冷たい。


「うう、寒い」


 いくらきれい好きとはいっても冷たいものは冷たかった。ユウは震えながら体を洗う。真冬なら一旦焚き火で体を乾かすところだが、最近は温かくなってきたのでそのまま服を洗うようになった。川底にチュニックとズボンを沈めて足で踏む。


 最初はうまく踏めず、ともすれば足を滑らせて転げることもあったユウだが今は慣れたものだ。手際よく服の端から端を均等に踏んでいく。


 踏み終わったら取り出して水を搾り、焚き火に晒した。そのとき一緒に体を温める。ちなみに、夏なら焚き火は必要なく放っておけば体も服も乾いた。


 服はある程度乾くと反転させる。そのとき、ユウはチュニックの袖がほころんでいることに気付いた。焚き火で乾かしつつも袖口を眺める。


「あーこれはもう」


 思えば前に勤めていた商店の店主から餞別としてもらった服だ。あれから4年になるが、薬草採取であれ冒険者であれ、服にとっては過酷な日々を送ってきた。どこかしらにほつれが出てくるのも無理はない。


 しかし、ではどうすれば良いのかユウは何も思いつけなかった。服に関しては今までほとんど考えたことがなかったからである。なので、いくら考えても良い知恵は浮かばない。


「そうだなぁ。ジェナさんに相談してみようかな」


 尋ねれば色々と答えてくれる老婆の存在を思い出したユウは手を叩いた。靴の件で世話になったのだ。ならば、衣類についても知っているはずと1人納得する。


 くしゃみをしつつも服を着たユウは、焚き火を消して道具屋『小さな良心』へと向かった。




 埃の積もった品物が積み上げられた狭い店内の奥には、しわくちゃの顔をした老婆が座っていた。近づいてくるユウへカウンター越しに顔を向ける。


「今日はなんだかさっぱりしているように見えるけど、川にでも落ちたのかい?」


「川に入って体と服を洗ったんですよ」


「落ちた奴はみんなそう言い訳するんだよねぇ。それで、今日は何を買いに来たんだい?」


「実は服のことで相談があるんです。今日服を洗濯して乾かしていたときに、袖の部分がほころんでいたんですよ。それで、どうやって繕えばいいのかわからなくて」


「針と糸で縫えばいいじゃないか」


「あー、僕はどっちも持ってないんですよ」


「裁縫道具ならうちでも売ってるよ。銅貨2枚さ」


「僕、裁縫したことがないんですよ」


 ばつが悪そうにユウはジェナから目を背けた。何年か前に料理はかろうじて仲間に教えてもらったが、裁縫についてはやったことがないのだ。


 恥ずかしそうにするユウを見たジェナがため息をつく。


「そんなこったろうと思ったよ。男で裁縫をしたがる奴はほとんどいないしね。ただ、あんたは冒険者なんだろう? だったら裁縫ができて損はないよ」


「どういうことですか?」


「街の連中だったら裁縫屋や自分の嫁に頼めばいいし、兵隊や傭兵だって似たようなもんさ。けど、冒険者はちょいと事情が違う。場所によっちゃ誰にも頼れないところで繕わなきゃいけないこともあるんだよ。だから、裁縫はできるようになっといた方がいいさね」


「兵隊や傭兵って、戦場に出てもやってくれる人がいるんですか?」


「いるとも。そりゃいつもってわけにゃいかないけど、カネになることがある所には誰だって寄ってくるもんさ」


「なのに、僕たち冒険者には必要と」


「例えば夜明けの森の奥で服や鎧が裂けちまったらどうするんだい? 人のいないところに行くってのはそういった危険があるということだよ」


 考えもしなかったことにユウは目を見開いた。言われてみれば確かにその通りである。


 しかし、問題が1つあった。これを解決しないことには裁縫道具を買っても意味がない。


「言ってることは正しいと思うんですけど、僕は裁縫ができないんですよ」


「なら、誰かに教えてもらえばいいじゃないか。知り合いに裁縫ができる奴はいないのかい?」


 問われたユウは知り合いの顔を思い浮かべていた。最初は古鉄槌オールドハンマーの面々、次はパーティ外の知り合いと広げていく。


 なかなか返事をしないユウを眺めていたジェナはため息をついた。呆れた視線を向けながら口を開く。


「よっぽど知り合いが少ないのか、それともダメな連中とばっかりつるんでるのか知らないけど、1人もいないのかい?」


「裁縫の話はしたことがないんで、誰ができるのか知らないんですよ。それに、みんな忙しくて時間が合わないことが多いですし」


「仕方ないねぇ。それじゃ、あたしが教えてやろうか。有料でね」


「うっ、裁縫道具を買うついでに教えてくれるわけじゃないんですね」


「当たり前じゃないか。使える物は何でも使って稼ぐのが商売人ってものだよ」


 しわくちゃの顔をにやりと歪ませたジェナにユウは顔を引きつらせた。しかし、考えたところで裁縫ができるようになった方がいいことは揺るがない。


 うまく誘導されていると思いつつも、ユウは裁縫道具と裁縫指導の料金を支払う。


「ひひひ、金払いがいいってことは美徳だよ。さて、それじゃもらった分は働こうかね。ユウ、服を脱ぎな」


「え?」


「縫い方を教えてほしいんだろう? だったら実際に見せてやるのが一番だよ。見ればそのチュニックはあちこちほつれてるじゃないか。いい練習になるよ」


「わかりました」


 いきなりの発言に目を剥いたユウだったが、理由を知るとチュニックを脱いでカウンターに乗せる。


 上半身裸のユウを放ってジェナはカウンターの上の服に顔を向けた。全体から袖口、表から裏へと目を走らせる。


「やりやすい綻びとやりにくいやつがあるね。あたしがまず手本を見せるから、次にあんたが縫うんだよ」


「はい」


 こうして、ジェナの裁縫指導が始まった。論理的な教え方ではなく、あくまでも手本を見せて真似させるという職人的な指導なので、質問の回答が手本を見せる形式になる。


「えっと、こう、ですか?」


「何やってんだい、違うよ。それじゃすぐに糸がほつれちまうじゃないか。貸してみな、こうだよ。わかったかい」


「うーんと、こう、かな? あ、できた?」


「できちゃいないよ! ああもう不器用だね。幼子の方がまだ器用だよ」


 割と容赦なく罵声が飛んでくるせいでユウはたまに涙目になった。それでも文句も言わずに従っているのは、裁縫の必要性を認めているからだ。


 かなりの時間を費やして最後まで指導を受けた後のユウは、膝から崩れ落ちそうなくらい疲れていた。細かい作業なのでかなり神経が削られたのである。


「とりあえずは一通り教えてやったよ。あとは繰り返し練習して慣れることだね。まぁ、服のほつれなんてこれからいくらでも出てくるだろうから、練習の材料にゃ困らんだろうさ」


「あ、ありがとうございました」


「若い子がへばってんじゃないよ。ほら、もっとしゃんとおし」


 指導が終わっても叱られながらチュニックを着たユウはようやく人心地付いた。次いで裁縫道具を片付ける。


 その間、ジェナはじっとユウを見ていた。そうしてユウの片付けが終わる頃に口を開く。


「ちょいと気になってたんだけどね、あんたのその服、いつから着てるんだい?」


「これですか? いつだったかな。商店に来てからだからもう6年近くだったと思います」


「どうりでね。その服、今のあんたには小さいんじゃないかい?」


「え? あ、あー」


「10代の6年っていや、背が伸びる時期じゃないか。あんただって前と比べて大きくなったしね」


「言われると確かに。着られたらいいや思っていたんであんまり気にしていませんでしたけど」


「古着屋で買ってきたらどうなんだい? 今のあんたなら1着くらい買えるだろう?」


「そうですね。考えておきます」


 今まで武具や道具を揃えることばかりに目を向けていたユウだったが、服にも目を向けた。当初はだぶついていたその服も今や少しきつい。


 そのうち買い換えようとユウは心に決めた。

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