1年が過ぎて
安宿屋『ノームの居眠り亭』の一角で眠り続けていたユウは、人の動く物音と明るさで目を覚ました。吐き出す息が白いことで寒いことを思い出す。
ぼろ布をそのままに上半身を起こすと、宿の大部屋の中にはほとんど人が残っていなかった。この時季で夜が明けて間もないのならば三の刻の鐘は近い。大半の人が出払っているのも当然だ。
背後からアーロンが声をかけてくる。
「起きたか、ユウ! クソしにいっていいぞ!」
新年一発目の声がこれだった。確かに昨日までいつも通り魔物狩りをしていたのは違いない。しかし、新年を祝う風習が特にないとはいえ、もっとまともなかけ声をしてほしかったとユウは思う。今日は自分にとって少し特別な日なのだから。
それでも、ユウはいつも通りうなずいて立ち上がった。ここで言い合っても仕方ない。
年が明けた。ユウが
それでも、1年前よりはましになった。そして、1年間生き延びたのだ。死んだ冒険者もいる中でこれは快挙である。
「お前ら! 酒は手にしたか? 手にしたな! ユウの1年を記念して、乾杯!」
叫ぶように声を上げたアーロンが木製のジョッキを突き上げると、他の4人も唱和した。それから一斉に木製のジョッキを傾ける。
今日の主役であるユウも笑顔で木製のジョッキに口を付けていた。他の仲間のように一気には飲み干せないが、3分の1程度は胃に収める。
「はぁ、おいしぃ~!」
「お~、最初は一口ずつしか飲めなかったってぇのに、いけるようになったじゃねぇか」
「いやぁ、さすがに慣れてきましたよ~」
「そうかそうか、いいことだな!」
2杯目を手にするフレッドが笑顔で何度もうなずいた。冒険者の中で酒に強いというのは美点だ。小さい仲間がその美点を獲得しつつあることを喜ぶ。
次いでジェイクがユウに顔を向けた。木製のジョッキを丸テーブルに置いて口を開く。
「これでユウも本当の意味で仲間になったな」
「今までは違ったんですか?」
「やっぱりどこか保護する対象という見方はあったんだ。最近はもうほとんどそんなことはなかったけどな。でも、今日からは違う。完全に対等な仲間だ」
「おお、完全に対等な仲間」
「とは言っても、稽古はこれからも続けるからな。教えておきたいことはまだあるし。さすがに1年じゃ足りん」
「それはよろしくお願いします。冒険者ギルドの戦闘講習と違って無料ですからね」
「こいつ、言うようになったな!」
しっかり切り返してきたユウの返答にジェイクが笑った。最初の頃とは違って、こういう会話も楽しめるようになったのは良いことだろう。
今度はひたすら丸テーブルの上に置かれている料理を食べていたレックスが顔を上げた。口の中の物を飲み込んでからユウに話しかける。
「ユウ、大切なことを教えておいてやるぜ! 今までオレたちと飲み食いするときはおごってたが、これからは全部割り勘だからな!」
「ええ、そうなんですか!?」
「そりゃなんってったって完全に対等な仲間だからな! 当然だぜ! あ、今回のはおごりだけどな。最後だからしっかり飲み食いしとけよ!」
「はい! けど、ここのお店結構高いからきついんですよねぇ」
「なーにシケたこと言ってやがる! そんなこと言ってると人が集まんねーぞ? みんな景気のいいところに行きたがるからな!」
「そういえば、知り合いが誘ってくれるときは高い店に行くときがあるよなぁ」
「だろ? ユウもそろそろそーゆーところを覚えておくんだ。言っとくが、ここは平均的な店だぜ?」
「うへぇ」
木製のジョッキを丸テーブルに押さえつけることでユウはかろうじて突っ伏さずに済んだ。レックスはその様子をにやにやしながら見ている。
よく飲みに行く例の3人との飲み会では、毎回幹事が自分の財布に応じた店で他の3人にごちそうすることになっている。ユウは今まで理由を挙げて安酒場を使っていたが、これからは考える必要がありそうだ。
そうしてしばらくユウは楽しい雑談と共に酒と料理を仲間と楽しむ。この1年を振り返る話が中心だが、一番盛り上がったのは去年の間引きの慰労会で付いたあだ名だった。もはや手にしていないそれを言われる度にユウは赤くなって震える。
いろんな話が飛び交って一段落した後、会話が一瞬途切れたところでアーロンが木製のジョッキを丸テーブルに置いた。それからユウに顔を向ける。
「ユウ、お前、これからやりたいことって何かあるか?」
「やりたいことですか?」
「そうだ。前にも言った通り、俺たちが引退するまでにお前を一人前にするつもりだが、やりたいことがあるんならそれを取り込んで色々してやれると思ってな」
「なるほど。うーんと」
「ある意味今は生活が安定してるだろ。その間にやりたいことの準備ができるんならやっておいた方がいいぜ。自分で言うのも何だが、こんなに安定した環境で冒険者ができるのも珍しい。だから、その珍しい状況を活かすべきだと思うぜ」
勧められたことにユウは素直にうなずいた。アーロンの話は正論なのでそうすべきではある。では、具体的に何がしたいのかと言われると首をかしげた。生活が安定してしまったせいか、次に何をしたいという気が湧いてこないのだ。
いつまでも返答しないユウを見てアーロンは苦笑いする。
「別に今すぐ言わなくてもいいぞ。何かやりたいことが見つかったら相談してくれたらいい。俺たちでやれることなら協力してやるぜ」
「ありがとうございます。今は何も思い浮かばないです。ここが居心地いいのかもしれないですね」
「はっはっは! そりゃ嬉しいぜ! けど、先のことも考えておけよ。いずれは1人になるんだからな」
「はい」
楽しげに笑うアーロンにユウは返事をした。そこで目を開く。
「そうだ、僕そろそろ武器を買い換えようかなって思っているんですよ。ほら、今使っている
「あー、そーいやお前、まだそーだったよなー。戦えてっからなんにも言わなかったけど」
最初に反応したのはレックスだった。さすがに
「やっぱり長い方に換えた方がいいですよね?」
「そりゃまーな。どのくらいの長さにするんだ?」
「今が40イテックで、それを60イテックにしようかと思ってます」
「まぁ普通だな。いいんじゃね?」
「レックスのはどのくらいの長さなんですか?」
「オレのは70イテックだな。お前には少し重いかもしれねぇ。他の武器にする気はねぇのか? 慣れちゃいるが、こだわってるわけじゃねぇんだろ?」
「あーはい。そうなんですが、なんか別の武器に乗り換えようっていう気がしなくて」
「うーん。同じ武器を使ってくれるのは嬉しいが、最初は色々と試した方がいいんじゃねぇかなぁ。アーロン、どう思うよ?」
木製のジョッキを口に付けながらレックスがアーロンに話を振った。
全員の注目が集まる中、顎に手をやりながらアーロンが口を開く。
「最終的にどの武器を選ぶにしろ、一通り触らせといた方がいいか。となると、今年1年の稽古はそれでいくか」
「え? いくんですか? というより、僕自分の持ってる武器しかないですよ?」
「なぁに、その辺は心配しなくてもいいぜ。伊達に長年冒険者をやってるわけじゃねぇ。こういうときに色々と伝手があるんだよ」
「武器を調達する伝手ですか」
「そうだ。ぼろいのを借りるくらいなら何とかなるぜ。それで稽古をしよう!」
頭の中で目処を付けたアーロンが機嫌良く声を上げた。ユウは驚くばかりで声も出ない。
そこへジェイクが口を挟む。
「アーロン、稽古の日は今まで通りでいいのか?」
「それでいいだろ。まずは斧、その次は槍、剣は次でいいか」
「普通剣が一番最初じゃないか?」
「いいんだよ! 俺が使ってるんだからそれを最初にするんだ!」
半眼のジェイクの突っ込みにアーロンがだだをこねるように叫んだ。フレッドとレックスは呆れた顔で自分のリーダーを見る。
何も言わないうちに次々と決まっていく稽古の内容をユウは呆然と眺めていた。きっかけは自分で作ったものの、きっかけ以外はほとんど関わっていない。
それでもユウは悪い気はしなかった。すべて自分のためにしてくれていることを知っているからだ。
騒ぐ仲間の様子を見ながらユウは木製のジョッキを傾けた。
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