第4章 引き継ぐもの

革のブーツ

 古鉄槌オールドハンマーのねぐらとなっている安宿屋『ノームの居眠り亭』の寝台で黒目黒髪の少年が目覚めようとしていた。やや平べったい顔が動く。すっかり汚れているチュニックの服の上から体を掻いていた。


 やがて少年は目を開けると起き上がる。


「ふぁ。あ~、ジェイクおはよう。みんなは?」


「ここの裏手に行ってる。もうじき帰ってくるはずだな」


 やや小柄で精悍な顔つきの中年ジェイクが寝台に座りながら返答した。荷物番である。


 寝台の端に寄った少年は傷んだ革のブーツに足を差し込んだ。その瞬間、顔をしかめる。


 少年の様子をジェイクが興味深そうに見ていた。少年の足下を見ながら話しかける。


「ブーツがどうかしたのか?」


「最近ちょっと小さいかなって思うようになってきたんですよ」


「ユウくらいの時期だと体がまだ成長するからな。たぶんそのせいだろう。稽古で体を鍛えているのもあると思うけどな」


「傷んできてるし、そろそろ買い換えないといけないのかもしれないですね」


 初めて革のブーツを買ったときのことをユウは思い出した。店主と相談して買い換える前提で買ったのだ。


 2人が話をしていると、厳つい顔をした丸坊主頭の男が大部屋に入ってきた。既に起きていたユウに声をかける。


「起きたか! ジェイクもクソしに行っていいぞ!」


「わかったよ。それじゃ荷物番を任せた、アーロン」


 周囲にいる客に遠慮もせずに大声を出す中年アーロンにジェイクが苦笑いした。


 ユウも一緒に立ち上がって大部屋を出る。夏には広がっていた青空が今ではまったく見えず、白い雲に覆われていた。次の夏までほとんど青空は見えないだろう。


 建物の裏手に回る途中、口の周りに濃い髭を蓄えた巨体の中年と頭頂まで禿げた頭につぶらな青い目をした中年と出くわした。


 髭を蓄えた巨体の方がジェイクに声をかける。


「お前らも今からクソか。相変わらずくっせぇぞ!」


「わかってるんだから言わなくてもいいだろ、フレッド。早く戻って飯でも食ってこい」


 フレッドと呼ばれた男は機嫌良さそうに笑った。そして、そのまま歩いて行く。


 一方、もう1人のつぶらな目をした男はユウに顔を向けた。足を止めて口を開く。


「昼から稽古だから忘れんなよ?」


「はい。もしかしたら今日は動きが鈍るかもしれませんが」


「疲れでも残ってんのか?」


「いえ、これからブーツを買い換えようと思っているんですよ。きつくなってきたんで」


「あーなるほど。わかった。それじゃ、靴を慣らすためにも鍛えてやらねぇとな!」


「ちょ、ちょっと、フレッド!?」


 楽しそうに笑いながら去って行くレックスにユウは声をかけた。しかし、無視されてそのまま建物の陰で姿が見えなくなる。振り向いた姿勢のままユウは固まった。


 それを苦笑いしながら見ていたジェイクが声をかける。


「ほら、さっさと行こう。早くしないと垂れちまうぞ」


 言い終わったジェイクはさっさと建物の裏手へ歩いて行った。


 固まったままのユウは視線だけをジェイクに向けていたが、その視界から人影が消える。それからがっくりとうなだれて後に続いた。




 朝食を食べ終えたユウは安宿屋『ノームの居眠り亭』から出た。目の前の西端の街道を北に向いて歩き、すぐ貧者の道へと曲がる。そのまま市場の東側まで進んで中に入った。


 目的の場所であるかなり傷んだ木造の家屋を見つけると扉を開ける。積み上げられた小間物のような品物を無視して奥にあるカウンターまで歩いた。


 頭巾を被ったしわくちゃな顔の小柄な老女が声をかけてくる。


「おやまぁ、今日は早いじゃないか。まだ三の刻の鐘も鳴っちゃいないよ」


「おはようございます、ジェナ。宿にいてもやることなんてないですからここに来たんです。鐘が鳴る前から開いていることは知ってますから」


「ここは暇を潰すための遊び場じゃないんだけどねぇ」


「足が痛くて我慢できなかったんですよ」


「足の病気なら医者に診てもらいな。水虫だってんなら、ここで脱ぐんじゃないよ」


「水虫じゃないです。僕の足はきれいですよ。そんなことより、ブーツを買いに来たんです。そろそろきつくなってきて」


「あぁなるほど、もうそんな時期かい。確か買い換える前提で買わせたんだっけねぇ。」


 しゃべりながらジェナが腰を上げて店の奥へと姿を消した。しばらくすると、革のブーツを3足持ってやって来る。


「左のが一番大きくて、右のが一番小さいよ。履いて足に合うやつを言いな」


「はい」


「どれもしっくりとこないってんなら、うちのじゃもう満足できないってことさね。靴屋を紹介してやるからそこで見繕ってもらいな。ただし、うちよりうんと高いからね」


「やっぱり新品だと高いですか」


「そりゃそうさ。でも、自分の足に合った靴を買おうとするなら既製品というわけにはいかないからねぇ」


 革のブーツを一足ずつ試しながらユウはジェナの話を聞いていた。しかし、途中で手を止めて顔を上げる。


「あれ? だったら今から靴屋を紹介してもらった方がいいんじゃないですか?」


「安い方で済ませられるならそれに越したことはないさね。それに、今のあんただとまだ体が大きくなるかもしれない。だったら、もう2年か3年は中古でもいいはずだよ」


「それでこのブーツですか」


「そういうことさ。今度のは最初のよりも質がいいものだから、もっと無茶をしても耐えられる。この1年近くであんたも成長したろう? 靴もその成長に合わせるべきだね」


 すべての革のブーツを試し終えたユウはその3足をじっと見つめた。それから黙って口を開かない。


 片眉をつり上げたジェナがユウに声をかける。


「どうしたんだい? どれもしっくりとこなかったかい?」


「いえ、真ん中のやつが一番ぴったりでした。でもこっちの方が少し大きいだけなんでこれでもいいかなって思えるんです。僕の体はまだ大きくなるかもしれないんですよね?」


「『かも』だよ。ならないかもしれないね。だから、ぴったり合ったやつを買うんだよ。不確かなことは当てにしちゃいけない。大体あんた、足が大きくなるまで大きめの靴を履いていたら、靴擦れで足が血だらけになっちまうよ」


「うわ、そりゃ嫌だ!」


「だろう? だからぴったり合った靴を買うんだね。もっとも、大きめのやつだって布を入れて調整するなんてやり方はあるけど、あんまりお勧めはできないねぇ」


「わかりました。ならこれにします。いくらですか?」


「銅貨18枚だよ」


「うっ、結構な値段がするなぁ」


「そりゃそうさ。中古品とはいえ、質はそれなりのものだからね。値も張るよ」


「武器並みとはなぁ」


「何言ってんだい。武器よりずっと大切じゃないか。武器は使わないこともあるけど、靴は毎日絶対使うもんだからね。それを考えたら安いくらいだよ」


「あーはい」


 ジェナの剣幕に押されたユウは少しのけぞりながら銅貨を18枚カウンターの上に置いた。それから選んだ革のブーツに足を差し込む。


「あ、いい感じだ。楽になりましたよ」


「そりゃ良かったね。ところで、その今まで履いてたブーツはどうするんだい? いらないのなら買い取るよ」


「え、いいんですか? かなり傷んでますよ?」


「そんなものどうにでも直せるさ。そのための職人なんだからね。あんたが今買って履いたそれだって同じさ」


「なるほど。買い取るとしたらいくらくらいですか?」


「そうさねぇ。あんたはいつもここで物を買ってくれるし、素直に話を聞いてくれるから、銅貨2枚で買い取ろじゃないか」


「いいですけど、高いか安いかわからないですね」


「普通なら銅貨1枚くらいかねぇ。2枚ってのはこれからも贔屓にしてもらえるっていう期待の表れだよ。引き取っていいんだね?」


 うなずいたユウを見たジェナは床に置かれたままの革のブーツを持ち上げた。それを店の奥まで持っていく。


 待っている間、ユウは足を色々と動かしてみた。つい先程まで履いていた革のブーツとは違って足に痛みが走らない。これなら気を削がれることなく動くことができる。


 戻ってきたジェナが椅子に腰掛けた。それからユウへと顔を向ける。


「また靴を買い換えるときがきたなら、あたしのところへ来な。今度は靴屋を紹介してやるよ」


「ありがとうございます」


「あたしの見立てだと3年くらいかねぇ。履きつぶすまで使うんだよ」


「わかりました!」


「いい返事だね。で、他に何か必要な物はあるのかい?」


「今はないです。また買いに来ますね」


「そうしておくれ」


 笑顔のユウは礼を述べるとジェナの店から出た。革のブーツを買えたことでその足取りは軽い。まるで羽が生えたようとは正にこのことである。


 宿に戻るとユウは仲間に新調した革のブーツを見せた。みんな喜んでくれる。そして、宣言通り昼からのレックスの稽古で徹底的にしごかれた。

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