夜明けの森からの帰還

 かつてユウがまだ冒険者になるかどうか決めかねていたときのことだ。冒険者パーティとの伝手もなかったので、もし冒険者になったとしたら1人で夜明けの森に入ることになると考えていた。冒険者になった後は無謀もいいところだと思っていたが、別の意味でも無茶だと今のユウは強く感じている。


 謎の建物から森に戻ったユウはまっすぐ歩いていた。わけもわからず来た場所で方角すらもわからないまま森の中を進み続ける。


 自分のしていることに確証が持てないことはこれまでにもあったが、ここまで心細いとユウは思わなかった。魔物に襲われる恐怖以前に、自分の選択したことが正しいという自信をまったく持てない。更に1人きりだということが何より心細かった。


 誰にも頼れないまま、ユウはまっすぐと歩く。


「帰りたいな。帰れるかな」


 ときおり不安げに周りを見ながらユウは独りごちた。草木は夜明けの森と同じように見える。ただし、ここが夜明けの森のどこなのかわからない。あるいは、そもそも別の森かもしれない。


 そうして今になって自分は森にさらわれたのではとユウは思い至る。今まで森にさらわれて生きて戻ってきた者はいないと聞いていた。足の動きが鈍る。


 すっかり気落ちしてしまったユウだったが、白いもやが周囲に立ちこめてきていることに気付いた。一定の速度で濃くなっていく。


「なんで!? また!?」


 焦りの色を顔に浮かべたユウは走り出した。また森にどこかへさらわれる。今度はどんなところかわかったものではない。顔を歪ませて懸命に脚を動かす。


 白いもやは濃くなり続け、今はほとんど視界が利かなくなるくらいに濃密だ。伸ばした手のひらさえもほぼ見えない。


 今度は蹴躓かないようにユウは足下へ意識を強く向けた。走る速度は落ちるが倒れるよりかはましと割り切る。


 魔物への警戒をする余裕もないユウはひたすら走り続けたが、そのうち白いもやが薄くなってきた。1度薄まり始めると今度は急速に周囲が晴れてくる。


 途中で白いもやが消え始めていることにユウも気付いた。足の動きを緩めて周囲を見回す。白いもやが立ちこめる前と同じ樹木が周りにあった。


 息を整えたユウが顔を歪ませる。


「今度はどこなの?」


 迷子になった状態から更に迷子になった気分のユウは目に涙を浮かべた。もう自分のいる場所がどこか確かめようがない。


 もはや惰性で脚を動かしていたユウはのろのろと進んでいた。森の中にいるので警戒を怠ってはいけないのだが、周囲に気を配っている様子はない。


 これからどうしようかとため息をついたユウだったが、ふと耳に人の声が入ったような気がした。立ち止まって耳を澄ませる。しかし、どこから聞こえるのかがわからない。


「歩いていて聞こえるようになったっていうことは、前に進んだら近づける?」


 絶対という保証はなかったが、手がかりがなさ過ぎる状況なのでユウはそう決めつけた。あれが人の声だとしたら、長くそこで留まってくれることは期待できない。なぜなら夜明けの森に入るのは冒険者で、その冒険者は常に移動しているからだ。


 幸い、ユウの決めつけは当たった。前に進むほど声がはっきりと聞こえてくる。複数人の声だ。自然と足早になる。


「だから、今度はあっちを探そうぜ、アニキ!」


「あっちはさっき探しただろうが。この辺にはいなさそうだな。くそ、どこではぐれちまったんだよ」


 聞いたことのある声だった。いや、いつもよく聞く声である。レックスとアーロンだ。その声が近づくと更に大きくなる。


「あのときの状況を考えたらもっと奥を探すべきだと思うぜ、兄貴」


「俺もそう思う。この辺りは、誰か来る?」


 フレッドに続いてしゃべっていたジェイクが途中で言葉を切った。そうして、近づいてくる人物へと目を向ける。それが探している相手だと気付いて目を見開いた。


 4人を視界に収めたところでユウが声を上げる。


「良かった、みんな。やっと会えた!」


「ユウ、てめぇどこ行ってたんだ!?」


 最初に声をかけてきたのはアーロンだった。怒鳴るような声と共にユウへと近づく。


 後に続く3人にも囲まれたユウはすっかり安心した。大きな息を吐き出して肩の力を抜く。そして、嬉しそうに4人の顔を見た。


 最初に話しかけたのはユウからだ。アーロンに気になっていたことを問いかける。


岩巨人トロルはどうなったんです?」


「逃げて撒いた。あの魔物は足が遅いからな。逃げるのはそんなに難しくはねぇ。それよりてめぇだ。一体どこに行ってやがったんだ?」


 白いもやの中で倒れたところから今までの話をユウは4人に話した。見たことのない建物があったこと、中で穴に落ちたこと、不思議で小さな光に出会ったこと、そして再び白いもやに遭ったことなどである。


 ただし、おばあちゃんの文字を読めたことだけは話さなかった。とうの昔にうち捨てられた場所に書いてあった古い文字を読める理由を説明しにくかったからだ。不可思議なことが連続して続いた中で疑われるようなことは避けたかったのである。


 話を聞いた4人の表情は微妙だった。信じてやりたいが信じられないという顔である。そのせいか、しばらく誰もユウに声をかけない。


 やがて頭を掻きながらアーロンが口を開く。


「お前の話はわかった。にわかには信じられねぇ。その建物に行って見てきたこともそうだが、森にさらわれたはずのお前がまた戻ってきたってことがな」


「しかもだ、困ったことに証拠が何もない。こういう言い方はきついが、嘘をついてるとも言える」


 続いて感想を告げたジェイクが難しい顔をしていた。フレッドとレックスも同様である。


 先程までの体験を説明したユウも4人の態度を見て悲しまなかった。自分が反対の立場ならやはり半信半疑が精一杯だと思うからだ。


 言いにくそうな顔をしたアーロンがユウに告げる。


「その話は他の奴にはするなよ。与太話だと決めつけられるんならまだいいが、下手に信じられて洗いざらい情報を吐かせようとする奴が出てくるかもしれねぇ」


「森にさらわれなきゃ行けないようなところの話なんて、そこまでして知りたいものなんですか?」


「言ったろ、証拠が何もねぇんだ。見方を変えたら、お前が都合良く事実をねじ曲げてるとも受け取れるんだよ。つまり、本当は何らかの手段があるのに隠していやがる、なんて相手は考えるかもしれねぇんだ」


「そ、そこまで邪推するんですか」


「する奴はする。一攫千金を狙ってる奴は冒険者に掃いて捨てるほどいるんだ。というより、そんな奴ばっかりなんだ。俺たちだって昔はそうだった。だからわかるんだよ」


 真剣な目つきで諭されたユウは黙った。悪い奴はどこまでも悪いという話はよく聞くが、それは欲深さについても同じなんだと知る。


「わかりました。それなら黙っておきます。でも、今って捜索中なんですよね。冒険者ギルドへの報告はどうするんですか?」


岩巨人トロルに遭ったことと白いもやを見たことは報告する。お前はそのとき最後まで俺たちと一緒に逃げ切ったことにするんだ」


「それはいいですけど、はぐれてからどのくらい時間が経ってるんですか? 僕の方はそんなに経った気がしないんですが」


「俺たちの方もだよ。鐘が1回鳴るくらいかどうかって感じだな。正直、よくそんな短時間で帰ってこれたと思うぜ」


「僕は戻れたこと自体が驚きですよ。もう駄目かもしれないと思ってましたもん」


「そりゃそうだ! 非公式になっちまうが、森にさらわれて戻ってきた初めての冒険者だからな!」


 楽しそうにアーロンが笑うと、他の仲間も釣られて笑った。これでユウの不可思議な体験の話は終わりとなる。


 全員が集まると古鉄槌オールドハンマーはそのまま町に帰還した。終わってみると日程に関しては予定通りである。


 同じ捜索に関わっているパーティは半数ほどが戻っていた。いずれも1週間程度の捜索を担ったパーティである。1日休んだ後、これらの近場組も再び夜明けの森へと入った。場所を変えての捜索である。


 古鉄槌オールドハンマーも同じくもう1度捜索に戻った。前回同様踏み込めるぎりぎりの場所まで進んで探したが成果なく終わる。再び白いもやに襲われる不安を5人は抱えていたが、今度は何事もなかった。そういう意味でも成果なしである。


 2週間の捜索の結果は芳しいものではなかった。装備の一部と身ぐるみ剥がされた死体、そして食い散らかされた塊が見つかっただけである。しかしそれでも見つかったのはまだましで、大半の冒険者は何の手がかりもなかった。


 こうして、ユウたちの参加した冒険者の捜索は幾ばくかの報酬と徒労感と共に終わる。


 ユウが仲間に尋ねると、毎年こんなものだという言葉が返ってきた。なぜ仲間がこの依頼に気乗りしなかったのか、ユウは今になって実感した。

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