森の中の建物

 普段見かけない魔物を前に逃げ続けたユウは蹴躓いた際に仲間とはぐれてしまう。それでも白いもやの中を走り続けた末に、森の中で開けた場所に出た。


 その場所に立っていた建物は、ユウにとって今まで見たことのないものだ。大きさに関してはアドヴェントの町にあるギルドホールや商館の方が大きいが、建材として木材が一切使われていない。すべて石材あるいは石材らしきもので造られている。


 惜しむらくは長い間放置されていたようで、外観はすっかり汚れていた。かつては白かったらしい壁も風雨に曝され泥土にまみれている。


「これは、建物?」


 さすがにそのくらいは見ればすぐにわかったが、ユウは呆然と言葉を漏らした。正面には入り口があるものの中は暗い。


 まずは建物をぐるりと1周したユウは、中に入る入り口は最初の1つだけだということを知った。次いで中を覗いたが真っ暗で何も見えない。


 そのままでは何も見えないことを確認すると、ユウは背嚢はいのうを地面に下ろした。次いで中から松明たいまつを取り出す。先端部分を油でひたすと火口箱で火を点けた。再び背嚢を背負って立てかけていた松明を手にすると準備完了である。


「広いや。大部屋?」


 いつも寝泊まりしている安宿の大部屋をユウは思い出した。40レテム四方程度で他に部屋はない。天井は床のように真っ平らで壁も同様である。ただし、入り口の正面にある壁の中央には扉のようなくぼみがあった。しかし、手で触ってみても動かない。


 他には入って右手の壁の一面に文字が書かれていた。複数の言語が一塊ごとに上から書かれているが、現在の町などでは見たことのないものばかりである。


 ただし、1つだけ何とか読めそうな文字の塊があった。汚れて読めない部分もあるが、それでも理解できる言葉にユウの目が吸い寄せられる。


「え? これ、おばあちゃんの文字?」


 まさか自分が読める文字があるとは思っていなかったユウは目を見開いた。祖母から完全に教えてもらったわけではないものの、それでも部分的には読める文字を食い入るように見る。この室内の図らしきものと関係しているようだった。


 それによると、何かを操作するための説明らしいことがわかる。図が示す場所を探し当てて何往復もしてその操作方法を確認した。


 ある程度理解できたところでユウは、入り口から向かって左側の壁にある手のひらの型に手を重ね合わせる。そして、しばらくそのままじっとしていた。


 松明の火の揺らめき以外に動きはない。周りを見ても静かなものである。


「そりゃそうか。動くわけな」


 落胆したユウは力なく笑おうとした。しかし、突然足下が頼りなくなったかと思うと、体が下に下がっていく。足下を見ると円上にぽっかりと空いた大きな穴に落ちようとしていた。その底は真っ暗で何も見えない。


「わ、ひっ!」


 必死になって手足を動かすユウだったが引っかかるところはどこにもなかった。松明も手放して背嚢を背負った背中から落ちる。


 落下中の浮遊感と死の恐怖がない交ぜになった感情がユウの中に満ちた。声を上げようにも恐ろしすぎて息すらできない。


 穴の頂上、つまり屋内の床が急速に離れていく。目を全開にしてただひたすらそれを眺めるだけのユウだったが、終わりは意外にも早く訪れた。


 急速に落下速度が弱まったかと思うと一瞬停止する。しかし、突如手を離されたかのようにまた落ちて固い何かにぶつかった。


「いっ!?」


 突然の衝撃にユウは声も出なかった。暴れることもできずに落ちたときの体勢そのままでじっとしている。少し離れたところに火が燃えたままの松明が転がっていた。


 しばらく震えながら固まっていたユウだったが、徐々に落ち着いてくるとまずは自分の体をまさぐる。一番痛いのは尻だがそれ以外に体の異変はない。


 顔を上に向けたユウは真っ暗なことに呆然とする。落ちてきた穴が見当たらない。それどころか、松明の炎が照らす地面以外何も見えなかった。


 またもやまったく見知らぬところへ放り出されたユウはゆっくりと立ち上がる。


「ここは、どこ?」


 地面こそは先程いた建物内の床と同じ石造りだが、それ以外は暗闇でまったく手がかりすらなかった。


 とりあえず頼りになる松明を手にしようとしたユウだったが、歩こうとする直前に視界の隅に何かを捉える。もし魔物だったらと予想したユウは体を硬直させた。まずは目だけを動かして視界の隅に捉えたものを見定めようとする。


「え? 何これ?」


 ユウの目が捉えたのは淡く小さな光だった。まるで綿のように柔らかそうで真っ白なそれはふわふわと漂っている。しかも、最初はそれ1つだけだったものが2つ3つと増えていった。松明以外に光源がない暗闇のために、その光は幻想的なまでに美しい。


 自分の置かれた状況を忘れてユウはその増えていく光に見入った。ゆらゆらと動くその姿が何ともかわいらしい。


 あちこちに点在していたその光たちは少しずつユウに近づいて来た。しかし、まるで遠目に眺めるように周囲をふわふわと漂うだけで一定以上は寄ってこない。


「はは、僕の方が見られているみたいだね」


 その様子を見たユウが小さく笑った。手を伸ばせば届きそうな光もあるが、寄ってこないそれらにユウからも手を伸ばすようなことはしない。


 やがてその中の1つが、ふわふわとユウに近づいて来た。思わず1歩引いたユウだったがその光は更に近づいてくる。そしてついに、額にぶつかったかと思うと中に入る。


「え? 入っちゃった? いいの、これ?」


 慌てたユウは慌てて両手で自分の額を押したり撫でたり叩いたりした。自分の手で触っているという感覚以外は何も返ってこない。


 そうしていると、周りを漂っていた光たちが1つずつ消えていった。はじけ飛ぶように消えるものもあれば、うっすらと消えていくものもある。ついにはすべて消えた。


 周りは再びほとんど暗くなる。松明の炎の揺らぎだけが唯一目に映るものだ。


 しばらくじっとしていたユウだったが、何も変化がないことを知ると松明に近づいて手に取った。相変わらず何があるのかまったくわからない。


「まずはここを調べよう」


 慎重に足下を踏みしめながらユウはまっすぐ歩いた。すると少しして壁に出くわす。触ろうとして途中でやめた。また穴に落ちるのは避けたい。


 そのまま壁伝いに進むと直角に折れていた。更に壁に沿うと扉のようなくぼみがある。そして、そのくぼんだ部分が突然横に動いた。ユウは思わず飛び退く。


「驚いた! 何これ?」


 壁が横に動いた先には通路らしきものがあった。松明をかざすとすぐに右側に折れ曲がっており、更に上向きの階段がある。


 この部屋のすべては確認していないが、早く上に登りたいことを思い出したユウは通路に入って階段を踏んだ。最上段まで上ると右手の壁が横に動いた。


 びくりと震えたユウは慎重にその動いた壁の向こうを見る。


「あ、あれって外の光?」


 目を見開きつつも前に進んだユウは、周囲の光景に見覚えがあることに気付いた。落ちる前までいた場所だ。戻ってきたのである。


 ため息をつくユウの背後で壁が動く音がした。振り向くと閉まっている。触ってみても動かなかった。


 壁に手を付けたままユウはじっとしていたが、やがて文字の書かれた壁の場所に移る。


「あれは何だったんだろう」


 もう1度おばあちゃんの文字と呼んだものを眺めながらユウはつぶやいた。この壁に書かれた通りのことをして穴に落ちて、その先で光る何かに出会って、そしてまたここに戻ってきた。意味があったとしてもまるでわからない。


 松明を掲げたユウは再び建物内をぐるりと巡ってみた。穴に落ちる前と違いはなさそうである。室内のほぼ真ん中で考え込んでいたユウの表情は次第に険しくなった。やがて大きなため息をつく。


「駄目だ、わからない! さっぱりだ!」


 大きな声が多少反響しながら消えた。そうしてまた静かになる。


 首を横に振ったユウは出入り口に向かった。外に出た直後、暗さに慣れきった目を細める。慣れるまで動けない。


 空はどんよりとした曇り空だ。アドヴェントの町と変わりがないように見える。理由にならない理由だ。しかし、それを根拠に東に向かえば街に帰れるのではとユウは考える。


 松明の炎を消すと、ユウは背嚢を地面に下ろして松明をくくり付けた。思わぬところで役に立ってくれた道具に感謝する。何でも持っておくものだと改めて感じた。


 再び背嚢を背負ったユウは空を見た。どんよりとした空が一面に広がっており、太陽の位置がわからない。渋い表情を浮かべたユウはしばらく考える。こういうときはどうするべきかわからなかった。しかし、決断しなければならない。


 意を決したユウはこの建物にたどり着いたときの順路を逆に進むことにした。

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