足りない物

 休日2日目の昼、昼食の干し肉を食べたユウはふらつく足で原っぱを歩いている。明日は再び夜明けの森へと入る予定だ。今日中に準備できるものを揃えなければならない。


 安宿街の南西の端にある安宿屋『ノームの居眠り亭』から市場に向かうなら、場所によっては安宿街の南に広がる原っぱを歩いた方が早いことがある。今が正にそのときで、ユウは市場の南西から露天商の並ぶ地域に入った。


 市場の西側には建物はほぼなく、大半が荷車を利用した出店か露天商が立ち並ぶ。食品や衣類などわかりやすいものから、怪しげな骨董品まで質を問わなければ大抵の物が揃っていた。


 そんな中に、ひときわ静かで怪しい露天商がいる。道の両端に敷物を直敷きした居並ぶ露天商に埋もれるように座っており、当人の前には申し訳程度の薬草や薬が並べられた。その様子から商売する気があるようには見えない。


 露天商の姿は茶色のローブを目深に被っているので顔の上半分は見えないが、こけた頬から体は枯れ木のように細いことが窺える。


 市場の中を歩いていたユウはその店主の前で立ち止まった。そして、屈んでから声をかける。


「シオドアさんですよね。ビリーから紹介されて来ました」


「ビリー。久しぶりにその名前を聞いたね。最近は見かけないが」


「去年の春に弟子入りした師匠と一緒にここから旅立ったんです」


「そうだった! あの若さで薬草と薬に詳しく、更に文字と算術までできるんだ、そりゃぁ引く手数多だろう」


「その文字と算術は僕が教えたんですよ。代わりに薬草と薬のことを教えてもらいました」


「ではきみがユウかい?」


「僕のことを知ってるんですか?」


「ビリーから聞いている。町の中の商店を解雇されてこっちに流れてきたんだろう? かわいそうな話じゃないか」


「僕のことはいいんですよ。もう過去の話ですから。それより信用できる薬師として紹介してもらったんです」


「そりゃぁ嬉しいねぇ。何が欲しいんだい?」


「虫除けの水薬を中瓶1本分です。瓶は持ってきています」


 話ながらユウは巾着袋から拳程度の大きさの瓶を取り出した。それを差し出された枯れた右手に乗せる。


「瓶にこだわりがなければ、既に詰めてある物と交換するが?」


「構いませんよ」


「鉄貨20枚」


 空の瓶を懐にしまったその右手にユウは鉄の貨幣を乗せた。滑るように再び懐へと消えると、似たような瓶を差し出される。


「ビリーに薬の作り方を教わったのなら、自分で作ればいいと思うんだけどね?」


「最初はそのつもりでしたけど、入った冒険者パーティの宿じゃ作れなかったんです。簡易式の製薬道具は譲ってもらったんですが」


「納得したよ。そりゃぁうまくいかなかったね」


 もらった瓶を巾着袋に入れたユウが立ち上がった。もうここに用はない。


 礼を言って立ち去ろうとしたユウはシオドアに呼び止められる。


「ちょいと頼み事を聞いてくれないかい。ビリーの紹介なら信用できる冒険者だろう?」


「できることでしたら」


「もしカタリー草を採ることがあったら、少し分けてくれないだろうか」


「カタリー草? あの木に巻き付く蔓のことですか? たしか、触媒に使うっていう」


「そうそう! 知ってるんなら話が早い! そのカタリー草だよ。夜明けの森にある植物なんだけど、市場に出回らなくなってきてね。困ってるんだよ」


「どうして出回らなくなったんですか? もしかして他の薬草も?」


「いや、カタリー草だけだよ。買い占めてるっていう噂は聞かないから、単に採取量が減ってるんだと思う。あれ、採るのなかなか面倒だからねぇ」


 ローブを目深に被っているせいでその表情は見えないが、口調から困っていることはユウにもわかった。しかし、去年までならともかく、今年からは薬草採取をまったくしていない。なので、簡単に引き受けるわけにはいかなかった。


 申し訳なさそうな表情を浮かべたユウが返答する。


「今入っている冒険者パーティは薬草採取をしないから簡単に約束できないです。あと、僕自身も道具を持ってないんで、きれいに採れる自信がありません」


「あーなるほどねぇ。ビリーの友人だからそっちのパーティに入ったと勝手に誤解していたよ。悪かったねぇ」


「大分先の話になりますが、春か夏くらいなら何とかなるかもしれません。僕は今年から冒険者になったばかりで、必要な道具を揃えている途中ですから」


「そうかい。だったら気長に待っておくとしようか」


「でしたら、採る機会があったら譲りますね」


「ああ、頼むよ」


 話を終えると、ユウは今度こそ立ち上がって歩き始めた。思わぬ話を持ちかけられたが、信用されて頼み事をされるというのは悪い気分ではない。


 何となく足取りも軽く、ユウは次の店に向かった。




 次にユウがやって来たのは道具屋『小さな良心』だ。かなり傷んだ木造の家屋へと入る。相変わらず店内は狭く小間物のような品物が並べるというよりも積み上げられていた。


 その奥にあるカウンターへとユウはまっすぐ進む。


「こんにちは。水袋買いに来ました」


「おやおや、世間話もなしにいきなり商談かい? なっちゃいないねぇ」


「何を言っているんですか。水袋が1つしかなくて大変だったんですから!」


 カウンターに手を突いたユウが前回の森での活動について話をした。特に水袋1袋で2日活動したことの大変さを強調する。


 もちろんその話を聞いた店主のジェナは大笑いした。人目もはばからずに声を上げる。


「ひひひ! そりゃぁ大変だったねぇ! 2日目の昼以降なんて、下手な拷問よりもきつかったんじゃないかい?」


「だから水袋を買いに来たんですよ! あれって確か銅貨1枚でしたよね」


「そうだよ。で、水袋が2つになったら安心なのかい?」


 問われたユウは黙った。というより全身が固まった。


 それを見たジェナがまた大爆笑する。腹を抱えてカウンターを叩くなど珍しい。


「ひひひ! そうかいそうかい! まだ拷問は続くってわけかい! ひひひ、いいねぇ! 実に面白いよ、坊や」


「そんなに面白いならまけてくださいよ」


「それとこれは別さね。いやでも、ここまで笑ったのは久しぶりだよ。いい話を知ってるじゃないか」


「知っているんじゃなくて体験したんですよぅ」


「ひひひ、そうだったねぇ。まぁ色々と経験して成長するもんさ。せいぜい苦しみな」


「ひどいですね」


「他人の不幸は蜜の味ってね。また面白いことを体験したら話しておくれ」


「性格悪いですよ」


「余計なお世話さ。ほれ、水袋だよ」


 銅貨1枚と交換でそれを受け取ったユウは肩を落としたまま店を後にした。




 一旦宿に戻ったユウは夕食時になると安酒場『泥酔亭』へと向かった。六の刻の鐘が鳴る頃は日没後なので足下がおぼつかない。周りの人が掲げる松明たいまつの光が頼りだ。


 ともかく、割と混雑している店内を進んでカウンターに座る。すぐに給仕を呼んだ。エラがやってくる。


「常連目指して通ってきてるのね。嬉しいわ」


「明日からまた3日間森に入るけどね」


「また昨日みたいにパンとスープだけなの?」


「今食べるのは。他にも、この水袋2つに薄いエールを入れてほしいのと干し肉を8食分売ってほしいんだ」


「あら、まるで冒険者みたいなこと言うのね」


「冒険者なんだよ、僕は。で、もらえるの?」


「いいわよ。水袋は貸してちょうだい。タビサさーん! 黒パンとスープ、それに干し肉8つと水袋2つに薄いエール!」


「あいよ! おや、ユウじゃないか。旅人か冒険者みたいな注文するんだねぇ」


「だから冒険者なんですってば」


 カウンターの向こう側から灰色の頭巾を被った愛嬌のある顔が現れた。店主に対してもため息をつきながらユウは自分の職業を主張する。


 水袋2袋を受け取ったタビサが奥に引っ込むとエラもホールへと向かった。


 注文の品が来るまでユウはカウンター席に座って待つ。財布の中身は鉄貨5枚しかない。新年早々鉄貨10枚しかなかったので元に戻ったとも言えるが、これで何かあったら立ち直れないだけに身震いする。


 ふとユウはかつて獣の森で出会った出戻りグループのことを思い出した。再起を図るために獣の森へと戻ってきたとケントから説明されたが、ユウにもその可能性は充分にあることを実感する。他人事ではないのだ。


 カウンターの奥からタビサが顔を覗かせた。パンとスープ、それに干し肉と水袋をユウの目の前に置いてゆく。


「これで全部だよ。確認しておくれ」


「はい、確かに」


「いい買いっぷりじゃないか。これからもどんどん買っておくれ」


「はい、お世話になります」


「それじゃ、ゆっくりとしていっておくれ」


 笑顔を浮かべたタビサが再びカウンターの奥へと引っ込んだ。


 干し肉と水袋はそのままにユウはパンを手に取ってちぎる。そして、たっぷりスープに浸したそれを口に放り込んだ。

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