稽古の時間
夜明けの森から出てきた翌日、ユウは三の刻の鐘が鳴る前に起きた。
寝台から起き上がったユウは周囲を見る。安宿屋『ノームの居眠り亭』は冒険者と旅人が主要客なので、大部屋の中にはあまり人がいない。近場を見ると、フレッドとレックスはまだ寝ていたが、アーロンとジェイクの姿はなかった。
今日と明日は休息日だと聞いていたユウは白い息を吐きながら大部屋を出る。すると、そこでアーロンとジェイクの2人とばったり出くわした。
驚いているユウに2人が挨拶をする。
「起きたか! フレッドとレックスはまだ寝てんのか?」
「はい。起こした方が良かったですか?」
「ほっとけ。もうじき起きるだろ」
「おはよう、ユウ。お前もこれから用を足しにいくのかな」
「そうです。ジェイクはもう済ませたんですか」
「ああ。今はもうかなり人の数が減ったからすぐにできるぞ」
建物の前で白い息を吐きながら3人で言葉を交わした。夜明けの森へと行かない日はのんびりとしたものである。
単なる挨拶なのですぐに立ち去ろうとしたユウだったが、建物に入っていくジェイクとは違ってアーロンは動かなかった。そのままユウに話しかける。
「ユウ、今日の昼からと明日の朝は空けとけよ。稽古をするからな」
「1日目か2日目を丸々使うんじゃないんですね」
「それをやるときついんだ。1日目の朝、例えば今なんかだと昨日の疲れが取れきってねぇし、2日目の昼からに修行すると翌日の朝に疲れが残るかもしれねぇ。本業に影響が出ねぇように気を遣う必要があるんだよ」
「なるほど。ということは、買い物はそれ以外のときに済ませるんですね」
「そういうことだ。時間は充分にあるだろ?」
「はい。今日の昼からっていうのは四の刻の鐘が鳴るときですか?」
「もうちょい後でもいい。昼飯を食ってからにしよう。どうせ六の刻近くまでするからな」
「わかりました」
「そうか、だったらもうクソしに行っていいぞ!」
言いたいことを言い終えたアーロンは機嫌良く言い放つと建物の中へと入った。
それを見送ったユウも建物の裏手へと回る。そして、強烈な臭いに出迎えられた。
昼食を終えたユウを待っていたのはアーロンだった。安宿屋『ノームの居眠り亭』の大部屋から出た2人は宿の南に広がる原っぱに向かう。ユウは棍棒、アーロンはレックスの
どんよりとした曇り空で空気は冷たいが、幸い風はほぼない。宿の建物からある程度離れたところで2人は立ち止まった。
先頭を歩いていたアーロンは振り向くと両手を腰に当てる。
「これから稽古を始める。この3日間色々とお前の戦い方を見てきたが、棍棒の使い方は恐らく我流なんだろう。基本殴れたらいいわけだから問題ねぇんだが、素人臭さが目立つ。
「はい」
「次いでダガーなんだが、こいつは妙に扱い慣れていたな。どこかで習ったのか?」
「冒険者ギルドの戦闘講習で習いました」
「誰に習った?」
「確か、ケヴィンっていう人です」
「あいつか。だったら間違いないな。棍棒に話を戻そう。森でお前の戦いを見ていると珍しい戦い方だった。棍棒を軸にした戦い方を考えてああなったんだろう。ただ、あの戦い方だと悪臭玉が使えなくなると一気に苦しくなる」
「前にちょっと指摘してくれてましたよね」
「そうだったな。でだ、そもそも棍棒で戦うのが不向きな魔物はともかく、そうでない魔物とは悪臭玉なしでも戦えるようになっておくべきだ」
その指摘にユウはうなずいた。前から密かに考えていたことである。しかし、今までどうにも打開策を見つけ出せなかったのだ。
「ということで、今から俺がお前に棍棒を使った戦い方を伝授しよう。正直なところ限界はあるがな。ダガーに関しては明日の朝、ジェイクに教えてもらえ。その後、棍棒とダガーを使った戦い方を教える」
「質問があります。いいですか?」
「いいぞ、何でも言ってみろ」
「今はお金がなくて棍棒を使ってますが、そのうち他の武器に買い換えることになります。そうしたら今までの訓練は無駄になりませんか?」
「いい質問だな。結論から言うとムダにはならねぇ。理由は、棍棒での戦い方とは言ったが、実のところ打撃系武器の技を教えることになるからだ。つまり、
「共通の戦い方ですか」
「その通り! もちろんその武器特有の戦い方ってのもあるが、根底にある基本を押さえておけば応用は利くもんだ。だから、稽古して損をすることはない」
思った以上に理論的な話にユウは少し目を見開いた。ひたすら根性論という可能性も考えていただけに受け入れやすい。
目を輝かせてきたユウを見て満足そうにうなずいたアーロンは
「まずは俺と同じ格好をしてみろ。これは剣の構えと同じだ。片手で扱える打撃系武器で大抵使える」
「こうですか?」
「なかなか様になってるじゃないか」
「ダガーを教えてもらったときの構えに似てますから、真似てみたんです」
「なるほど、確かに同じだな! そうやって似たようなものを流用するってのは大事だぞ。これからもどんどんするんだぜ!」
「はい!」
こうして、ユウは構えから始まって、殴り方、攻撃の受け止め方などを学んだ。戦闘講習以外で本格的に学んだといえば、薬草採取グループの先輩から教わったくらいである。ユウにとっては非常に貴重な機会といえた。
しかし、機会は貴重とはいえ、決して楽ではない。反復練習はまだしも、体の動かし方や技を仕掛ける順番などを習うときに
「痛っ!」
「ちょっと当たっちまったなぁ。その痛みは覚えとけよ。実戦じゃ死に繋がる痛みだからな! ほらもう一丁!」
顔をゆがめるユウに割と容赦なくアーロンは笑顔だ。楽しんでいるようにしか見えない。
実際の心中はどうか不明ながらも、ユウにとっては厳しい修行だった。真冬にもかかわらずいつの間にか頭から湯気が出ている。
日が傾く頃には、ユウはほとんど立つことができないでいた。夜明けの森で戦った後にもこれほどばてなかったのにと顔を歪ませる。走り込みで体力を付けていた自信が崩れた。
「今日はここまでだ。最後までついてこれたのは褒めてやろう。ただ、おっさんに体力で負けてるようじゃまだまだだがな。明日の朝はジェイクに教えてもらえ」
「は、はい。わかりました」
機嫌良く宿に戻るアーロンの後をユウが足を引きずるようにしてついていった。夕食のために酒場まで歩く自信がない。ともかく宿の建物を目指した。
翌朝、今度は宿の南に広がる原っぱでジェイクと向かい合う。昼に比べて冷え込みが厳しいが、ユウは昨日の経験からすぐに気にならなくなることを覚悟していた。
次の師匠であるジェイクがユウに向かって語りかける。
「昨日はかなりしごかれたらしいな。疲れは残ってるか?」
「気になるほどじゃありません」
「ならよし。俺はダガーについて教えるように言われてるが、アーロンによると冒険者ギルドの戦闘講習を受けていたそうだな」
「はい。ケヴィンさんです」
「聞いてる。ということは、基礎は知ってるわけだ。だったらまずはそれを確認して、次に進もう。まずは構えからだ」
「はい」
かつてケヴィンに教えられた構えをユウは披露した。一通り見せると、次は格闘術を開陳するよう求められる。
「なるほどな。基礎はできてるわけだ。だったら実践的なことを教えてもいいか。ユウ、お前との稽古は試合形式でやろう。知ってることを俺にぶつけてこい」
「わかりました。まずはダガーを持って戦いますか?」
「そうだな。それからいこう」
うなずいたジェイクが腰に下げていた鞘からダガーを引き抜いた。流れるような手つきはそれだけで手練れであることを示す。
一方、ユウも腰からダガーを抜いた。すぐに順手で構える。そして、ジェイクの先制で始まった。
この後、試合形式で何度も稽古を繰り返すが、いずれもユウが一方的にやられては立ち上がるということを繰り返す。それは格闘術になっても変わらなかった。常に一歩先、わずかに上回られ続ける。昼近くになる頃には膝を突いて立ち上がれなくなっていた。
そんなユウの姿を見たジェイクがダガーを鞘に収める。
「今日はここまでにする。これからしばらくはこんな感じで稽古をしよう」
ユウの返事を待たずにジェイクは宿の建物へと歩き始めた。
大きく息を繰り返すユウはしばらく動けない。立ち上がれるようになったのは、四の刻の鐘が鳴った頃だった。
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