冒険者が見る風景(後)
ノームの居眠り亭は典型的な安宿だ。西端の街道に面した街の南端にある粗末な建物がそれであり、中は大部屋1つに所狭しと寝台が並べられている。この寝台1台につき2人か3人がひしめいて横になるのだ。
そうなると残り3人は非常に狭い思いをするわけだが、それを少しでも解消するために真ん中で眠るジェイクだけは逆さを向いて寝ていた。頭の両隣にフレッドとレックスの足があるので、どちらか一方でも寝相が悪いと大変なことになる。
1つの寝台で他人と一緒に寝ることにはユウも慣れているので困らなかったが、一の刻の鐘が鳴って目が覚めたときに起きようか迷った。以前は走り込みや素振りをしていたのだが、結局この日はそのまま眠る。
二の刻の鐘が鳴った。夏なら日の出の時間だが1月だとまだ真っ暗である。それでも起き上がる者たちは割といた。それは冒険者だったり旅人だったりとまちまちである。
三の刻が近くなってようやく辺りが明るくなってきた。この頃になると残りの宿泊客も寝台から起き上がる。
ユウたち
ぼろい布をずらして起き上がったアーロンに対してユウは声をかける。
「おはようございます」
「おう。やっぱ
「真冬ですからね。ところで、今日は夜明けの森に行くんですか?」
「何も言ってなかったか? 今日から3日間森に潜るんだぞ」
「3日間? 森に潜る? 森で寝泊まりするってことですか?」
「そうだ、ちゃんと準備しておけよ。俺はクソしてくらぁ」
まだ眠たそうなアーロンは寝台から起き上がって大部屋から出て行った。
もう1つの寝台へとユウが目を向けると、ジェイク、フレッド、レックスが
気になったのでユウも自分の背嚢の中を覗き込んだ。これが全財産なので森に入るのに不要な物もあるが、今見るべきは必要な物が揃っているかである。
まずは干し肉だ。食は大原則である。一応8食分あるが、3日間の食料としては不安がある。次いで水袋だ。中には薄いエールが入っている。しかし、入っているのは1日分だけだ。3日間に分けて飲めばいいのだろうか。
他には、虫除けの水薬がある。中瓶にあと3回分ほど残っているのでこれは大丈夫だろう。他には悪臭玉が10個ある。昨日の戦いでは使わなかったが、魔物にも有効ならば切り札になるのは間違いない。
こうしてみると食料に不安があるのがわかった。ならば買い足せば良いのだが問題が2つある。1つは今が早朝の時間帯ということだ。酒場も市場も三の刻前には開いていない。つまり、買える店がない。もう1つは所持金がほぼないという点だ。今ユウの財布には鉄貨48枚しかない。干し肉ならば買えて1食分か2食分、薄いエールなら何日か分か買えるが今度は入れ物である水袋がない。
「どうしよう」
「ユウ、どうした?」
思い詰めた顔をしたユウにジェイクが声をかけた。自分の背嚢から離れてユウに近づく。
「何か困ったことでもあったのか?」
「アーロンに森に入る準備をするように言われて持ち物を確認していたんですが、食料に少し不安があるんです」
「今の時間じゃ店も開いてないしな。そうなると誰かから分けてもらうことになるが、それはそれで金がいる」
「もう1つの問題がそれなんです。僕、今の全財産が鉄貨48枚なんですよ」
「なんでそんなにぎりぎりなんだ? 晩飯はおごってやったから銅貨は丸々、ああそうか、証明板に使ったのか」
「はい。元々の所持金が少なかったんでこんなことになってるんです」
「あーこれは」
話を聞いたジェイクが頭を抱えた。そこへアーロンが戻って来る。
「ふうすっきりしたぜぇ。なんだ? なんでジェイクが頭を抱えてるんだ?」
「ああ、ちょうどいいところに来たな。ユウのことで話があるんだ」
気分爽快といった顔のアーロンにジェイクがユウの事情を説明した。アーロンの表情は困惑へと移っていき、最後は渋い顔になる。
「話はわかった。普通こういうときは貯めてる金を使わせて装備を調えさせるもんだが、今回は足りないままやらせよう」
「いきなり食糧不足の状態ってのは不安がありすぎやしないか?」
「ジェイクのいうことはわかる。だからこうしよう。いつもは3日間森に潜るが、今回は2日間にする。これなら少なくとも干し肉の問題は解決するだろう。水の問題は水袋1袋でやり繰りさせる」
「それならまだいいが」
「俺たちがいる間にできるだけユウには痛い目に遭わせよう。独立してから痛い目に遭ったとして、それが致命傷になっちゃ目も当てられねぇからな。わかったか、ユウ」
「はい」
「冒険者は自分のことは自分でするのが基本だ。お前さんの事情は俺も知ってるが、それでもこの大原則は変わりねぇ。最初から少し厳しいが耐えてみるんだ」
「わかりました。あ~水袋がどこかに落ちてないかなぁ」
「んな都合良く落ちてるわけねぇだろ! 大体そんなもん危なっかしくて使えねぇぞ。そんなことより、お前もジェイクも早くクソに行ってこい!」
ぼやいたユウに苦笑いしたアーロンが急かせた。その言葉にジェイクは素直に従って大部屋を出て行く。
一方、ユウはその場を離れなかった。不審に思ったアーロンが問いただす。
「どうした、まだ何かあんのか?」
「ちょっと相談なんですけども、僕前は一の刻の鐘が鳴ったら起きて走り込みと素振りをしていたんです。このパーティに入ってからもやるつもりでいたんですけど、前と働き方が違うんでどうしようかと悩んでいるんです」
「熱心だな。それ自体は褒められたことなんだが、しばらくはやらない方がいい」
「どうしてなんですか?」
「まずは今の生活環境に慣れることを優先するんだ。疲れて動けませんでした、なんて言い訳は夜明けの森の魔物にゃ通用しねぇからな」
「ああなるほど。確かにそうですね。だったら、生活に慣れてから再開すればいいんだ」
「そうだ。ただし、これからその生活の中には俺たちの仕込み、言ってみれば修行や訓練だな、これも入ることになる。その上で判断するんだぞ」
「修行や訓練?」
「おいおい忘れたのか? お前を一人前にするって話しただろう。そのための仕込みだ。それをやってもまだ体力が余ってるってんなら好きにすればいい」
思った以上にこれからの予定が詰まっていることを知ったユウは顔を引きつらせた。これはしばらく走り込みも素振りもできなさそうだと覚悟を決める。
とりあえず今日明日のやるべきことがわかったユウは大部屋を出た。外はすっかり明るい。建物の裏手に回ると桶がいくつも並んでおり、そこで男たちが力んでいる。
「うわぁ、くっさ」
風向きのせいで近づくといきなり強烈な臭いがユウを襲った。食欲が一気に失せる。
宿は安宿街の南端にあるので南側は原っぱだ。そこで使えそうな葉と石を取ってくる。
行列に並んでしばらく待つとユウの番になった。少し大きめの桶だがそれでも中身が盛り上がっている。この寒い中、ほのかに温かさを感じて顔をしかめつつもズボンを下ろして用を足した。終わると持ってきた葉と石できれいにしてからズボンを上げる。
「ふう」
気分爽快といった顔のユウが大部屋に戻ってきた。仲間四人は寝台に座って干し肉を囓っている。ユウも自分の背嚢に取り付いた。
それに気付いたレックスが声をかけてくる。
「ちゃんとクソしてきたか?」
「済ませましたよ。あそこひどい臭いですよね。鼻がひん曲がるかと思いました」
「オレもだ! ところで、今日から2日間森に潜るって話は知ってるか?」
「さっき聞きました。前は日帰りで森に入っていたんで驚きましたよ」
「慣れたら大したことねぇよ。魔物の危険性はあるけどな」
話をしながらユウは背嚢から干し肉を取り出した。小さく囓る。いつもの味だ。水袋を口に付けたくなるが我慢する。明日までこれ1袋で過ごさないといけない。
これから2日間の食事の予定表をざっくりと考える。予定通りにならないとしても方針は必要だ。手持ちの食料と食事の時間を突き合わせて組み立てていく。
アーロンの言う通り、干し肉は何とかなりそうだ。問題は水袋の中身である。理論上はともかく、実際にはどう考えても足りない。しかし、飲まないわけにもいかない。
何度か干し肉を囓っていると喉が渇いてくる。森の中でこの乾きに我慢できるのか不安だ。腰の水袋を見ては手を止める。
アーロンが出発の号令をかけた。ユウは干し肉をしまって背嚢を担ぐ。大部屋から出ようとしている仲間に慌ててついていった。
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