冒険者が見る風景(前)

 冒険者ギルド城外支所を後にした古鉄槌オールドハンマーの面々は貧者の道を東へと進んだ。既に日が暮れて辺りは真っ暗だが、往来する人々の掲げる松明たいまつの明かりでかろうじて道を歩ける。


 新年初日の夜は冷え込んだ。これから寒くなる一方だが、現在も寒いものは寒い。厚着ができない者たちは顔と体を震わせながら往来していた。


 体を震わせる者の中にはユウも含まれている。外套も買えなかったので寒いことこの上ない。


 そんなユウの様子を見たフレッドが声をかける。


「寒そうだな。マントを被ったらどうなんだ? 風邪ひいちまうぞ」


「お金がなくて買えなかったんですよ。背嚢はいのうと二択で、荷物を持って歩く方を優先したんです」


「そんなにぎりぎりだったのか」


「僕の最初の予定だと、今年はまだ薬草採取で稼ぐつもりでしたからね。革の鎧の件がなかったらもっと余裕がありました」


「だから証明板の金もなかったわけかぁ」


 盛大に白い息を出したフレッドがユウに同情の眼差しを向けた。結果的に古鉄槌オールドハンマーがユウを急かした形になるので歯切れが悪い。


 安宿街と市場を過ぎると貧者の道は北東に曲がる。更に道が真北へ延びる辺りから安酒場街が道の東側に広がり始めた。


 ユウのよく行く泥酔亭ならばこの南部にあるが、アーロンたちは更に北へと進む。安酒場街の中程まで歩いてそれから中へと入った。途端に酒精と嘔吐の臭いが混じったひどい臭いが鼻をついてくる。


 去年まで街の仕事で昼間に通り過ぎるだけだった場所をユウは興味深そうに眺めた。その様子に気付いたレックスがユウに声をかける。


「この辺は珍しいのか?」


「仕事で安宿街に行くときに通り過ぎていただけでしたから。ここ自体に用があるのは実は初めてなんですよ」


「そうか! 今から行くところはオレたちの行きつけの酒場なんだぜ。ここが結構旨くてよぉ。ユウも絶対気に入るぜ!」


「知り合いのいる安酒場にはたまに行ったことがありますけど、そういえば他には行ったことがないなぁ」


「ならちょうどいいだろ。オレたちの酒場『昼間の飲兵衛亭』に招待してやるぜ!」


 酒場に近づくにつれて機嫌が良くなるレックスが笑顔でユウの肩を叩いた。


 そのレックスの言う酒場『昼間の飲兵衛亭』へはすぐに着く。安酒場街の中程にある年月を感じさせる木造店舗だ。店内も同様で酒精と料理の匂いが渦巻いている。


 匂いを嗅いだユウの腹の虫が大きく鳴った。もちろん当人はそのことに気付いて恥ずかしげにするが、幸い周囲の話し声が大きくて誰も聞いていない。


 かろうじて空いている丸テーブルを見つけてアーロンが座ると、他の仲間も次々と丸テーブルを囲む。ユウも最後に座った。


 空の食器を持った給仕が近くを通りかかるとアーロンが呼び止める。


「おい、エールを5杯持ってきてくれ!」


「パンとスープも頼むぜ!」


「肉だ肉! 鶏、豚、牛、ハム、ソーセージ! あるやつ全部だ!」


 すかさずフレッドとレックスが続いて注文を追加した。給仕は顔を向けてうなずくとそのまま足早に去って行く。途端に周囲の喧噪が耳に戻って来た。


 何とも言えない表情のユウがジェイクに顔を向ける。


「あれでちゃんと注文が来るんですか?」


「俺たちはここの常連だからな。最初に頼む酒と料理は大体決まってるんだ。ちなみにエールは10杯来るからな」


「なんで注文の倍なんです?」


「最初の1杯はみんな一気に飲むからだよ。向こうだって忙しいんだ。すぐにまた注文を受けるなんて面倒は嫌なんだろうな」


 割と大きな声でしゃべっても聞き取りにくい中、ユウがジェイクの話を聞いていると早速酒が運ばれてきた。確かに木製のジョッキが10杯である。


 それぞれ1つずつ全員が手に取るとアーロンが木製のジョッキを持ち上げた。他の仲間もそれに合わせる。


「今日の成果に、乾杯!」


 全員が唱和すると木製のジョッキに口を付けた。ユウ以外は一気に傾ける。そして、ほぼ同時に大きな息を吐いた。肺の中の空気を全部外に出すかのような勢いである。


「っかぁうめぇ! やっぱこのために生きてるって感じがするよなぁ!」


「まったくだぜ兄貴! これでやっと帰ってきたって気がするよなぁ!」


「あ~腹に染み渡るぜぇ」


 空になった木製のジョッキを丸テーブルに叩き置いたアーロン、フレッド、レックスの3人は、しばらくその余韻にひたっていた。その間に肉料理が運ばれてくる。いくつかの木の皿に分けられて鶏、豚、牛、ハム、ソーセージが丸テーブルに置かれた。


 歓声を上げてユウ以外の4人が一斉に肉へと手を伸ばす。アーロンが鶏の固まりをナイフで分厚く切り取り、フレッドがハムとソーセージをわしづかみにし、ジェイクが豚の薄切りを2切れつまみ、レックスが牛肉の塊をぶった切ってかぶりついた。


 その様子をユウは木製のジョッキに口を付けたまま呆然と見る。以前にも何度か冒険者と飲み食いしたことはあったが、ここまでがっついてはいなかった。今目の前の光景は文字通りむさぼるという行為そのものである。


 完全に出遅れたユウだったが、それでも左手でソーセージをつまみ上げて口に入れた。噛むとぷつっと切れて弾力のある詰め物が口の中に広がっていく。


 他の4人が2杯目のエールを飲み干そうとする間にユウは料理を少しずつ摘まんでいった。その様子はさながら大型動物を避けながらおこぼれにあずる小動物のようだ。


 しばらくは空腹を満たすべく5人は食事に集中する。その間、木製のジョッキの数は確実に増えていった。そこへパンとスープも追加される。もはや丸テーブルの上は混沌だ。


 他の仲間の半分も飲んでいないユウが半ば呆然とつぶやく。


「いつもこんな感じなんですか?」


「そうだぜ! 腹が減ってるときはこんなもんだ! すごいだろう!」


 顔を赤くしたアーロンが楽しそうに木製のジョッキを傾けていた。その脇でフレッドとレックスはまだ食べている。その速度が落ちない。


 そんな2人の様子など気にすることもなくアーロンがしゃべる。


「もっとも、今日はユウの初冒険を祝うっていう意味があるから、少しばかりいつもよりも派手かもしれんがな」


「僕の初冒険」


「そうだ。どんな奴にでも最初ってのはあるだろう? その記念すべき第一歩は祝ってしかるべきだろう」


「理由をでっち上げて酒を飲みたいっていうのが本当のところなんだけどな」


「ジェェイクゥ! 本当のことを言えばいいってもんじゃねぇぞぉ!」


 いい感じに話を進めようとしたアーロンが、横やりをかましてきたジェイクに叫んだ。そのジェイクは楽しそうにアーロンの態度を眺めている。


 2人の様子を見ながらユウは木の皿にスープをよそってパンを1つ手にした。黒っぽいパンは少し力を込めないとちぎれてくれない。ようやくちぎった一切れをスープに浸してかき混ぜてから口に入れる。嘘のように柔らかくなったパンが口内に広がった。


 肉を食べるときとはまた違った幸せをユウが感じていると、今度はアーロンが話しかけてくる。


「そういや、今朝だったか? お前、薬を作れるって言ってたよな?」


「ええ。簡易式製薬道具というのを持ってますから。さすがに大量には難しいですけど」


「俺たちの分も作れるか? 毎回3日ほど森に入るんだが」


「5人分を3日間ですか。作る薬によりますけど、水瓶なんかを用意してしばらく置いておける場所があるならば」


「あーそりゃ難しいなぁ」


 木製のジョッキを置いたアーロンは渋い表情を浮かべた。理由がわからないユウは首をかしげる。


「俺たちは安宿の大部屋で寝泊まりしてるから、個人の物を置く場所がねぇんだ。中にはパーティ単位で部屋を長期契約してるところもあるが、俺たちはそうじゃねぇ」


「そうなると無理ですね。でもそうなると、身に付けられる物しか持てないってことですか?」


「そうだ。大半の冒険者はそんなもんだぜ。大部屋に物を置いた日にゃ、必ずなくなっちまう。冒険者ギルドに金を払って保管してもらう方法もあるが、あれは割に合わねぇ上に消えてなくなる可能性まである」


「その噂は本当だったんだ。それで、みんなが使ってる宿ってどこなんです?」


「冒険者ギルドの目の前で、安宿街の南端にある『ノームの居眠り亭』っていう安宿だよ。宿の南側に有料の屋根付きの簡易調理場があるが、ほとんど誰も使ってねぇな」


「冒険者の生活って、街に帰ってからも大変そうですね」


「なぁに、慣れちまえば大したことねぇよ」


 にやりと笑ったアーロンは手にしていた木製のジョッキを口にした。しかし、ほとんど残っていなかったことに気付いて給仕を呼びつける。


 こうして、酒場の夜は更けていった。最終的に七の刻の鐘が鳴るまで酒場に居着く。


 酒場を出るとき、あれだけ飲んでおきながら足下がしっかりしているのを見てユウは密かに感心した。

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