第3章 夜明けの森

冒険者登録はできたけど

 黒目黒髪の少年が背嚢はいのうを背負って貧民街から現れた。軟革鎧ソフトレザーを装備し、腰にいくつかの道具をぶら下げた姿は典型的な若い冒険者である。ただ、右手に棍棒を持っているのは珍しい。


 新年初日の朝、白い息を吐き出しながらその少年は貧者の道を西へと進む。既に三の刻に近いので薄汚れた貧民や旅人が行き交っていた。道の南側の風景が市場から安宿街に移り、更に進むと南北に延びる西端の街道に出る。


 アドヴェントの町へ向かう人の流れを無視した少年は、街道を横切って冒険者ギルド城外支所の建物の中に入った。東側の壁から20レテムほどの場所に受付カウンターが南北に延びており、その奥に受付係の職員が並んでいる。


「よお、ユウ! こっちだ!」


 室内には数多くの人々がいてかなり騒々しいが、それに負けない大声で少年は名前を呼ばれた。北側の壁の端に4人のむさ苦しい武装した中年たちが一塊になって立っている。その中の1人、丸坊主で厳つい顔の男が右手を振っていた。


 安心したかのような明るい顔になったユウがそちらへと向かう。


「アーロンさん!」


「はは、アーロンでいいぞ! もう仲間だからな! さん付けなんぞめんどくせぇ!」


「お、割とリュックに詰め込んでんな?」


 口の周りに濃い髭を蓄えたフレッドが大きな体の上に乗った頭を傾けた。普通、新人冒険者は武具を整えるので精一杯だからだ。


 不思議そうに尋ねてくるフレッドにユウは大きくうなずく。


「ちょっと色々と入ってますけどこれで全部です。ちゃんと動けますよ」


「いやしかし、話には聞いてたけど本当に棍棒なんだな」


「どんな戦い方をするのか、こいつぁ楽しみだぜ!」


 やや小柄で精悍な顔つきのジェイクと頭頂まで禿げた頭につぶらな青い目のレックスが、棍棒に視線を注いでいた。


 中年3人の話をよそにアーロンがユウに話しかける。


「これからユウは俺たちと一緒に活動するわけだが、その前に1つやっとかにゃならんことがある。冒険者登録ってやつだ。これをやらねぇと夜明けの森に入れねぇからな」


「3年くらい前に僕が断られたやつですね。そうか、やっとあれができるんですか」


「おうよ! 登録は名前と性別と年齢と、あと何だったかな? まぁともかく、いくつか受付の係に言えばいいだけだ。できたら証明板ってやつをもらえるから、そいつを持ってきて登録完了だ」


 説明しながらアーロンは腰の巾着袋から1枚の板を取り出した。それは手のひら程度の大きさで、木製の板に文字の刻まれた薄い銅板が貼られたものである。


 目の前に差し出された傷だらけの証明板を見たユウが目を輝かせた。その表面には『アドヴェント冒険者ギルド アーロン』と刻まれている。


「へぇ、ギルド名と名前が刻まれるんですね」


「俺は文字がわかんねぇから読めねぇけどな。ともかく、これで晴れて冒険者になれるってわけだ」


「わかりました。それじゃ登録してきます!」


 元気よく白い息を吐き出したユウは早速受付カウンターへと向かった。目指す先は新年から頬杖をついてやる気のなさそうなレセップだ。


 以前と同じように受付カウンターの前に立つとユウはレセップに声をかける。


「おはようございます、レセップさん。冒険者登録をお願いします」


「ちっ、おめーか。朝から嬉しそうな顔をしやがって」


「3年くらい前に断られたことができるようになったんですから、そりゃ嬉しいですよ」


「あーそんなこともあったな。にしても、とうとう冒険者になったわけか。こっからはこっからできついぞ。覚悟しておけ」


「どうして素直に祝ってくれないんですか?」


「だから祝ってやってるだろうが。ちょっと待ってろ」


 面倒そうな顔をしたまま立ち上がったレセップは奥へと向かった。


 その間じっと待っているユウの背後からアーロンが声をかける。


「おいおい、まさかレセップの奴を働かせるなんて、お前一体何やったんだ?」


「みんなに聞かれますけど、そんなに不思議なことなんですか?」


「あいつ働かないことで有名なんだぞ。知らねぇのか?」


「聞いたことはありますよ。そういえば代行役人の人も嫌そうにしてたなぁ」


「は? お前一体何やらかしたんだ」


「何もしてませんよ。されただけです」


 2人で話をしていると、フレッド、ジェイク、レックスの3人も寄ってきた。一様に怪訝な表情を浮かべている。その様子がユウには不思議でならなかった。


 手に羊皮紙を持って戻って来たレセップがユウ以外の4人を見て顔をしかめる。


「朝からむさ苦しい顔を見せるんじゃねぇ」


「相変わらずひっでぇな、レセップ。珍しく仕事をしてっから思わず見に来ただけだ」


「俺だってたまにはするさ。ほれ、ユウ、今から質問するから、いや待て、お前文字が書けるんだったな。だったら自分で書け」


「なんだ中途半端に仕事しねぇな」


「うるせぇよ」


 ユウの頭越しにレセップとアーロンが憎まれ口を叩き合った。


 その下で、差し出されたペンとインクを使ってユウは羊皮紙の項目欄を埋めていく。名前、性別、年齢、出身地と書くこと自体は難しくない。


 書き終えたユウはレセップに羊皮紙を返した。ついでにペンとインクも添える。


「書けました。どうぞ」


「早いな。よし、それじゃ銅貨1枚用意しとけ。今から証明板を作って持ってきてやる」


「え? 銅貨1枚? お金がいるんですか?」


「証明板の方は冒険者に渡すやつだからな。なくして再発行するときも金がかかるから大事に持っとけよ」


「あの、僕、お金ないです」


「は?」


「ですから、銅貨1枚持ってないんです。今の全財産鉄貨10枚なんで」


 肩を落としたユウの返答を聞いたレセップはアーロンへと目を向けた。しかし、話を聞いていたアーロンもレセップ同様困惑した表情を浮かべている。


「おい、アーロン。お前、これ知ってたか?」


「そもそも証明板に金がかかるってことを忘れてた。が、銅貨1枚もねぇってのは知らなかったな。普通は持ってるはずなんだがなぁ」


「あの、冒険者になるために色々と道具を買ったりしてたんで、ぎりぎりになったんです。最後に背嚢を買わないといけなかったんでどうしても」


「あーあーもういい。お前の事情はよくわかった。っつーかそんなもん聞いてもしょうがねぇ。くそ、どうしたもんかな」


 思わぬところで蹴躓いたユウを前にレセップが座席に座った。古鉄槌オールドハンマーの面々も呆然としている。


 予想外の事態で前に進めなくなったユウは何とかならないか考えた。そこでふと疑問が湧いたのでレセップにぶつけてみる。


「その証明板って何のためにあるんですか?」


「こいつは冒険者が冒険者ギルドに所属している証だ。町民にとっての身分証明書みたいなもんさ。こいつがありゃ、少なくとも根無し草じゃねぇってことは証明できるんだよ。町民にとっちゃ貧民と大して変わんねぇなんて思う奴もいるがな」


「他には何かありますか?」


「他だぁ? あー、冒険者ギルドにどの程度貢献しているかを明らかにするって意味もあるな。証明板にゃ、鉄、銅、銀、金の4種類あるが、順に貢献度が高くなる。最初は鉄で、次は銅、普通はここまでだ。銀は特大の貢献が必要だし、金に至っては歴史的な貢献をしなきゃならん。ま、生活だけを考えるんなら気にしなくてもいいな」


「今の話を聞くと、僕たちが身分証明するときに必要になるんですね」


「まぁそうなるな」


「だったら、夜明けの森に入るのにも必要になるんですか?」


「あ?」


「夜明けの森に入るには冒険者登録が必要ですけど、それって今の紙のことですよね? ということは、証明板がなくてもとりあえず森には入れるんじゃないですか?」


 半ば呆然としていたレセップの顔が真剣なものへと変わった。ちょっと待ってろと言い残して再び奥へと向かう。


 規則の穴を突くような提案を受け入れられるかは五分五分だった。駄目なら獣の森で薬草採取をして稼ぐしかない。


 やがてレセップが微妙な表情を浮かべながら戻って来た。座席に座ってからユウを見ると若干渋い表情に変化する。


「一応森には入れるそうだが、できるだけ早く証明板を引き取れよ。まるでやましい人間を雇ってるみたいでこっちも体裁は良くないんだからな」


「わかりました。ありがとうございます」


「ったく、お前って本当に面倒なことばっかり引き起こすなぁ。もっと普通に活動しろ、普通に」


「が、頑張ります」


「よっしゃ、これでこいつもようやく冒険者なんだな!」


「お前も早くこいつを稼がせてやれよ。こんな貧乏くさい冒険者なんぞ価値ねぇんだから」


「はは、任せろ! がっつり稼がせてやるぜ!」


 呆れた顔のレセップが嫌味を言うがアーロンはまったく気にしていなかった。それを見たレセップがため息をつく。


 ともかく、どうにか冒険者になれたユウは安堵のため息をついた。

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