友人の旅立ち

 ユウが町の外に出て3度目の春がやって来た。既に町の中にいた年数と外で生活した年数が等しい。


 町の中への郷愁を最近ユウはあまり感じなくなっていた。いよいよ自分も貧民になるのだなと今になって思う。


 2年間も薬草採取のグループで活動しているユウはもう完全に中堅のメンバーだ。アルフの共同生活集団の中でも古参になりつつある。本人はあまり実感がないようだが、すっかり頼るより頼られる機会の方が多い。


 一時は戦力的に問題があったグループの狩猟組は近頃安定してきている。ウォルトが棍棒を使った戦い方に慣れてきたのだ。当人は早く剣を買いたがっているが、夏頃まで無理だと知って肩を落としていた。


 そして今回、グループの採取組に大きな変化が訪れる。


 1つは新人のジョナスの参入だ。アルフが3月の後半に連れてきた少年である。肩まで伸びた髪に中性的な顔立ちの少年は、労働者だった両親が病死して路頭に迷っていたところを拾われた。アルフによると出会いは偶然だったという。


「あまり見かけない子だったから声をかけたんだよ。普通はあんまりそういうことはしないんだけど、ちょっと線の細い子だけどやっていけると思ったんだ」


「ジョナスです。本当は父ちゃんと同じ仕事をしようと思ってたけど、入れてもらえなかったんで冒険者を目指したいです」


 あまり積極的ではないものの、冒険者を目指すという点をアルフは重要視した。獣の森で仕事をする者はそうでないと狩猟組に転向してもらえないと知っているからである。


 採取組の大きな変化はもう1つあった。それはビリーの旅立ちである。


 去年の年末にその話を仲間にして以来、ビリーは本格的に旅立つ準備を始めた。実は去年の秋から薬師の助言を元に旅に必要な道具や雑貨を少しずつ揃えていたらしく、実際にはあまり苦労しなかったらしい。


「薬師の先生がこの春でアドヴェントの町から離れるそうなんだけど、僕を正式な弟子にして連れて行ってくれるって言ってもらえたんだ」


 3月になると薬師から旅立つ時期を教えられたビリーは仲間にも伝えた。前から全員が知っていたことだが、こうして改めて教えられると誰もが別れを強く意識する。


 旅の準備をしていたビリーだが、同時にもう1つ準備をしていた。それはユウとマークに対する引き継ぎである。薬師を目指していたビリーは室内に色々と道具を揃えていたが、持って行かないものは2人に使い方を教えたのだ。


「これは痛み止めの水薬の入った瓶、こっちは腹痛止めの水薬、そっちは虫除けの水薬、あれは悪臭玉の材料だから気を付けてね。この棚は薬草が入ってるんだ。ユウは知ってるよね。前に使っていたときから変わってないよ」


 こうして3月に入ってからビリーの説明が連日行われた。ユウは以前薬草や薬について教えてもらっていたので新しいことはあまりなかったが、マークは覚えることの多さにげっそりとする。


「こ、こんなにあるんですか」


「そうだよ。薬を買うとお金がかなりかかるから、できるだけ自分たちで作れるようになっておいた方がいいよ。今月中に全部覚えきれなくても、最悪ユウが全部知ってるから教えてもらったらいい」


「だったらユウに引き継いでもらったらいいじゃないですか」


「これから僕に代わって採取組をまとめるのはマークなんだから、本来は君が覚えるべきなんだよ。これユウがいなかったら、今月は特訓しなきゃいけなかったんだからね」


「うへぇ」


 逃げ場がないことを悟ったマークが膝から崩れ落ちた。


 当初は驚いたこの話も、3ヵ月もすると全員が落ち着いて受け止められるようになる。さすがに長期間別れを惜しむ機会があるのだ。最後の方は日常とあまり変わらなくなる。


 それでもユウは新年を迎えてからはできるだけビリーと接するようにしていた。グループに入って以来、一番色々と教えてくれた恩人であり、一番色々と話し合った友人でもある。今までで一番寂しいと感じる別れだ。


 出発の前日、3月末の謝肉祭の日、ユウはビリーを泥酔亭へと誘った。こういう祭の日は昼間から酒場に行っても怪しまれないのが良い点である。


 昼下がり、まだエラがホールに出てきていないときにカウンターに並んで座った。看板娘のサリーが注文した薄いエールを木製のジョッキに入れて運んでくる。


「ユウもこういうところに行ってたんだね」


「お祭りのときだけだよ。しかも1人で。きっかけが去年の降臨祭なんだ。喉が渇いて入ったのがここ。それ以来だよ」


「そうだったんだ。でも、これって家でも飲めるやつだよね?」


「本物のエールでも良かったんだけど、それは大人になってからって決めてたから」


「だったら僕はエールでも良かったかな。まぁいいや。こういうのは雰囲気っていうしね。ああ、だからここに誘ったんだ」


「当たり! 別れるときは酒を酌み交わすって聞いたことがあるからなんだよ」


 いつどこで聞いたのかはユウも覚えていなかった。しかし、最近になって思い出して気になっていたのだ。


 木製のジョッキを持った2人はそれを軽く当てる。


「ビリーのこれからの旅路を祝して」


「ユウのこれからの未来を祝して」


「「乾杯!」」


 言い終えると、ユウとビリーは木製のジョッキを傾けた。何度か喉を鳴らすとカウンターに木製のジョッキを置く。2人ほぼ同時に息を吐いた。


 少し間を置いてビリーが口を開く。


「うん、何となく家で飲むよりもおいしい気がするね。何となくだけど」


「そうでしょ。結局こういうことをする機会がなかったから、最後にいいかなって思ってね」


「なるほど、そいういうことなら悪くない。ユウは冒険者になるんなら、こういうことは当たり前のようにするんだろうね。僕は、どうだろう」


「旅先で出会った人とこういうことをすることもあるんじゃないのかな?」


「どうだろう。僕の師匠、あの薬師の先生のことね、だけど、あんまり他の人と会わないみたいなんだ。もちろん仕事の上では人と会って話もするんだけど、あっさりしてるっていうか」


「そっかぁ。じゃ、ビリーが一人前になって独立するまではなさそうなんだ」


「たぶんね。だからまだ10年くらいはお預けかぁ」


「うわぁ、長いなぁ」


 とりとめもない話で始まった雑談はあちこちへと話題が飛んだ。何かを話したくて一緒にいるのではなく、話すこと自体が目的なのでどちらも内容は気にしない。そういうこともあってそのうちジョッキそっちのけで会話を続けた。


 とは言うものの、話のネタは無限にあるわけではない。そのうち段々と今後のグループについての話に移っていった。


 特にビリーが気にしているのは採取組のマークだ。ユウにぽつりと漏らす。


「マークって人に言われて何か作業をする性格だから、問題が起きたら何もできなくなる可能性があるんだよね」


「あーうん、そんなところあるよね。逆にティムは勢いで何でも進めちゃおうとするから止めないとまずいときがあるし」


「そうなんだよ。マークで止められるのか心配なんだよね。一緒に引きずられかねない」


「ジョナスはまだ来たばっかりでよくわからないのが気になるかな」


「パットとは違う意味ではっきり言っちゃうのは気を付けないといけないよ」


「どういうこと?」


「パットは色々と考えて自分の要求をはっきりと言うからまだいいんだけど、ジョナスは見た感じ何も考えずに思ったことを口にしちゃうみたいなんだよね」


「ああそっか、知らずに喧嘩の原因を撒いちゃうんだ。そりゃ困ったな」


 獣の森で仕事をする上で喧嘩はご法度だ。獣に襲われたときに致命的な問題が起きてしまうからである。そのため、薬草採取のグループではメンバーの参加と脱退が頻繁に起きるのは当たり前のことだった。


 他にもビリーはユウに尋ねてくる。


「そうそう、ウォルトはどんな感じなの? 僕から見ると、年末と比べても結構頼りになるようになったって思うんだけど」


「実は僕はっきりとはわからないんだよね。ケントが言うには問題ないってことらしいけど。本人は剣がほしいってよく嘆いているよね」


「あーそれ聞いたことある」


「以前、ビリーに計算してもらったら春頃に買えそうって言ってた気がするんだけど、実際そんな計算してあげたの?」


「あれぇ、どうだったかなぁ」


 気まずそうなビリーが露骨に目を逸らした。もしかしたら計算間違いをしたのかも知れないとユウは苦笑いする。


 こうして、2人は木製のジョッキ1杯で六の刻の鐘まで話し込んだ。2年間の思い出をどちらもさらけ出す。お互い相手が忘れていた話もよくあった。


 そして翌朝、ビリーは笑顔で家を後にする。送り出す方も大げさなものではなく、単なる外出のような気楽さだ。ユウもその背中を割とあっさりと見送ることができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る