町の中と外(後)
年の瀬も迫るギルドホール内は年内最後の仕事をこなすために様々な人々が往来している。ユウの入った部屋でも必要な人材を求める商人やよりよい仕事を求める労働者が交渉していた。
そんな騒がしい室内の出入り口近くでユウは以前自分を追い払った男と向き合っている。しかし、いつまでもじっとしているわけにはいかない。
懐から羊皮紙を取り出したユウが男にそれを差し出す。
「これ、僕の人身売買契約書です。春に見せたやつと同じ物ですよ」
「確かにそうみたいだな。ということは、参加料も持ってきたのか」
「はい」
革袋から取り出した銀貨を1枚手にするとユウはそれも男に手渡そうとした。目には強い意志が宿っており、何としても仕事を得るのだという決意が見て取れる。
いつもなら慣れた手つきでその銀貨を受け取る男だったが、このときはすぐに手を出さなかった。渋い表情でユウを見る。
「お前みたいに町の外に出て行ったのにまた戻って来る奴は珍しい。相当頑張ったんだろうな。その点は評価するぞ。だが、その上で警告してやる。その銀貨を持ってここから立ち去れ。悪いことは言わない」
「どうしてですか? 僕はちゃんと規則通りにしているでしょう?」
「ああ、その通りだ。しかし、問題なのは規則じゃないんだよ。ここで仕事を探そうとしても絶対にうまくいかないってわかってるからだ。ここの受付係として本当はこんなことは言うべきじゃないんだが」
単に追い返したいというわけではないことはユウも男の態度から理解できた。それだけにその警告に困惑する。
返答出来ずに黙り込んだユウを男が見ていると、別の男が受付係の男に近づいて来た。嫌悪の表情を浮かべてユウを見ながら受付係の男に耳打ちする。終わるとすぐに去った。
受付係の男はため息をつくとユウに話しかける。
「俺も仕事があるからもう行かなきゃならん。最後にもう1度言っておく。そのまま帰れ。どうしても納得できないってんならその銀貨を今渡せ」
若干睨まれるように見つめられたユウは迷いつつも、歯を食いしばると銀貨を差し出した。それを受け取ると受付係の男は一瞬同情の表情を浮かべてユウから離れていく。
これでもう後には引けない。これからの自分の未来のためにもユウは真剣な顔つきで会場の奥へと進んだ。
ギルドホールが開いているのは、三の刻の鐘が鳴るときから六の刻が鳴るときまでだ。これは年中変わりがない。利用者もそれを知っているので六の刻が近づくとギルドホールから出ていくし、鐘の音と同時に仕事を終えたい職員に追い出される。
人材斡旋業の交流会も例外ではない。昼頃は盛況だった会場内も夕方になるにつれ空いてくる。六の刻前には日が暮れ、室内には
会場の壁の端でユウはその様子を呆然と眺めている。あれだけ騒がしかった広間に響く声は随分と寂しくなっていた。ぼんやりと先程のことを思い返す。
銀貨を渡してからのユウは目に付いた商人か職人らしき人物に話しかけていった。ここでは遠慮などしていてもいい結果は得られないからだ。何としても自分を売り込まなければならない。
ところが、まったく相手にされなかった。話も聞いてもらえなかったのである。誰もが嫌悪の表情を浮かべて手を振って追い払おうとするか、自分から立ち去っていった。
話をして条件が合わないというのならばともかく、会話すらできないことにユウは衝撃を受ける。しかもその原因がわからない。
何度挑戦しても結果は同じだった。会話もできないので理由を教えてすらもらえない。これでは対策もできなかった。困惑は次第に焦りへと変わる。
もう人を選んでなどいられなかった。まだ声をかけていない人々に片っ端から近づいていく。条件など言っている場合ではない。とにかく今日ここで決めてしまわないといけないのだ。しかし、結果は変わらない。
何度も挑戦しているそのとき、ある使用人希望者に声をかけられた。いや、これは罵声を浴びせられたと言った方が正しいだろう。
「お前みたいな怪しい貧民がなんでここにいるんだよ。さっさと町の外に帰れ!」
それを聞いていた周囲の人々はみんな嗤った。商人も、職人も、使用人希望者も、職員も、例外なく。
冷静に考えれば、ここで交渉しようとしている時点で身元は証明されているとわかるはずだ。本当に怪しければ春のときのように職員に追い出されるのだから。しかし、みんな嗤った。
ユウには何が悪いのかわからない。悪意だけを向けられる。しかも誰もそれを悪いとは思っていない。
ここに至って、受付係の男が引き留めた理由をユウは悟った。こうなることがわかっていたのだ。あれは男なりの優しさだったのである。
嗤いは既に収まり、周囲はまた交渉の場へと戻った。人々は自分に有利な条件を相手に飲ませようと話し合いを続ける。1人を除いて。
足下がおぼつかないユウがふらふらと歩き始めた。他人にぶつかることはない。他人の方が避けてくれるから。
会場内は閑散としていた。六の刻の鐘が鳴るまでまだもう少し間があるが、職員は来場者に帰ってほしそうな目を向けている。
会場の壁の端に立っているユウは力なく立っていた。何も考えられない。
そんな無気力なユウに近づいてくる者がいた。あの受付係の男のである。
「ここもそろそろ閉めなきゃならん。立ってるだけなら出ていくんだ」
声をかけられたユウは反応しなかった。動く気力がないのか聞こえていないのか不明だが微動だにしない。
ため息をついた男はユウの目の前に立った。再び声をかける。
「店じまいなんだ。何もしないのなら出ていけ」
「どうして僕は話をすることすらできなかったんですか?」
「は?」
「他の人と変わりがないのに、どうして僕だけ相手にされなかったんですか?」
つぶやくようなその言葉に男は困惑した。しばらく無言でじっとしていたがやがて頭をかく。小さくため息をついて苦り切った顔になった。更に間を置いてから口を開く。
「そんなに知りたいってんなら教えてやる。お前、自分が人にどんな目で見られているのかわかってないだろう。ボサボサの頭、薄汚れた服、そしてひどい臭い。どこからどう見ても立派な貧民にしか見えん」
「僕、ここに来る前に体も服も川で洗いましたよ?」
「ちょっとした汚れはそれで落ちるだろうが、なんていうかな、染みついた臭いはそんな簡単には消えないんだよ。川で洗ったくらいじゃな」
「そんな、それじゃどうやって」
「いいか、不況で町の外に出た奴で中に戻れた奴は少ない。大半が外での生き方がわからずに落ちぶれちまうからだ。たまにお前みたいに戻って来る奴もいるが、貧民の臭いが付いた奴なんて誰も使いたがらないんだよ。なぜかって? 身元がはっきりとした使用人希望者は常に町にやって来るからさ」
「でも僕は読み書きと算術ができるんですよ」
「だからどうした? 確かに重要な技能だが、できる奴は他にもいる。お前よりも身元がしっかりとした奴の中にもな」
震えながら反論するユウに強い口調で男が言い返した。一息ついてから更に続ける。
「そもそも、町の外の市場で人買いに売買される子供が、使用人として町の中に入れたのが珍しいことなんだ。その幸運を忘れられないという気持ちは俺にもわかるが、今のお前じゃどう頑張っても中で働くのは無理だよ」
「そんな、せっかくここまで来たのに」
目に涙を浮かべたユウが拳を握りしめた。この10ヵ月間、再び町の中で働くことを目指して努力してきたのだ。ユウの頭の中は真っ白になる。
無理矢理諭すような言い方だった男は表情を緩めた。ばつが悪そうに首筋を手で撫でる。
「まぁ、そのなんだ。1年とかからずにここの利用料を稼げたってことは、町の外でうまくやってるんじゃないのか? それをそのまま続けた方がいいと思うんだが」
「でも! 僕はもう1度町の中で働きたかったんです!」
「さっきも言ったが今のままじゃ無理だ。だから、別の方法を考えるべきだろう」
「別の方法?」
「あー例えばだ、行商で身を立てて町の中に店を構える商売人は年に何人かいる。他にも、ちょっと大きい村の職人の弟子が伝手使って町に移ってくるってのもあったな。あとは町の住民と結婚して移り住むってのもある。仕事がないと離婚したときに面倒だけどな」
指折り数えて町の中に入る方法を教えてくれる男をユウは呆然と見た。ただ否定されるだけだと思っていたが意外な話を聞けて黙っている。
そうして更にいくつかの方法を男は教えてくれた。今すぐ実行できないものばかりだが、どれも実際の事例ばかりだ。それだけに真面目に推薦してくれていることが理解できる。
すっかり気落ちしていたユウは少しだけ前向きになれた。
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