町の中と外(前)

 アドヴェントの町のある地方だと13月は最初の冬の月だが、本当に寒くなるのは冬至祭を過ぎてからだ。同時に、年末まで1週間を切ることから人々は年の瀬を強く意識するようになる。


 それは貧民も同じだ。年の区切りという以上の意味がないので祭のような盛り上がりはないものの、年末年始を静かに過ごすという人は少なくない。


 ユウたちも特に生活が逼迫していない限り、年末年始の6日間は獣の森で仕事をしないことになっている。今年は生活資金に余裕があるのでもちろん休みだ。


 26日の朝、前日に仕事納めをしたユウは冒険者ギルドで両替をした。ようやく2枚目の銀貨を手に入れることができたのだ。その足取りは軽い。


「やった、ついに中へ入れるぞ!」


 ほぼ10ヵ月の間、ユウは我慢し続けた。慣れない作業を覚え、つらい環境に耐え、祭の誘惑を断ち切って、ひたすら貯金したのである。その結晶が今、革袋の中にあった。


 春に町の中のギルドホールで仕事を探そうとしたときに、利用料が払えず追い返されたことをユウは今でも覚えている。しかし、今回は支払えるのだ。


 では早速町の中へ、とユウははやらなかった。一旦家に戻って、丸椅子に座っていたアルフに声をかける。


「アルフ、火口箱ほぐちばこを貸してよ」


「いいよ。ついに行くんだね」


「うん。昼ご飯を食べてから向かうからまだもう少し先だけど」


 少し言葉を交わしたユウは薪や布を担いで外に出た。向かうは境界の川である。洗濯女が洗濯している場所から更に東の河原だ。今やすっかり定位置である。


 石を集めた簡単なかまどを見つけると、黒焦げになっているその中に大小の薪を積んだ。今日はほぼ無風なので火が点けやすい。


 かまどに火が点くと多めに薪をくべ、ユウは急いで服を脱いで川の浅瀬に入った。凍るほどではないとはいえ、刺すような痛みが足に突き刺さる。


 顔をしかめ両手で上半身をこすりながら服を足踏みした。夏から何度も繰り返した行為なのですっかり慣れたものである。


「くしゅん! さっぶぅ!」


 しかし、何度やっても冬の寒さには慣れなかった。手足をひたすら動かしながら振るえ続ける。


 それが終わると絞ってかまどの近くの石に置いておき、次いで自分の体を洗った。冷え切った水を直接体に浴びせる度に小さな悲鳴を上げる。手で体をこすって垢を落とすと共に寒さをごまかした。


 身ぎれいになったユウは急いで布を使って体を拭くと、濡れた服を着て燃える火の前に体を晒す。火力が足りないと思うと遠慮なく持ってきた薪をくべた。


 体の前と後ろ、頭と手足、そしてチュニックやズボンの濡れている箇所を乾かしていく。薪がなくなる頃には大体乾いた。


 これだけですっかり疲れ果てたユウだがまだ本番前である。使い終わった火口箱と布を持って家に帰った。


 帰宅した頃には既に昼食は始まっており、何人かの仲間が食事をしている。


「アルフ、火口箱ありがとう」


「そこに置いておいてくれ。後で片付けるから。へぇ、さっぱりしたじゃないか」


 アルフの言葉に照れながら、ユウは自分の木の皿にスープを入れて食べ始めた。いつもと違ってかき込むように口へと入れる。これから半日が勝負だ。腹ごしらえはしっかりしないといけない。


 その様子を不思議そうに眺めていたダニーがユウに声をかける。


「ユウ、お前一体どうしたんだ?」


「昼から町の中のギルドホールへ行って仕事を探してくるんだ」


「へぇそうかい。えっ!? 仕事を探すだぁ!?」


「最初に言ってたでしょ、僕の目標。今日それを実行できるようになったんだよ」


「ってことは、カネが貯まったのか」


「うん」


 嬉しそうに返答するユウを見たダニーが呆然としていた。半ば口を開けたままである。


 大きく反応したのはもう1人、マークがいた。目を見開いてユウを見る。


「ユウ、今の話って本当ですか?」


「本当だよ」


「でも、ギルドホールを利用するなら、まず身元を証明しないといけないはずでは?」


「身元の証明はできるんだ。だから、後はお金の問題だけだったんだよ」


「何の後ろ盾もないのに身元の証明って、一体どうやってするんです?」


「僕の場合、町の証明印が押してある契約書があるんだ。これが証明書になるんだよ」


 明るく返答するユウを呆然とマークが眺めた。それを気にすることなくユウはお代わりを木の皿によそう。暖かいスープで体の冷えがほぐれていった。


 やがて食べ終わると大きく息を吐く。食休みだ。


 満足そうな顔をしているユウにエラが声をかける。


「ユウは町の中で仕事を探すの?」


「そうだよ。そのために頑張ってきたからね」


「ふ~ん。もし仕事が見つかったら、いつからそっちに行くのよ?」


「来年からだと思うよ。さすがに日にちまでは仕事先がわからないと言えないけど」


「それじゃもうちょっとここにいるのね。最後は挨拶くらいはしてから行きなさいよ」


「わかってる」


 そう言うと自分の木の皿を持って台所へと向かった。チャドとパットは我関せずと食べ続けている。


 腹がこなれたところでユウは立ち上がった。そして、アルフへと話しかける。


「アルフ、人身売買契約書を返してください」


「ちょっと待ってくれ。はい、これだよ」


 手渡された羊皮紙を受け取ると久しぶりに開けて眺めた。春にもらったときと変わらない。それを懐にしまう。


 それからすぐに家を出た。貧民街を出て貧者の道に出る。西へと足を向けて冒険者ギルド城外支所に突き当たると町の南門に向かった。そこには町に入る人々が列をなしているので最後尾に並ぶ。


 それほど待たずに自分の番になった。跳ね橋の前にある検問所の門番が顔をしかめてユウを見る。


「おい、ここは用もない貧民の来るところじゃないぞ。さっさと帰れ」


「僕は町の中に用があるんです。通してください」


「馬鹿なことを言うな。大体お前、入場料なんて払えないだろうが」


「そんなことありませんよ、ほら」


「はぁ!? 本物? お前この銀貨、どっから盗んできた?」


「盗んでません。獣の森で薬草を採って稼いだんです。そこの城外支所で両替したから受付の人に聞いてもらってもいいですよ。レセップっていう人です」


 顔をしかめていた門番は困惑の表情を浮かべながら隣の同僚へと顔を向けた。しかし、その同僚も似たような顔をしていて口を開かない。


 すぐに懐から羊皮紙を取り出したユウはそれを門番に見せる。


「これは僕の人身売買契約書です。今年の春に自分を買い戻したという証明になりますよ」


「契約書だぁ? これ、本物か? どう思う?」


「おいこれ、町の完済証明印じゃないか? たぶん本物なんだろう。ということは、お前本当に貧民じゃないのか」


 信じられないといった表情の門番2人がユウへ目を向けた。そのまま黙っている。


 反論しなくなった門番に対してユウは胸を張って告げる。


「どうです? これで通してもらえますか?」


「あ、ああ。ようこそ、アドヴェントの町へ」


 呆然としたままの門番の1人がつぶやくように歓迎の言葉を述べた。


 人身売買契約書を返してもらうとユウは意気揚々と跳ね橋を渡る。


 10ヵ月ぶりの町の中は何もかもが懐かしかった。汚物の臭いが混じった淀んだ空気、道に散乱している何が混じっているかわからない乾いた泥、4階や5階といった当たり前のように高い建物、そして、外の貧民よりも清潔感のある人々。前と何も変わっていない。


 町の中に入って感慨深げに道を北に向かって歩いていると中央広場に出た。結構な数の人々が往来している。


 その中にギルドホールを見つけた。西隣のパオメラ教神殿群や南東の商館に負けない重厚な建物である。


 春に入ったときのことを思い出しながらユウは正面玄関から入った。多種多様なギルドが集まった場所だけに様々な人が往来している。


「確か1階のあの辺りだったはず」


 周囲の様子を見ながらユウは廊下を進んだ。近くをすれ違う人々が顔をしかめたり避けたりする。その態度は気になったが、それどころではないと湧いた疑問を無視する。


 そして、ついにかつて門前払いを受けた広い部屋にたどり着いた。今回もたくさんの人々が個別に話し合っている。


「やっと来たぞ。ようやくここで仕事を探せる」


「君、紹介状を見せてくれないか?」


 横から呼ばれたユウはそちらへと顔を向けた。そこには、身につけた帽子も服も靴も上等そうに見える男が立っている。更にその男には見覚えがあった。


 見覚えがあるのはその男も同じだったらしく、最初は顔をしかめていたが次いで眉をひそめ、そして目を見開く。お互いにしばらく見つめ合った。


 先に口を開いたのはユウである。


「あの、ここに仕事を探しに来ました」


「お前もしかして、春にここへ来て人身売買契約書を見せた子供ガキか?」


 呻くように尋ねてきた男にユウはうなずいた。

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