修正を強いられた訓練計画

 10月を翌日に控えた休息日の朝、朝食が終わるとテリーは出ていった。荷物は身につけている物だけだったので、別れの挨拶以外はいつもと同じ調子だったくらいだ。


 残されたユウたちはいつも通りの生活を送る。ニックとケントとアルフは知り合いと会うため外出し、ダニーは家の前でユウから譲られた棍棒を使って素振りを始め、ビリーはユウと勉強会を開き、チャドとエラとパットは室内の掃除を始めた。


 目下、ユウが抱えている問題が1つある。走り込みの時間の捻出だ。明日からは獣の森での薬草採取に専念することになったので走る時間がなくなった。休息日以外で走るとなると、みんな起きる前か、夕飯後しかない。


「いっそのこと諦めるかな」


 昼食後、ユウは棍棒作成の手の動きを止めてため息をついた。未加工の最も太い木の枝がまだ残っていたので、3本目を作っているのだ。これが一番大きな棍棒になる。


 この4ヵ月ほどの走り込みで体力が向上した自覚があるので、ユウとしてはこのまま続けたい。しかし、今のところ名案が浮かばなかった。体を休める日はほしいので休息日には手を付けたくないとなると解決の難易度が高い。


「あーもう駄目だ。考えてもわからないや」


 太い木の枝を放り出したユウは愚痴を漏らした。素振り用の棍棒よりも太い枝なので加工が厄介でなかなか進まない。訓練計画共々思うようにいかなくて不満は溜まる一方だ。


 食後にのんびりと丸椅子に座っていたニックが、そんなユウを見て声をかける。


「どうした、珍しい」


「獣の森の仕事が週6日になったんで、訓練をする時間がまたなくなっちゃったんですよ。森から帰ってきて夕飯までの時間を素振りとビリーの勉強に充てると、もう走り込みができるのは休息日しかなくて」


「なるほど、それは問題だな」


「ニックって前は走り込みをしていたんですよね? 今みたいに週6日で働いていたとしたら、いつ走っていたんです?」


「俺は早朝に走ってたな。まだ貧民街が今ほど広がっていなかったときだったから、10周か15周したらいい時間に帰ってこれたんだ」


「10周か15周? どっちなんです?」


「走り始めた頃は10周で、最後の方は15周だったな。遅れそうだと思ったら街の中を走って距離を短縮したりしてたし。案外なんとかなったもんだ」


「それって仕事するときに疲れませんか?」


「すっごく疲れる。特に狩猟組で警護してるときなんか眠くなってきつかった」


「それでよく続けられましたね」


「俺の場合、テリーに付き合っていたからな。途中で勝手に止めるわけにはいかなかったんだ」


 当時のことを思い出しながら語るニックは目をつむっていた。


 先人の経験談を聞いたユウは何とかなるかもしれないと思い始める。走る量を調整できるのならば仕事と訓練を両立させられるかもしれないと考えたのだ。


 放り出した太い木の枝を手元にたぐり寄せたユウはニックに話す。


「僕も1度ニックと同じように早朝に走ってみようと思います」


「わかった。ああそれと、起きる時間は一の刻の鐘が鳴るときにしておいた方がいいぞ」


「え? 随分と早いじゃないですか」


「毎朝決まった時間に起きる方が楽なんだ。俺たちじゃ細かい時間なんてわからないしな」


「朝ご飯が二の刻だから結構間がありますね」


「最初から丸々走ろうなんて気は起こすなよ。あくまでも仕事に支障がない程度に、適度に体を鍛えるんだ。どうせ毎日走るから少ない方が長続きする」


「でもそうなると、走り終わってから結構間が空きますね」


「そんときゃ二度寝すりゃいいんだよ」


「なるほど。あ、それに水浴びしてきてもいいですよね」


「お前好きだよなぁ、それ。これから冷えてくるから風邪引くぞ」


 呆れた表情を浮かべたニックがユウに忠告した。病気で寝込まれるとグループ全体が困るのだ。そこを考えて行動しないといけない。


 ともかく、一応の解決策は見つかった。ユウは礼を述べてニックとの会話を打ち切る。そして、棍棒の製作を再開した。




 真っ暗な室内ではみんなが一塊になって眠っている。わらを詰めた麻袋をいくつも床に置いてはぼろぼろのシーツを被せた寝台の上だ。夏の暑苦しさがなくなった最近ではぼろ布を被るようになった。


 遠く町の中から鐘の音が鳴る。1日で一番最初の鐘の音だ。こんな夜中に誰が聞いているのかと言うなかれ。神殿の神官やパン屋の職人などはこの鐘の音で起床するのだ。


 この日はユウもそのうちの1人となった。起きられるか不安だったが、いざ目覚めてみると案外なんとかなるものだと不思議に思う。


 真っ暗で何も見えない室内だが、半年も生活していればどこに何があるのかくらいは覚えていた。仲間を起こさないように寝床から抜けると、台所の鍋の下に即席の松明たいまつの先を突っ込んで種火で火を点ける。準備ができると家を出た。


 新月の夜に月明かりはない。なので視界は松明の明かり頼りである。


「おお、真っ暗だ」


 普段は寝ている時間に外へ出たユウは目を見張った。見知った場所のはずなのにまったくの別世界にしか思えない。いささか恐怖を覚える。


「時間もないし、早く行こう」


 つぶやいたユウは松明の明かりを頼りに歩き始めた。想像以上の暗さに驚き、さすがにこれでは走れないと悟ったのである。まずは暗さに慣れないといけない。


 ただ、そうのんびりとはしていられなかった。用意した即席の松明はユウが初めて作ったいい加減なものなので、いつ火が消えたり壊れたりするかわからない。一応ビリーに指導してもらいながら作ったが不安はいつもつきまとう。


 走り込みの出発地点である市場と貧民街の境界に着くと、ユウはゆっくりと走り始めた。いつもよりかなり速さを抑えているが、まずは暗闇の中で走ることに慣れないといけない。


 最初は北に向かって進み、次いで貧者の道に出ると沿って走り、安酒場街にぶつかると南東に折れ曲がる。


「あれ、明かりが点いてる?」


 酒場の何件かはまだ営業していた。扉や窓から明かりが漏れている。


 更に安酒場街に沿って南東に進むと道ばたで吐いている人を見かけた。苦しそうなうめき声を上げている。道ばたに広がる吐瀉物の原因を目にしてユウは眉をひそめた。


 安酒場街の外周から離れると後は貧民街の端と原っぱが広がっている。今までは松明をかざせば何かしら見えたが、原っぱ側には何もないため真っ暗なままだ。何か吸い込まれそうな気がしてユウは不安になる。


 そうして延々と貧民街の外周を回って始まりの位置に戻ってきたとき、ユウは精神的にかなり疲れていた。思わず立ち止まる。


「はぁはぁ、思ったよりも走りにくい」


 周囲が見えない中を走るのは思った以上に大変だということをユウは思い知った。いつ何かにぶつかるか、どこで蹴躓いて転ぶかと気にしながら走るのは神経が削れる。


 これからどうしようかユウは迷った。走り込みはしたいが、この暗闇の中で走るのは避けたい。しかし、他に時間がないのも確かなのだ。じんわりと火照る体が冷えるのを感じながら迷い続ける。


 散々迷ったユウはゆっくりと走るのを再開した。結局、どこかでやらないといけないと思い至ったのだ。その後、5周走って切り上げた。


 肉体的にも精神的にも疲れ果てて帰宅したユウは、仲間が起き始めていることに気付く。寝床を片付けているところだった。


 室内に入ってきた汗ばんだユウを見てエラが声を上げる。


「ユウ! あんたどこ行ってたのよ?」


「ちょっと走っていたんだ」


「こんな真っ暗な中を?」


「ビリーに松明の作り方を教えてもらったから一応走れたよ。ニックが前にやってたって聞いたから真似したんだ」


「もう、朝起きたらいなかったから心配したんだからね!」


「ごめん」


 叱られたユウは素直に謝った。それを見たエラはすぐに台所へと向かう。


 それと入れ替わるようにニックが近づいて来た。興味ありげな表情で声をかけてくる。


「どうだった?」


「暗すぎて走りにくかったです。一応松明は持ってましたけど頼りなくて」


「そうだろうな。慣れるとどうにかなるんだが」


「ニックのときもこんな感じだったんですか?」


「そんなもんだった。確かに最初は走りにくかったな。一緒に走ろうって誘ったテリーに文句を言ったっけ」


 苦笑いするニックをユウは半目で睨んだ。かつて困ったことは最初に教えてほしかったと無言で抗議する。


「まぁでも走れたんだろ? だったら後は慣れるだけさ」


「そうですけど」


「おい2人とも、怠けてんなよ!」


 ユウがニックと話し込んでいるとダニーから声がかかった。珍しく立場が逆である。ニックは肩をすくめて長机を持ちに行った。


 汗だくのユウは丸椅子が置いてある場所に向かう。まだ課題はあるがとりあえず訓練を続けられそうなことに安心した。

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