体を洗おう!

 薬草採取の仕事を始めてからしばらくは右往左往していたユウだったが、近頃はすっかり落ち着いている。獣に襲撃されるのは相変わらず恐ろしいが逃げるのはもう慣れた。


 もちろん目的を達するための試行錯誤は続けているし、他の仲間と支援しあったりしている。なので日々忙しく過ごしていた。


 そんなある日、ユウは鉄貨を銅貨に両替するために冒険者ギルド城外支所へと出向いた。受付カウンターが並ぶ場所を見ると列のない受付係を目指す。


「レセップさん、両替しに来ました」


「またか。精が出るねぇ」


 相変わらずやる気がないがレセップが頬杖を止めてユウを見た。最近は追い払うのを諦めたのか素直に対応してくれる。


 しかし、今日のレセップは少し奇妙な表情を浮かべていた。顔をしかめている。対応を見ているとユウを嫌っているわけではないようだが理由はわからない。


 銅貨を受け取ったユウが遠慮がちに尋ねてみる。


「あの、僕に何かあるんですか?」


「今日のお前さんは一段と臭うんだよ。前からその傾向はあったが今日は特にな。ま、貧民なんてみんなそんなもんだから気にならねぇのは仕方ないんだろうが」


「え、臭いますか? そんなに?」


「ああ臭うね。貧民街のあの強烈な臭いほどじゃねぇが、あんな所に住んでたらそりゃそうなるわな。やっぱ気付いてなかったか」


 臭いと指摘されたユウは固まった。貧民街に住み始めて最初の数日こそ臭いが気になって仕方なかったが、最近はあのひどい臭いも特に意識していない。あの家に迎えられた初日に水浴びの話は聞いていたにもかかわらず、後回しにしていたのだ。


 それが町の中に住んでいた者として割と危ない兆候だと今気付く。まだ1ヵ月程度しか町の外に住んでいないのに感覚が貧民になりつつあるのだ。


 目を見開いたユウを見て小さく笑ったレセップが告げる。


「そんなに気になるんだったら、川に飛び込んで洗えばいいだろう。今の時期じゃまだ少し冷たいだろうが、入れないわけじゃねぇし」


「川、境界の川ですか?」


「この辺にそれ以外の川なんてねぇぞ。町の東門側から行ったらいい。何人か水浴びしてるかもしれねぇ」


「そういえば、服ごと川に入ってついでに洗えばいいって聞いたことがありますけど」


「面倒ならそれでもいいが、服の汚れをちゃんと落としたいんなら脱いで洗うんだな。灰汁あくなしの水洗いじゃ汚れなんてちゃんと落ちねぇだろうが」


 尚も眉をひそめたままのレセップの返答を聞いてユウは家の台所を思い浮かべた。


 灰汁の作り方は知っているし材料も分けてもらえるだろう。しかし、今その手間をかけて服を洗うことに意味があるのかを考える。町の中に戻る直前ならともかく、どうせすぐまた汚れるのならそこまで手をかける必要はなさそうに思えた。


 しばらく考え込んでいたユウはレセップにうなずき返す。


「ありがとうございます。これから川で水浴びしてきます」


「これからは水浴びしてから来てくれ。あっとそうだ、町の西側、夜明けの森側から回って川に向かうんじゃねぇぞ。東側からだからな」


「西側は何があるんです?」


「川が東から北に向かって流れてるから、あっち側は毎日汲み取り屋が糞を捨ててんだ。それと、隣の解体場で出た魔物や獣の廃棄物なんかもな」


 忠告を聞いたユウは真顔になった。さすがに汚い場所で体を洗う気はない。


 再び礼を述べると、ユウは受付カウンターから離れて建物の東側にある出入り口へ向かった。




 冒険者ギルド城外支所から一旦家に戻ったユウは服以外の持ち物をその身から外した。そして、すぐに境界の川へと向かった。


 アドヴェントの町の北東を流れるこの川の名称は、かつて人類の生存圏の境だったころに名付けられたものだ。今でもこの川を境に魔物と獣の数と強さが大きく変化する。川幅は50レテム程度で流れは緩く川底はそれほど深くない上に魔物もいない。


 そんな安全な川なので、アドヴェントの町もこの川を大いに利用している。町の防衛のための水堀を始め、生活用水としても活用しているのだ。また、夏には涼を求めて川の東側へ水浴びをしに来る人もいた。


 境界の川にユウはたどり着いた。昼下がりなのでそよ風が気持ちよく、水面は穏やかだ。周りを見ると洗濯している女の人が何人かいた。川辺で足踏みをして水面を揺らしている。


「さすがにあの中には入りづらいなぁ」


 遊びではないが仕事でもないユウの水浴びは、仕事をしている洗濯女たちの邪魔になることは簡単に想像できた。そうなると町のそばからある程度離れないといけない。


 相手との距離感がまったくわからなかったユウは川沿いにしばらく東へと歩いた。町の姿が小さくなってきたところでようやく立ち止まる。周りには誰もいない。


 服も一緒に洗うため、ユウはそのまま水辺に少し入ってみた。履いている靴が水に沈み込む。


「う、冷たい!」


 想像以上に足が冷えたことにユウは驚いた。一旦川から出たが靴は川の水で濡れているので冷たいままである。


 これは相当な覚悟が必要なことをユウは今になって思い知った。水浴びを止めることも脳裏をかすめる。しかし、1度臭いが気になるとなんだか臭いように思えて仕方ない。


 散々迷ったあげくにユウは水の中に入ることにした。とりあえず水の中に入っていく。


「冷たい、冷たい! 早く洗わないと!」


 膝まで川につかったユウは水で顔を洗ったり服にかけたりした。しかし、確かに水には濡れるものの洗えているようには見えない。


 これでは埒があかないとユウは更に腰までつかって1度頭まで水に潜った。まるで水に包み込まれているようにふんわりと浮き、透明なので水面下がはっきりと見える。


 まずは手で顔をこすり、次いで髪の毛も手でかき回した。すぐに息が続かなくなって水面から顔を出す。


「ぷはっ! はぁはぁ。結構しんどいな、これ」


 息が乱れたユウは頭にそよ風が当たることで体が今も冷えていることを思い出した。しゃがんだまま急いで服越しに体をこする。これで洗えているのか不安で仕方なかった。


 しばらく腕や体をこすっていたユウはチュニックを脱いで上半身を露わにする。そして、服を布代わりに背中を始めに体を洗った。一旦河原に上がってズボンと靴を脱ぐと再び水の中に戻って同じ事を繰り返す。


 ある程度体を拭いたところで裸のユウは河原に戻ってきた。その唇は青い。


「これで体は洗えたはず、だけど、服はどうしよう」


 すっかり水を含んで重くなったチュニックとズボンと靴を見ながらユウは体を震わせた。服も洗いたいがどうしたらいいのかわからない。


 そのとき、先程見た洗濯女たちの姿を思い出す。水にひたした服をひたすら踏んでいた。


 冷える体を両手でこすりながらユウはすぐに体を動かす。もう迷っている暇はない。チュニックとズボンを浅瀬につけると、それを踏みつけた。


 あとは裸のままひたすら体を動かす。上半身は両手でこすり、服とズボンは足で踏み続けた。見よう見まねなのでどれだけすればいいのかもわからない。


 体がある程度乾いてきたころにはユウの体力も限界に近づいていた。自分は一体何をやっているのだろうとぼんやり思う。


 ついに足踏みを止めたユウは川底から服を取り出した。じっと見つめるがきれいになっているのかよくわからない。


「きれいになったのかな。うーん。いや、これできれいになったんだ!」


 決めつけるように叫ぶとユウはチュニックを絞った。限界まで水を含んだ布が河原の石を派手に濡らす。


 大雑把に絞った後は袖や服の端などを小さく丁寧に絞った。それから袖を通す。もちろん冷たかった。しかし、きれいになったと思えば悪くない。ズボンも同様に絞って穿く。


 すべての作業が終わった後、ユウは呆然と河原で立っていた。まだ日差しが降り注いでくれるのでわずかに暖かい。


「くしゅん。やり方はこれで良かったのかなぁ」


 すっかり疲れ果てたユウはつぶやいた。川に入って上がればおしまいと単純に考えていた数時間前の自分を殴ってやりたくなる。これなら仲間に相談すれば良かったと少し後悔した。


 先程よりはましとはいえ、体はまだ冷たい。火でもおこせば服の乾きも早いが、道具はすべて家に置いてきたのでそれもできなかった。今はぼんやりと立って乾かすしかない。


「今度はもっとうまくやろう」


 たかが水浴びと考えていた代償を支払ったユウは決意した。これから夏に向かって気候は暑くなるばかりだ。今後も水浴びをすることは避けて通れない。せめて週に1度くらいは体をきれいにしたかった。


 そよ風が少し強く吹いてきて体が冷えるが、日差しを受ける面は気持ちよい。服がある程度乾くまでここでじっとすることに決める。


 結局、ユウは夕方になるまで河原から離れることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る