獣の森に行かない日(後)

 泥酔亭での作業が普段よりも早く終わったと喜ぶエラとチャドが次に向かったのは安宿街だった。


 安酒場街にも貧民街に住んでいる人とは違う人がいたが、この場所ではそういう人を更によく見かける。ユウは町の中で行商人や旅人などをよく見ていたが、ここを往来するのは同じ人々でも更に貧しい人々に見えた。


 そんな安宿街の北側の一角にある1軒の安宿にエラとチャドは近づいていく。周りの木材を多用した建物と似たような造りの古びた宿だ。


 酒場のときとは違って2人は真正面から入ろうとする。


「2人とも、裏手から入った方がいいんじゃないの?」


「ベンのおっちゃんは受付カウンターにいつもいるから、どうせ裏口から入っても表に行かなきゃいけないのよ。おっちゃーん、来たわよー!」


「いつもうるさいなお前は。なんだそいつは?」


「新入りのユウよ! あたしらの家に来たばっかりだから、何やってるか教えてるところ」


「ふ~ん。仕事の邪魔にはなんねぇのか?」


「ユウは大丈夫よ! さっきタビサさんのところでもちゃんと働けたんだから!」


 得意げに語る幼いエラを見るベンは若干困惑していた。何度かユウと見比べる。やがてため息をついて受付カウンターから出てきた。そして、ユウへと話しかける。


「邪魔にならないってのなら入ってもいいぞ。ただ、エラとチャドの指示には従うんだ。お前さんよりも小さいが、ここでの仕事はちゃんと知ってるんだからな」


「わかりました」


「おっちゃん、パン忘れないでよ!」


「ちゃんと取ってある。終わったら渡してやるから早く行ってこい」


 許可を得たエラとチャドは奥の部屋へと入った。そこは大部屋で木の箱に薄汚れたシーツが掛けられている寝台が所狭しと並べられている。何人かの客がいる室内の端を通り抜けて更に奥へと抜けると小さな物置部屋があった。


 ほうき、ちりとり、はたきを取り出したエラが2人に指示を与える。


「あたしとチャドはいつも通り寝床のシーツを剥がしてはたくわよ。ユウは床を簡単でいいから掃いて。シーツは後で直すからそのままでいいからね。あんまり時間がないからさっさと済ませるわよ」


 一気に言い終えたエラが大部屋に戻っていった。それにユウとチャドが無言で続く。酒場のときよりも急いでいることから、ここは時間が勝負の仕事場ということがユウにも理解できた。


 安宿での仕事はユウが思っていた以上に短時間で終わる。作業も単純なのでわかってしまえば迷うこともない。しかし、短時間で終わらせないといけないので、ひたすら急かされるのには参った。


 家路の途中でユウがため息をつく。


「酒場での仕事よりも精神的にきついね」


「タビサさんのところと掛け持ちしてるからねぇ。ベンのおっちゃんのところだけだったらもっとゆっくりできるんだけど」


「どちらか片方を朝にできないのかな?」


「無理ね。酒場の仕事はお昼時を過ぎてからでないとないし、宿は朝の方がお客が残ってるの」


「で、でも、今日はユウがいたから楽だったよ。いつもはエラと2人でやってるから」


 古いパンの入った麻袋を持つチャドがユウに話しかけてきた。同じ年頃だったときの自分よりもしっかりとしている2人にユウは感心する。


 ぽつぽつと雑談しながら3人は一旦家に向かった。




 手に入れたパンを家に置いてすぐにエラとチャドは次に西へと向かった。冒険者ギルド城外支所の建物のある方角だが目的地は違う。


 貧民街の西側から市場に入ると小さくぼろい店が乱立する地域に入った。店主と客の声で非常に騒々しい。


 店と店の狭い路地に入るとエラが立ち止まって振り向く。


「ユウ、今から順番にお店に行くから、もらった食べ物をその麻袋に入れてちょうだい」


「わかった。とにかく入れていけばいいんだね」


「そうよ。あんまりたくさんはもらえないけど、ないよりかはましよ」


 言い終えるとエラはすぐに歩き始めた。市場の裏路地は狭く、地面にも割れた壺や空の木箱が置いてあって歩きにくい。その中を慣れた様子でエラとチャドは進む。


 苦労してユウが2人についていくと、最初の店にたどり着いたようでとある木造のぼろ屋に入っていった。野菜類を売っている店のようだ。


 表で声かけをしている店主に対してエラが話しかける。


「デニスさん、あたしよ!」


「エラか。相変わらずかわいいねぇ! おや、そっちの大きい子は初めて見るな」


「ユウって言うの。最近あたしたちのところに来たのよ。今日はあたしとチャドの仕事を見せるために連れ回してるの」


「初めまして、ユウです」


「俺はデニスだ。なかなか生意気だろう、この子。年上のお前さんを連れ回せて喜んでるんだぜ」


「もう、余計なことは言わなくていいの! 早く今日の分を持ってきてよ!」


「はいはいっと」


 優しそうな笑顔のデニスが近づいてくると、商品棚の裏側に置かれていた篭を手に取った。そして、かぶ、きゅうり、キャベツ、レタスなどが乗ったそれをエラに突き出す。


「今日はあんまりなかったよ。鉄貨20枚だ」


「デニスさん、いくら何でも高いわ。大体いつもより少ないのにどうしていつもと同じ値段なのよ。10枚ね」


「なかなか鋭いな。でも、今回はあんまり傷んでないんだ。ほら、このキャベツなんてきれいなもんだろ? 18枚でどうだ?」


「キャベツがいい物だっていうのは認めるわ。でもこのレタス、大葉の裏がひどいじゃない。13枚が妥当よ」


「よく見つけたな。しょーがない。15枚だ」


「ふふん、前にひどい物掴まされたからね。今回は騙されないもん。14枚でいいわ」


 苦笑いして肩をすくめるデニスに対してエラが胸を張った。その間に、ユウが生活費として預かった鉄貨を数えてチャドの手に乗せていく。数え終えると、チャドがデニスの手のひらに鉄貨を移した。


 確認し終えたデニスがユウを見る。


「ちゃんと数が合ってる。随分と早く正確に計算できるんだな。前は何をやってたんだ?」


「少し前まで町の中の商店で働いていたんです。けど、解雇されちゃって」


「あー不況でか。最近珍しくないって聞くなぁ。でも、町から出てきた連中は同じ町の中の奴と一緒になるもんじゃないのか?」


「同じ町の中で働いていても、色々と違いがあるんですよ」


「なるほどねぇ。はいぃ、今行くよぉ! おっと仕事中なんだ、それじゃまたな」


 客に呼ばれたデニスが店の表へと向かった。それを機にユウたちも裏口から出る。


「これからまだお店を回るからね! しっかりと運んでよ!」


 振り向いたエラは元気よく2人に向かって声をかけた。聞いたユウとチャドはうなずく。そうして気合いを入れ直したところで3人は裏路地を歩き始めた。




 市場から戻って来たときのユウは結構疲れていた。思った以上に歩いたからだ。獣の森に入っているときとは違う疲労に驚く。市場で集めて回った野菜の入った麻袋を台所に置くと、丸椅子に座って長机に突っ伏した。


 その様子を見たアルフが笑う。


「かなり疲れたようだね」


「あの2人、見かけによらず働いているんですね。獣の森に入るよりは安全なのは確かでしょうけど、これはこれで地味に疲れます」


「そうだね。だからこそ、薬草採取組と同じように毎回報酬を渡しているんだ」


「今回よく理解できました。あ、これ余った生活費です」


 腰から革の袋を取ったユウはアルフの前に置いた。うなずいたアルフがそれを手に取る。


 2人が椅子に座って話をしている間、エラとチャドは台所にいた。3人が帰ってくるまではアルフが火を熾して鍋の中をかき混ぜていたが、2人はそれを引き継ぎつつも持って帰ってきた野菜などを選別している。


 そんなのんびりとした時間をみんなが過ごしていると、1人の幼くみすぼらしい子が麻袋を手に室内へ入ってきた。そして、エラとチャドに近づく。


「チャド、くず野菜わけてくんねぇか? オレんとこ今日、ちょっと少なかったんだ」


「どのくらい?」


「んー、このパンで交換できるくらいって、かーちゃんが言ってた」


 少し舌足らずなしゃべり方と共に少年は手に持っていた麻袋を突き出した。受け取ったチャドがエラと一緒に中身を見る。


「エラ、これだとちょっと少なくない?」


「ガスんところは結構人がいるからねぇ。あたしんところに来るってことは、相当足りないんだと思う。アルフ、ちょっと多めに分けてあげてもいい? このくらい!」


「まぁ、今日くらいはいいんじゃないかな。いつもは困るけど」


「だって! それじゃこの麻袋に入れてあげるわ」


「ありがとう!」


 不安そうに様子を見ていたガスの顔がほころんだ。その間にエラが素早く麻袋からパンを出してくず野菜を入れている。


 こういう助け合いをユウは町に来てから初めて見た。3人の様子を珍しそうに見る。しかし、そんなに悪い気はしなかった。

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