獣の森に行かない日(前)

 貧しいほど日々の生活のために働かなければならないが、だからといって働き続けるというのは良くない。定期的に休むのも大切である。貧民街に住む人々も例外ではない。


 もちろんユウが入ったグループにも休みはある。今日がその日だ。


 いつもなら二の刻の鐘の後に朝食を取って薬草採取に出かけるが休みなので何もない。なので、ビリーに薬の作り方を教えてもらうことにした。頼むと当人は快諾してくれる。


「僕が今作れるのは虫除けの水薬と悪臭玉の2つなんだ。薬師が作ったものには劣るけど、それでも充分に使えるんだよ。痛み止めと腹痛止めの水薬はまだ研究中だから教えられないかな。それは将来のお楽しみということで」


「わかった。それで、どっちから教えてくれるの?」


「それは虫除けの水薬からって決めたんだ。実は簡単に作れるからね」


 楽しそうなビリーがユウを部屋の隅へと案内した。そこには水瓶や用途のわからない道具がまとめて置いてある。そして、その中から20イテック四方の丸い小さな水瓶を持ち上げた。そこからは嗅ぎ慣れた青臭い臭いが漂ってくる。


「虫除けの水薬ってベスティ草から作るんだけど、紫色の細長い葉を細かく切り刻んで水に混ぜて4日間寝かすだけで完成するんだ」


「本当に簡単だね」


「だろう? だからこの辺りで獣の森に入るグループはみんな自分で作ってるんだ。ここで今やってみたらいいよ。すぐできるから。水瓶はこれを使って。中はただの水だよ」


 勧められるままにユウは部屋の隅の床に直座りした。目の前の小さい木の机にすっかり変色したまな板を置き、ビリーから手渡されたベスティ草をナイフで細かく切る。そして、滲む液体をそのままに刻んだ葉を水瓶の中に入れた。


 手渡された木のへらで水をかき混ぜながらユウはビリーを見る。


「これでいいの?」


「そう。あとは4日間待つだけ。簡単でしょ?」


「なるほど、みんな作るわけだ」


 こうしてビリーの製薬講座が始まった。この知識が後の冒険者活動で多いに役立つことになる。ともかく、以後はビリーに教えてもらいながらたまに薬を作ることになった。




 昼近くまで薬の作成を教わったユウは悪臭玉の作成時にひどい目に遭っていた。薬屋に出向いたビリーと別れた今は丸椅子に座って長机でぐったりとしている。


 休みの日の昼食はばらばらだ。武具屋に行ったテリーとダニーは帰ってくるらしいがいつかはわからない。道具屋に行ったニックは市場で買い食いすると聞いた。ケントはどこに出かけたのか不明だが、外出したときは夕方まで帰ってこないという。


 ということで、家で確実に昼食を取るのはユウ、アルフ、チャド、エラの4人だ。今鍋を温めているのはチャドとエラの2人である。


 いつもの場所に座っているアルフは台所の2人を眺めていたが、何度かユウにも視線を向けていた。しかし、何度目かで声をかけてくる。


「さっきからぐったりとしてるが、何かあったのかい?」


「ビリーと悪臭玉を作っていたときにちょっと」


「なるほど。それはまた大変だったね。けど、その割にはあの臭いがしないな?」


「手に付いただけでしたから、すぐに洗い落とせたんですよ。ビリーがいなかったら、僕は今頃川に飛び込んでいたでしょうね」


「はは、川に着くまでに犠牲者が増えそうだな」


「できたよー! アルフ、ユウ、お鍋を取りに来てー!」


 台所にいるエラに呼ばれたユウとアルフは立ち上がった。2人で残り物の入っている鍋を長机へと移す。その間にチャドとエラが食器を運んだ。


 もはやくず野菜の芯さえもまったく見分けられないスープ改め粥を木の皿によそって全員が食べ始める。ひたすら煮込んでいるだけだが、毎回食感が変わるのは楽しい。


 2杯目までは食べることに集中し、3杯目からは会話が始まった。最初に話しかけたのはユウである。


「チャドは昼から何をするの?」


「いつものように、お店を回る」


「毎日あたしと一緒にいくつかのお店を回って食べ物を分けてもらってるのよ。もちろんタダじゃなくて、ちゃんと働いたりお金を払ったりしてるんだから」


「え、休みの日まで働いてるの?」


「あたしたちの仕事に危険はないし、一日中働きづめってわけじゃないからそれほどつらくないわよ。行く先も決まってるし」


 当然のような顔でエラが補足説明を加えた。留守番組とはいえ、それなりにやることはあるらしいことをユウは知る。


「僕も2人と一緒に行ってもいいかな?」


「え、どうしてよ? 休んでればいいじゃない」


「いつも獣の森に出かけているから、2人が普段何をしているのか知っておきたいんだ。邪魔はしないから」


 その提案に驚いたエラが困惑しながらアルフへと顔を向けた。わずかに驚いていたアルフだったが、微笑みながらうなずく。


「いいんじゃないのか。ユウなら付いていっても邪魔にはならないだろうし、どうせなら仕事を手伝ってもらったらどうだ?」


「ん~、そうねぇ。アルフがいいって言うんなら。チャドはどう?」


「ぼ、僕もいいと思う」


「なら、ユウも一緒に行ったらいい」


「ありがとう」


「けど、あんたも変わってるわねぇ。他のみんなはやりたがらないっていうのに」


「どうしてもできそうになかったら、この1回だけにしておくよ」


 呆れるエラにユウは小さく肩をすくめてみせた。邪魔にならない範囲で体験できることはやっておきたいのだ。


 昼食が終わると、エラとチャドはすぐに家を出た。貧民街を北に向かって歩いているので向かう先は安酒場街か安宿街となる。


 まだ貧民街に慣れていないユウは珍しげに周囲を見た。住んでいる場所と汚さは変わらないが初めての場所にユウは不安な顔を見せる。


「2人とも、これからどこに行くの?」


「タビサさんのお店よ。泥酔亭っていう酒場なの! そこで毎日昼過ぎに皿洗いや雑用をしてるのよ」


「ぼ、僕が皿洗いで、エラが雑用をしてるんだ」


 歩きながら2人がユウの疑問に答えた。そうなると自分が何をするのかわかってくる。


 貧民街を北側から抜けると安酒場街へと入った。周囲の臭いが酒精と吐瀉物の強いものへと変化する。


 目指す泥酔亭は安酒場街の南側の一角にあった。隣接する建物と同じで傷んだところの多い店舗である。エラによると食堂も兼ねているので昼間も開いているという。


 先行する2人は汚い裏路地から泥酔亭に近づいた。そして、エラは勝手口を開けて叫ぶ。


「タビサさーん、来たよー!」


「入っていつも通りやっとくれー! って、そのおっきい子は誰なんだい?」


 厨房に直通の勝手口から中を覗いていたユウの顔を見たタビサが目を丸くした。恰幅のいい頭巾を被った女性が四角い肉を刺した串を火で炙りながら顔を勝手口に向けている。


 驚くタビサを見て笑顔になったエラが厨房に入った。そのまま火の付いた釜に近づく。


「ちょっと前にあたしのところに新人の子が来たって言ってたでしょ? その子よ! ユウって言うの」


「ああ、あの。てっきりあんたと同じくらいの子だと思ってたんだけどねぇ」


「今日はね、あたしとチャドの仕事を手伝いに来てくれたんだよ! あたしと一緒に掃除させていいでしょ?」


「そりゃかまわないけど、渡せるもんは変わらないよ」


「いーのよ! ほらユウ、こっちに来て!」


 手を止めずに話をしていたタビサの脇からエラが手招きをしてきた。チャドは既に姿が見えない。


 厨房特有のぬめっとした感触の床の上を歩いてユウは2人の元に近づく。


「ユウです。よろしくお願いします」


「豚の串焼きできたよー! あーはいはい。礼儀正しい子じゃないか。娘のサリーとそんなに変わらない年かねぇ。まぁ、エラの言うことを聞いてちゃんとやっておくれ」


「はい」


「ユウ、それじゃいくよ!」


 カウンター越しのホールからタビサ似の女の子が豚の串焼きを持って行くのを見ながら、ユウはエラに付いていった。厨房の端に置いてあった掃除用具一式をエラから手渡される。ほうきとちりとりと手桶だ。


「今からホールに行って、お客のいないところを掃除するから」


「え? 食べているお客さんがいるけど掃除していいの?」


「昼時は過ぎてるからいいのよ。あたしはテーブルを拭くから、ユウは床に落ちてる食べ物をそれで拾って手桶に入れてね」


「わかった。これをやったらお駄賃をもらえるんだ」


「くず野菜をね。朝に鍋へ入れてたの見てたでしょ? それは朝にもうもらってるから、やること終わったらそのまま出ていくわよ」


「ああなるほど」


「やることは他にもあるから、さっさと行くわよ」


 機敏に動きながらエラが早口で受け答えした。家でいつも見るエラとは違うことにユウは驚く。幼いとはいえ仕事をしているときは真剣だ。


 こうなると年上のユウも手は抜けない。真面目な顔つきでエラに続いてホールへと出た。

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