逃げることも大事(後)
昨日とは異なる場所から獣の森へと入ったユウだったが、さすがにまだ2回目なので周囲の景色はどこも同じようにしか見えない。仮に目隠しをされてこの場に置き去りにされたら確実に迷子だろう。
出発前にユウが聞いていた通り、今回は薄暗い森の中を歩き続けた。さすがに疲れてきたこともあってテリーに声をかける。
「テリー、これってどこまで進むんですか?」
「もうそろそろだよ。薬草の採取は同じ場所で続けられるわけじゃないから、1日で2ヵ所か3ヵ所回らないといけないんだ。それだから、帰りのことを考えて一番奥の場所へと向かってるんだよ」
「なるほど、そこから森の外に向かって採取場所を変えていくわけですか」
「その通り。狩った獲物を持って帰るのもその方が楽だしね」
「お肉を食べられるといいですよね」
「はは、そうだね! 俺たちが肉にならないようにしっかりと仕留めないと」
のんきなユウの意見にテリーは笑った。他の仲間も声には出さずに笑っているが、背後の様子をユウは知らない。
そろそろユウの息が上がる頃にテリーは立ち止まった。一見すると今までと変わりない森の中のように見える。
テリーに呼ばれたビリーが前に出た。たまに草木に隠れてその姿が見えなくなるときもあったが、しばらくしてから戻って来る。
「当たりだね。ラフリン草がたくさんあるよ。クレナ草もちらほら見かける」
「そうか。なら採ってしまおう。みんな、ここで薬草を採ってくれ」
「ダニーは向こうから採って。僕はユウとこっちから採るから」
「へへ、任せろ!」
当然といった態度のダニーがニックと一緒に右手側の草木の奥へと消えた。ビリーが残り3人を反対側へと連れて行く。
そこは暗い場所だった。背の高い木々が生い茂って日の光を大きく遮っている。ただ、わずかに風が吹いているのか、わずかに草木の葉が揺れていた。
狩猟組のテリーとケントが周囲を警戒する中、ビリーがユウに向き直る。
「昨日一通り教えたけど、まずはラフリン草を採ろう。どんな薬草だったか覚えてる?」
「丸い葉が特徴の痛み止めの元になる薬草だよね。日陰で比較的風通しの良い場所に群生していたはず。だから、これ、かな?」
「正解。その周りに生えているのも全部同じだから採っておいて」
うなずいたユウは革のベルトから木製のスコップを外して手にした。ラフリン草の根元を探り、目星がついたところでスコップを土に突き刺す。踏みしめられていないせいか割と素直にスコップが地面に入った。
黙々と作業を続けて目の前のラフリン草を地面から引き抜くと、根の土を払って麻袋へと入れる。詰め込みすぎると薬草が傷むのであまり強くは押し込めない。
目につく物はすべて採ったユウは立ち上がった。背伸びして体をほぐす。体をかがめているとどうしても硬くなるのがつらい。
首を鳴らすユウにテリーが声をかける。
「結構採れたんじゃないのか?」
「そうですね。幸先いいと思います。でも不思議ですよね。これ全部引き抜いても、何日かしたらまた生えているなんて。普通は何ヵ月もかかるものなんでしょう?」
「俺も初めて知ったときは驚いたよ。でも、原因は誰にもわからないらしい。森の生命力が強いからなんて聞いたこともあるけど、本当のところはどうなんだかね」
「森の獣が凶暴なのもそのせいなのかなぁ」
「案外そうかもしれない。その獣だって毎日結構狩られているのに全然減る様子がないもんな。本当に不思議な森だよ」
「元は夜明けの森と繋がっていたらしいですよね。そのせいかな?」
「どうだろう。アドヴェントの町を建設するときに木を伐採して分離したらしいけど、それ以来いくら木を切っても森が減らないとも聞くな。どうなってるんだか」
よくわからいとテリーは首を横に振った。実際、この辺りの話は真偽不明の噂が多いため、市井の一般人は何を信じれば良いのかわからない状態である。
ともかく、体もほぐれたユウはビリーに声をかけようとした。ケントが立っている当たりに向かって声を上げようとする。
「ビ」
「野犬だ! 下がれ!」
ユウの声に被せるようにケントが叫んだ。いつもの無口な様子からは考えられないほど鋭い声である。同時にビリーがはじかれるように立ち上がって近くの木によじ登った。
目の前の様子を呆然と見ていたユウが剣を抜いたテリーに怒鳴られる。
「急げ、木に登れ!」
「は、はい!」
事前に決められていたことを思い出したユウは登れそうな木がないか周囲を見回した。どれも頼りなさそうに見えて決められない。急がないといけないという思いが次第に焦りへと変わる。
獣の声と仲間の声が交錯する中、ユウはとりあえず幹の太そうな木に取り付いた。必死になって上へと登ろうとするが思ったほど進まない。
「ユウ、麻袋を捨てろ!」
誰かの声が聞こえるがユウはそれどころではなかった。野犬に噛まれた傷が原因で死んだ人間を故郷の村で見たことがあるので、自分がかみ殺されるところが容易に想像できてしまう。それがユウを一層恐怖に陥れた。
尺取り虫のように急に木をよじ登って手足が疲れてきたときにユウは周囲を見回す。よじ登った樹木の枝葉に遮られて周りの状況がわからない。下のところから仲間の声が聞こえるものの、それが誰の声か判然としなかった。
とりあえず野犬に追いかけられていないことを知ってユウは安心する。真下を見ても木の根と草木しか見えない。耳を澄ませば野犬の声も仲間の声も大きくはなかった。
一息ついたユウは太めの木の枝に足を引っかける。木の幹にしがみついたままの姿勢はつらい。
「みんなどうしているのかな」
1人だけでじっとしていると心に不安があふれてきた。ビリーとダニーは同じように木へと登っているはずだが、どんな状況なのかわからない。
できれば誰に話を聞きたいと思ったユウだが、ここで他の仲間に連絡する手段がないことに気付いた。声を上げたら誰かが気付いてくれるかもしれないが、野犬にも気付かれてしまう。
何とも言えない不安な時間を過ごすユウが尚も待っていると、近づいてくる足音に気付いた。正体がわからないままなので緊張する。
「ユウ、もう降りてきてもいいぞ!」
声の主はテリーだった。
ようやく戦いが終わったことを知ったユウは全身の力を抜く。大きく息を吸って吐き出すとゆっくり木の幹を伝って降りた。地面に足をつけると周囲に目を向ける。近くに剣を抜いたテリーが立っており、離れたところにビリーとケントがいた。
再びテリーに顔を向けたユウが問いかける。
「野犬はもうやっつけたんですか?」
「ああ。3匹もいるとは思わなかったからちょっと手こずったけど、もうみんな殺したよ」
「良かった。ケントが叫んだときは驚いて体が動かなかったです」
「仕方ないさ。初めてだったもんな。それにしても、どうしてすぐに木に登らなかったんだ?」
「あーそれは、どの木に登ったらいいのかわからなかったんです」
「みんな作業に入るときは、必ずどの木に登るのか目星をつけている。ユウも次からはあらかじめ登る木を探しておくといい」
「わかりました」
「危険な作業をするときは、常に次はどう動くのか考えて行動しておくべきだよ。特に最悪の事態に備えておかないといざというときに困るからね」
やんわりとテリーに諭されたユウは深くうなずいた。今回はもたついても逃げることができたが、次も同じように逃げられるかはわからない。
先程の自分の行動を振り返ってみてユウが震えていると、ニックとダニーが姿を現した。ビリーとケントもテリーのところへやって来る。その様子を見たテリーが肩の力を抜いた。
近づきながらダニーが声をかけてくる。
「お、ユウも無事だったんだな! ちゃんと木に登れたのか!」
「何とかね。本当に怖かったよ」
「この程度でビビッてちゃダメだぜ。この森にゃもっと恐ろしい獣だっているんだからな」
「まぁそうなんだけど、そのうち慣れるしかないよ」
「ユウ、怪我はない?」
「ありがとう、ビリー。大丈夫だよ」
仲間2人が気遣ってくれたことにユウが笑顔で答えた。
その間にニックがテリーに話しかける。
「とりあえずは無事で良かったよ。これからどうする? 別の場所に移るか?」
「これだけ派手に戦ったら仕方ないね。野犬の血を嗅ぎつけた他の獣もやってくるだろうし、ここはもう危険だ」
「幸先は良くないなぁ」
「まぁね。けど、いつものことと言えばいつものことだよ。気を取り直すしかない」
「そうだな」
「みんな、場所を変えよう。予定よりも早いけど、次の所へ向かう」
テリーの宣言に誰も反対しなかった。
意見が一致したのを見たユウは薬草の入った麻袋を作業用ベルトに取り付ける。それから歩き始めた仲間の後を追った。
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