逃げることも大事(前)

 一般的な貧民の家庭では全員が同じ部屋で雑魚寝する。もちろんさすがに床や土間に直接というわけではない。床に敷物をして寝る。


「まさか麻袋を敷き詰めるとは思わなかったけど」


 夜明け前に目覚めたユウはぼんやりとつぶやいた。昨日1日で環境が変化し、その上出会ったばかりの仲間との雑魚寝で目覚めてしまったのだ。


 背中にはぼろぼろのシーツ越しにちくちくした感触がする。わらを詰めた平たい麻袋をいくつも床に置いているからだ。商店でも藁を敷いてシーツを被せていたので実はあまり代わり映えがしなかった。ちなみに上布団はぼろ布である。


 商店との違いは複数人で固まって寝る点だ。これが慣れないせいかユウには寝づらい。端で寝ているおかげで、右隣がテリー、頭上がビリーと寝相の良い2人だけと接しているのでまだ助かっている。これがダニーやエラだとまともに眠れなかったところだ。


 毎日誰の隣で眠るかで睡眠の質が大きく変わることに気付いたユウはため息をついた。寝不足で獣の森に入るのはさすがにまずい。


「どうせやることもないしなぁ」


 集団に入ったばかりで何をするべきかまだわからないユウは二度寝することにした。肉体労働者なのだから休むのも仕事のうちである。


 ぼんやりとしていると遠くで二の刻の鐘の音が鳴った。すると、誰かが起きる音がする。その誰かは他の誰かを更に起こして回った。


 まだ日の出前なのでその姿は見えないが声は聞こえる。起きたのはアルフ、チャド、エラの3人のようだ。火をおこしてスープの入った鍋を温めるらしい。


 しばらくすると他の寝ている仲間も1人また1人と起き始めた。まだ寝ているのはユウとダニーだけである。


 こうなると寝づらい。ユウも起きる。


「おはよう」


「おう、おはよう。後はダニーだけだな。おい、起きろ。寝床を片付けるぞ」


「んが。がぁ~ふぁ。あ~もう朝かぁ」


 声から判断するとニックだった。最後のいびきから大あくびをしてダニーが目覚める。


 暗かった室内が台所を中心にぼんやりと明るくなった。鍋の下の火がおこったのだ。その火を使ってケントが蝋燭ろうそくに火を灯す。


 台所ではチャドとエラが鍋の中身を木のおたまでかき混ぜている。アルフは外から戻ってきた。逆にテリーが出ていく。ニック、ケント、ビリー、ダニーは寝床のシーツと麻袋を室内の奥に片付けていた。


 それをぼんやりと見ているとアルフに声をかけられる。


「脇にどけた長机を真ん中に持っていきたいから手伝ってくれないか?」


「わかりました」


 こうしてユウも朝の作業に参加し始めた。寝床を片付け、長机を室内の真ん中に移動させて、椅子を並べる。その間に、1人ずつ順番に脇の裏路地に持って行った桶で用を足していった。最後に鍋を台所から長机に移して朝食にありつける。


 1度完全に冷えて温め直されたスープは昨晩よりもどろりとしていた。元が何であったかほとんど判別できず、くず野菜の芯でさえほとんど溶けて消えている。もはやスープではなく粥といえた。


 その濃厚なスープが入った木の皿をユウは平らげた。目覚めたのは誰よりも早かったので空腹感が強いのだ。


 お代わりをよそったところで、ユウはテリーから声をかけられる。


「今日は昨日よりも森の奥へ行くからね」


「テリー、ユウの装備はどうするんだ? まだ何も持ってないだろう」


「ああそうだったな。あー」


「僕が用意するよ。同じ採取組だから融通が利くしね。足りなかったら声をかけるから」


「助かる。任せたよ」


 まだ何も持っていないユウの装備を話し合い始めたテリーとニックに、ビリーが請け負うと宣言した。考えているところだったテリーが笑顔でうなずく。


 食べ終わると獣の森に向かう6人は準備に取りかかった。5人はいつもの装備を手にするだけだが、ユウはビリーに用意をしてもらう。


「とりあえず僕のお古をあげるね。これは革のベルト、いろんな物を引っかけられるんだ。次にこれは巾着袋、ちょっとした小道具とかを入れておくといいよ。それとこれはスコップ、昨日薬草を掘り出すときに使ったよね。木製だから石にぶつけないように気をつけて。これはナイフ、ちょっと先が欠けてるけど大抵のことには使えるよ。それとこれは虫除けの水薬、水袋、干し肉、そして薬草を入れる麻袋、昨日使ったからわかるよね」


 次々と渡される道具をユウは革のベルトに取り付けていった。大小の巾着袋には虫除けの水薬や干し肉を入れる。初めてなので多少もたついたがビリーに手伝ってもらって準備を終えた。


 腰の辺りをユウが見ているとビリーが話しかけてくる。


「気になるんだったら背負い袋を買ったらいいよ。僕もそろそろ買おうか考えてるんだ」


「買うならお金が貯まってからかな」


「確かに。それじゃ外に出よう」


 屋内に目を向けると他の4人は既に姿が見えなかった。慌ててビリーの後を追って外に出る。


 食事中に日は昇っていたので周囲は明るくなりつつあった。今日も空は曇っている。4月に入ったばかりということもあって朝方はまだ肌寒い。


 家の前には、テリー、ニック、ケント、ダニーが立っていた。最初は4人で話をしていたが、ユウを見かけたダニーが声をかけてくる。


「ユウ、おせーぞ! 何やってたんだ?」


「僕の道具を譲ってたんだよ。革のベルトも持ってなかったんだから仕方ないでしょ?」


「お、おお?」


 横からビリーに反論されたダニーは目を白黒させた。予想外だったらしく、ユウとビリーの顔を交互に見る。そんなダニーの様子を見てニックが声を出さずに笑った。


 全員が揃ったことを確認したテリーが仲間に声をかける。


「それじゃ出発だ。今日は森の北側から入ろう」


 言い終えるとテリーは歩き始めた。昨日とは違ってアドヴェントの町から遠ざかる東側へと進んでいく。


 当然のように続く仲間を見ながらユウも足を動かした。しかし、顔にはいぶかしげな表情が浮かぶ。しばらく首をかしげていた。


 その様子に気付いたニックがユウに顔を向ける。


「どうした? 何か気になることでもあるのか?」


「大したことじゃないんですけど、これって直接獣の森に行くんですよね? 冒険者ギルドには寄らなくてもいいんですか?」


「行かなくてもいいんだよ。薬草採取や狩猟は必ず冒険者ギルドで換金することになってるからな。1日の終わりにあの買取カウンターへ行けば充分なんだ」


「昨日行ったところですね。そうか、どうせ行かなきゃいけないから事後承諾でもいいんだ。なるほど」


「そういうこと。だから、今日もあの買取担当者くそやろうどもの相手をしてくれ。あいつらの弱り切った顔をまた見たいんだ」


 楽しそうに笑うニックがユウの肩を叩いた。


 すっかり日が昇った頃には貧民街も人の往来が多くなっている。仕事で町の中に行く労働者、獣の森で薬草採取や狩猟をするグループ、市場に出勤する商売関係者、そして街の中を走り回る子供などがあちこちに向かって歩いていた。


 貧民街を東側から抜けると原っぱに出る。北側には東へと延びる境界の街道とアドヴェントの町の水源でもある境界の川があった。


 南側へと目を転じると遠くない先に獣の森が広がっている。しかし、テリーたちはすぐに森へは入らない。そのまま原っぱを東側へと進んだ。


 そうして30分ほど東に進んだ一行はようやく南へと進路を変えた。森の手前まで近づくと一旦立ち止まる。


「これから森に入るから準備してくれ」


 テリーの一言で全員が虫除けの水薬を取り出した。コルク栓を抜くと液体を自分の顔や手に塗る。


 気の進まない様子でユウは薄い緑色の液体を自分に塗っていった。隣にいるビリーが小さく笑う。


「慣れるしかないね」


「街の臭いよりかはずっとましなんだけれど、やっぱり嫌なものは嫌だなぁ」


「虫に刺されるよりかはましだよ。塗っておかないと、全身腫れ上がるくらいに何度も刺されるから」


「それも嫌だなぁ」


 虫除けの水薬をゆっくりと塗っているユウがため息をついた。塗り終わったビリーは巾着袋へと小瓶をしまう。


 その間にテリーが仲間へと指示を出していた。すぐにユウも声をかけられる。


「ユウ、今日もビリーと一緒に薬草を採ってくれ。ペアは俺とだ」


「わかりました」


「ビリー、ユウに悪臭玉は渡したのかい?」


「渡してないよ。しばらくは逃げに徹してもらった方がいいと思う」


「だろうな。ユウ、獣に襲われたら昨日教えた通りすぐに逃げること。一目散に木の上に登るんだよ」


「はい」


「他のみんないつも通りだ。それじゃ獣の森に入ろう」


 準備を終えた6人はテリーを先頭に森の中へと入った。途端に空気が湿気を帯びて体を包み込んでくる。原っぱとは明らかに環境が違った。


 前を歩くテリーの背中を見ながらユウも歩く。その顔は昨日よりもわずかに迷いがなくなっていた。

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