ぼろ馬車に揺られて

 どんよりとした空の下に冷たい風が吹きつける。昼下がりだというのに肌寒い。


 西を丘陵、東を森に挟まれた細長い原っぱの真ん中には、緩やかに蛇行した西端の街道が南北に延びている。盗賊も寄り付かないほど寂れた街道だ。


 その街道を一台の幌馬車が北へ向かってゆっくりと進んでいる。幌は薄汚れ、馬はすっかりくたびれていた。


 幌馬車の荷台後部には10人ほどの子供が窮屈そうに座っている。男の子はぼろぼろのチュニックとズボン、女の子は頭巾を被り粗末なチュニックワンピースを着ていた。


 その痩せてみすぼらしい子供の中に黒髪の少年の姿が見える。幌馬車に体を揺らされるままに目を閉じていた。


 今まで単調な音と振動を繰り返していたところに御者台から男の声が投げかけられる。


「旦那、アドヴェントの町が見えてきましたぜ!」


「市場に着いたら言え」


 傷んだ幌馬車の先頭に座っている陰気な男が気だるそうに答えた。ずり落ちかけたフェルト製の平らな円形の帽子を被り直し、汚れて平たいクッションに座り直す。


 大きなあくびをした陰気な男は自分の服に目をやった。赤黒い麻製のチュニックの上から肩に茶色く短いケープを巻いて腰で革のベルトを締め、灰色のウール製タイツに革の靴を履いている。


 黒髪の少年はその声で目を開けた。眠そうに目をこする。次いで黒い瞳を前に向けた。馬車の前でのんきに眠る人買いの男の先には、御者台に座る男の背中が見える。正確には胴体を守る革の鎧の背面だが。


 小さくあくびをした黒髪の少年がつぶやく。


「そうだ、売られたんだっけ」


 数日前のことを黒髪の少年は思い出した。2回目の不作のときに父親に人買いへと売られたのだ。無表情の父親と少し悲しそうな顔の兄に見送られて今は幌馬車に乗っている。


 2年連続で不作になると知ったときに売られることを少年は覚悟していた。しかし、故郷を離れるにあたって1つだけ気にしていることがある。それは、自分だけが知る秘密の隠し場所に祖母からもらった宝物を隠したままだということだ。


 人買いに買われて出ていった子が村に戻ってきた話は聞いたことがない。つまり、もうあの宝物を取り戻すことはできないのだ。大切な思い出の品だけに少年は肩を落とす。どうせ持ってきても取り上げられるだけだと自分を慰めるしかなかった。


 そんな少年の内心とは関係なく幌馬車は進む。目指す町は少しずつ近づいていた。




 黒髪の少年が最初に町を感じたのは鼻でだ。生臭さ、すえた臭い、糞尿の臭いなどが混じった不快な臭いが近づくにつれて強くなる。


 次いで喧噪が耳に入ってくる。話し声、笑い声、呼び声、泣き声、それに怒声に悲鳴。他にも馬のいななき、荷車のきしむ音、木槌で何かを叩く音、金属のこすれる音もだ。故郷の村では聞いたことがないほどである。


 幌馬車から見える人々の服は色合いくらいしか大した違いがない。男はチュニックにズボン、女は頭巾にチュニックワンピースだ。たまに御者の男と似た革の鎧を着た男もいた。


 街道の両側には平屋の建物が並び始める。


「どけ! 轢いちまうぞ!」


 幌馬車が右へと大きく曲がる途中で御者の男が怒鳴った。


 西端の街道から東西に走る道に移ると見える風景が変化する。南側には平屋の建物が並び、北側は一面原っぱだ。その向こうには灰色の城壁が連なっている。


 更に進むとより喧噪が大きくなった。その人々の声に突っ込むように幌馬車がもう一度右へと曲がる。


 人買いの男が起き出すと一旦幌馬車を停めさせた。何事かを御者の男に命じると市場へと姿を消す。すぐにまた幌馬車は動き始めた。そうして、市場を突き抜けて更に南下したところで再び停まる。


「よしお前ら、外に出ろ!」


 御者の男が振り返って幌馬車の中へ声をかけた。


 停まった幌馬車から降りた黒髪の少年は背伸びをしながら周囲に目を向ける。市場の南端よりも少し南で周囲に人はほとんどいない。


 立ち木に手綱を結び終えた御者の男が少年少女たちのところへとやって来る。


「よしお前ら、今から体の点検をしてやる。じっとしてろよ!」


 大声で言い放った御者の男は黒髪の少年の前に跪いた。すぐにじろじろと見ながら手足を軽く叩いて反転させ、同じように見る。少年少女は次々と簡単な検査をされては解放された。幌馬車に乗ってから毎日していることなので誰もが慣れたものだ。


 全員の検査を終えた御者の男は立ち上がる。


「よしお前ら、問題ないな。さて、ここがオレたちの目的地であるアドヴェントの町だ。これから旦那がいろんな方と交渉してお前たちのご主人様を決めてくださる。そして決まったヤツから新しい人生が始まるってわけだ。親に売られてどこにも行くアテのないお前たちにとって悪くない話だろう。だからいい子にして待ってるんだぞ!」


 いつになくよくしゃべる御者の男を少年少女はぼんやりと眺めていた。年端もいかない子供は理解できているとは思えない。


 それでも、全員逃げるそぶりを見せなかった。見知らぬ場所で子供が簡単に生きていけるほど世の中は甘くないことを知っているからだ。


 大切な商品の反応に満足した御者の男は大きくうなずく。


「よしお前ら、旦那が戻ってくるまで馬車の中で休んでろ!」


 機嫌良くしゃべり終えた御者の男が顎をしゃくった。それを合図に少年少女は踵を返して順番に幌馬車の中へと入っていく。


「あ、旦那! お早いお帰りで! そちらの方は?」


「お客様だ。ユウを連れてこい」


「おいユウ、こっちに来い!」


 客の男を連れてきた陰気な男に命じられた御者の男が振り向いて叫んだ。


 年少者が幌馬車に入るのを手伝っていた黒髪の少年が男3人の元へと向かう。


 客の男もチュニックにズボンと周りの人々と似たような出で立ちだ。しかし、陰気な男や御者の男に比べてはるかにこぎれいだった。


 そんな男の前にユウと呼ばれた少年は立たされる。


「こいつですよ。歳は10ですが文字の読み書きと算術もできます」


「開拓村の貧農の子がなんで文字と算術を知ってるんだ?」


「おい、答えろ」


「おばあちゃんに教えてもらいました」


「お前のばあさんは何をやってたんだ?」


「よくわからないです。村に来る前は旅をしていたって聞いたことはありますけど」


 客の男は疑わしそうな目を陰気な男へと向けた。陰気な男は薄ら笑いを浮かべたままである。客の男は更に眉をひそめた。


 しばらく無言だった客の男は足下に落ちていた木の棒を拾う。


「今から俺が言う言葉をこれで地面に書いてみろ」


「はい」


 手渡された木の棒をユウは受け取った。簡単な言葉から始まって徐々に難易度が高くなっていく。それを聞いた端から地面へと書いていった。


 客の男が驚きの表情を浮かべる。


「本当に書けるんだな。次は算術だ。7+6はいくつだ?」


「13です」


「54+69は?」


「123です」


「104-37は?」


「67です」


「どうです、大したもんでしょう?」


 問答が途切れたところで陰気な男がいやらしい笑顔を浮かべて口を挟んだ。客の男がちらりと目を向けると言葉を続ける。


「体の方も丈夫ですんで銀貨60枚でいかがです?」


「悪くないのは確かだが銀貨40枚くらいだろう」


「これは掘り出し物ですよ! 10歳で読み書きと算術ができるんですから」


「しかし、町の中に入れるには素性が怪しいだろう。45枚でどうだ?」


「ユウは南の方の開拓村から拾って来たんですから素性は確かです。55枚」


「人手はほしいが、別にそこまで焦ってないしなぁ」


「ここまで連れてくる子供は泣いたり叫んだりするもんですが、こいつはそういったことはありませんでした。従順で我慢強いヤツです」


「うーん、なら50枚でどうだ。これ以上は出せん」


「決まりですな。毎度ありがとうございます」


 目の前の大人のやり取りでユウの値段が決まった。そして、2人で幌馬車へと向かう。

 黒髪の少年がぼんやりとその様子を見ていると御者の男に話しかけられる。


「最初に売れたのがお前とはなぁ。真っ当そうな客に買ってもらえてよかったな。マジメに働いてりゃ、うまくすると町の住民になれるかもしれねぇぞ」


「そんな簡単になれるんですか?」


「バカ言え! 普通はなれねぇよ。けど、あのお客はアドヴェントの町の住民らしいからな。お前が自分の買い取りを終えたときにまだ必要だと思ってもらえたら申請してくれるかもしれねぇ」


 幌馬車の脇で話し込んでいる陰気な男と客の男を見ながらユウは御者の男の話を聞いた。しかし、顔に浮かぶ表情に変化はない。


 陰気な男から羊皮紙を受け取った客の男がユウに近づいて来た。すると、御者の男がユウの背中を押して前に出す。


 これから先自分の身がどうなるのかユウにはわからない。ただ、腹いっぱいに食事ができたらいいなと思った。

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