冒険者の万華鏡

佐々木尽左

序章 よくある風景

ユウのおばあちゃん

「ここから東にある、とはいってもここは西の端だからみんな東にあるんだけどねぇ、ずぅっと遠くの東にある国は、それはそれは大きな国なんだよ。何しろ端から端まで歩いて何ヵ月もかかるくらいさ。そんなに大きいものだからとっても豊かでねぇ、みんなきれいな肌をして、立派な服を着て、おいしい物を食べられて、平和に暮らしているんだよ」


 暗い室内、床の一角に敷き詰められたわらの上に老婆が横たわっていた。染みの付いた灰色のチュニックワンピースを着た小さな体を横にして、隣で寝ているぼろぼろの服を着た幼い男の子にしわくちゃの顔を向けている。


 これは、子守歌代わりのお話だ。いつも寝る前に男の子がしてもらっていた日課である。


「人以外にも生き物がいることは知っているだろう? この辺りにも犬や猫はいるけれど、世の中には本当に変わった生き物がたぁくさんいるんだよ。例えば、蜥蜴とかげの何十倍も大きくて、皮が固くて、羽が生えていて、人の言葉が話せる生き物なんかだね」


 束ねた白髪は藁に垂らし、老婆は穏やかな黒い瞳を男の子に向けていた。その話は長い。男の子が途中で寝てしまうこともよくあった。しかし、翌晩には続きから話してくれるから聞きそびれる心配はない。


「この村には畑くらいしかないけれどねぇ、世界には本当に不思議な場所があるものなんだよ。雲のように浮かぶ建物、一瞬で別の場所に行ける洞窟、潜っても息ができる湖なんかさ。何がどうなっているのかなんてさっぱりわからないよ」


 話す老婆は面白そうな笑顔を男の子に向けた。その話題は尽きることがない。同じ話をせがめばしてくれるが、そうでなければ延々と異なる話を聞かせてくれる。


「でも、ばあちゃんの生まれ育った国の方が、この世界にあるものよりも不思議かもしれないねぇ。どこに行っても貴族様のお屋敷よりも清潔で、貧乏人でも王様よりおいしい食べ物を食べられて、どんなひどい怪我や病気でも神様みたいに治してくれるんだから」


 故郷の話をするときの老婆は寂しそうだった。目元にも声色にも郷愁がにじみ出る。たまに男の子の頭を撫でる手もいつもより弱々しかった。


 話が長く話題も多い老婆は村一番の物知りでもある。他の女たちと違って頭巾を被らない変人と知られていたが、相談には気軽に応じてくれたので相応の扱いを受けていた。


 男の子の父親はそれが面白くないようだったが、おかげで困ったときには周囲に助けてもらえたので黙っている。


 そんな周囲の思惑など知らないかのごとく、老婆は男の子をかわいがった。性格が合わなかったのか男の子の兄は老婆にほとんど寄り付かない。それもあって更にかわいがる。


「これが『アー』、だよ。書いてごらん」


 この地方では珍しく青空が見える日、傾いた掘っ立て小屋の前で老婆は男の子と一緒に木の枝を持って地面に文字を書いていた。老婆が書いては男の子が真似ねている。


「いいかい、ユウ。文字も算術もしっかりと覚えておくんだよ。今は役に立たないかもしれないけどね、これを知らないばっかりに損をしている人が大勢いるんだから」


「この世の『ことわり』っていうのも?」


「そうだよ。知っているだけで大きな力になってくれるんだからね」


 顔をほころばせながら老婆は幼いユウに知識を伝えた。問われれば同じことを何度でも繰り返して答える。嫌な顔をしたことがなかった。


 そんなことを毎日繰り返していると、あるとき老婆は普段よりも声を低くしてユウに話しかける。


「ユウはとても賢いねぇ。もう色々と覚えちゃったね。だったら、次はばあちゃんの国の言葉も覚えてみるかい?」


「おばあちゃんの国の言葉を?」


「そうだよ。ここじゃ何の役にも立たないけれど、ばあちゃんだけが知っているっていうのも寂しいからねぇ」


「それじゃ、ぼくが覚えたら寂しくなくなるの?」


「もちろんだよ。知ってる人が増えるからね」


「だったら覚えるよ、おばあちゃん!」


 孫の返事を聞いた老婆は今までユウに見せた中でも一番の笑顔を見せた。いつものようにユウの黒い髪の毛を優しく撫でる。汚れた灰色のチュニックとズボンを身につけたユウは嬉しそうに黒い瞳を向けていた。




 貧しい開拓村民にとって毎年冬を越せるかは重要な問題だ。一番の関心事は冬までにどれだけ食料を蓄えられるかである。


 それはユウの家族も同じだった。いや、常にぎりぎりの生活を送っているユウたちにとっては村の中でも切実な方である。


 今年の収穫は例年よりも悪かった。納屋にある食料は去年よりもずっと少ない。ユウの父親の顔色が優れない日もずっと多くなった。


 床の一角に敷き詰められた藁の上に老婆が横たわっている。冬に入ってすぐの冷え込みで体調を崩したのだ。


 冷え込みの厳しい日でなくても、ユウの家のような掘っ立て小屋だと寒さは外と変わりない。白い息を小さく吐きながら手を震わせるユウが老婆に声をかける。


「おばあちゃん、上にわらをかけようか?」


「いやいいよ。布を掛けてもらったからね。それより、ユウの方が寒そうじゃないか」


「ぼくはいいよ。こうやって手をこすっていればあったかくなるから」


「そうかい。ユウは強いねぇ。ああそうだ、いい機会だからばあちゃんの宝物をあげよう。ちょっと待っておくれ」


「おばあちゃん、そんなに動いたらだめだよ。何か取りたいんなら僕が取るから」


「優しいねぇ。それじゃ、ばあちゃんの頭の上の藁の下から小さい麻袋を取っておくれ」


「え、ここ?」


 言い終わらないうちから体を動かそうとした老婆を制止したユウは、指示された通りに藁の下へと手を入れた。すると、何かが手に触れたので引っ張り出す。老婆に促されるままに麻袋の口を開けて中身を取り出すと油紙に巻かれた物が出てきた。


 困惑した表情のユウが老婆に目を向ける。


「おばあちゃん、これ何?」


「包みを取ってごらん。円筒形の物が出てくるから」


 丁寧に油紙をめくると、確かに円筒形の筒が現れた。表面に赤く細い糸が巻き付けられ、その上に花のような模様が織り込まれている。底の部分は半透明で奥に多数のかけらがぼんやりと見え、反対側には穴らしきものがあった。


 再び困惑した表情のユウが老婆に目を向ける。


「おばあちゃん、これ何に使うの?」


「それはね、ばあちゃんの国の言葉で『万華鏡』っていう玩具おもちゃなんだよ。その穴から中を覗いてくるくると回してごらん」


「うん。え?」


 言われたとおりに穴から中を覗いたユウは、色とりどりのきれいな小石みたいなものが筒の中いっぱいに広がっているのを目にした。更に円筒形を手で回してみると次々に変化していく。小さくとも幻想的な世界だ。


 延々と万華鏡を回して見ているユウに老婆は優しい眼差しを向ける。


「気に入ったかい? それはね、ばあちゃんの国で作られたものなんだよ」


「これを、おばあちゃんの国が作ったんだ」


「中を見ていてどうだった?」


「きれいだよ。ちょっと暗いけど。外だともっときれいに見えるのかな」


「そうだね、のぞき穴と反対側の底を日に向けるといいよ」


「あ、本当だ! でもこれ不思議だね。色々変化するんだけど、同じ形にはならないよ? 不思議だなぁ」


 老婆と話をしながらもユウは万華鏡を回しながら見続けた。両手に収まる程度の大きさしかないにもかかわらず、ずっと目を楽しませてくれる。


 ようやく落ち着いたのかユウは万華鏡から目を離した。小さく白い息を吐くユウは老婆へと顔を向ける。


「これもらっていいの?」


「ああいいよ。ばあちゃんにはもう必要のないものだからね。それより、今から言うことをよくお聞き」


「なに?」


「世の中っていうのはね、生きていくだけでも大変なんだ。食べる物がなくて困ることはもちろんだけど、他人と喧嘩したり他の誰かと争ったりなんかしてね。でも、少しだけでも嬉しいことや楽しいことだってあるものさ。だから、1つのことにこだわりすぎたり、考えが偏らないようにするんだよ。特に人や人との関係なんて簡単に変わってしまうものなんだからね。その万華鏡と同じなんだよ」


 普段のように笑顔を向けてくる老婆をユウは呆然と見つめた。黙ったまま困惑の表情を浮かべる。そのまま老婆と万華鏡を何度も見比べた。


 その様子を見て老婆が笑う。


「悪かったね、難しい話をして。でも、ばあちゃんはこれに気付くのが遅すぎたからここに来てしまったんだよ。ユウにはそうなってほしくはないから、今はわからなくてもばあちゃんが言ったことは覚えておいておくれ」


「うん」


 何か大切なことを聞いたということを感じ取ったユウは真剣な表情でうなずいた。それを見て老婆が目を細める。


 その年の冬を老婆は越せなかった。ある寒い日の朝、息を引き取る。


 こうして万華鏡は引き継がれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る