町の外へ
広くもない室内でユウは羊皮紙の束を片手に眉をひそめていた。日用品、化粧品、装身具の数々が周囲に積み重ねられている。大量の在庫を前にユウはため息をついた。今日仕入れてきた商品を置く場所がどこにもない。
ここは小間物を扱うビーンズ商会の倉庫だ。住居兼店舗のありふれた小店で店主のビーンズとユウ、それにもう1人の使用人で切り盛りしている。
読み書きと算術のできるユウはこの店の在庫管理を任されていた。仕事は真面目で商品をくすねることもないことからビーンズの信頼も厚い。
そのユウが途方に暮れていた。羊皮紙から目を離してかぶりを振りながら倉庫を出る。
「ビーンズさん、もう倉庫の中には入れられませんよ」
「しょうがないな。邪魔にならないところに置いておけ」
1階店舗裏の倉庫前から声をかけたユウにビーンズが顔だけ振り向けて答えた。その表情には余裕がない。
当初は好調だった商売は半年前に売り上げが落ち始めてからおかしくなった。それがちょうど仕入れの長期契約を結んだ直後だったから間が悪い。しかも、年が明けてから不況が本格的になってきたせいで売り上げは更に落ちた。
そのまま立ち去ろうとしたビーンズだったが立ち止まって指示する。
「そうだ。話があるから店を閉じてから倉庫前に来てくれ」
「わかりました」
毎月の月末には在庫状況を報告することになっていた。ちょうどその時期なのでユウはうなずく。そして、すぐに仕入れてきた商品を片付け始めた。
閉店後、店の片付けを終えたユウは倉庫の前に立つ。日が傾いているせいで少し薄暗い。
しばらくしてビーンズも姿を現す。
「ビーンズさん、今月の在庫ですが」
「それはいいんだ。もっと重要な話がある。2年くらい前に町の外の市場でお前を銀貨50枚で買ったことを覚えているか?」
「はい。毎月銅貨18枚ずつ返済して4年4ヵ月で自由になるんですよね」
「その通りだ。本来ならばあと2年4ヵ月は働いてもらうはずだったが、もう無理だ」
「どういうことですか?」
「お前なら商品の流れから察しがついているだろう。長期契約の仕入れをしたせいで商品は毎月決まって入ってくるのに、全然出ていかないってことを」
「でも、景気が良くなったらまた売れるんですよね?」
「そりゃ売れるだろうさ。けど問題なのは、景気が良くなるのがいつかわからないってことと、そのときまでこの店を維持しなきゃいけないってことだ」
話をしているビーンズの表情は硬い。
商品が売れない状態がまずいことはユウにも理解できた。何か対策を打たないと店が潰れてしまうことも気付いている。
「俺としても優秀なお前を手放したくないんだが、残念ながらそうも言ってられない」
「僕はいつまでここで働けるんですか?」
「ちょうど月末の今日で辞めてもらって、明日朝飯を食ったら出ていってくれ」
「随分と急じゃないですか。もう少し早く伝えてほしかったです」
「悪いな。俺もずっと悩んでいたんだ」
「そうだ、僕の売買契約はどうするんです? まだ2年以上残ってますよ」
「それなんだが、このまま契約を履行済みにしようと思う」
意外な申し出にユウは目を見開いた。完済せずに解放されるなど聞いたことがない。普通は買い叩かれたとしても誰かに売り払って損失を取り戻そうとするものだ。負債を抱えている状態ならば尚更である。
ユウの態度を見たビーンズは苦笑いした。そして、ため息をついてから口を開く。
「町の外の人買いに売ることも考えたが、どうせ今の時期だと買い叩かれるだろう。それに、今まで役に立ってくれたお前を売るのも少し気が引けたんだ」
「それは嬉しいですけど、いいんですか?」
「お前の残りの返済額は惜しいが、今まで頑張ってくれたから餞別という意味も込めて完済ということにするよ」
「ありがとうございます」
「契約書は明日出ていくときに渡すことにする。今までありがとう」
話が終わるとビーンズは2階へと去った。
その姿を目で追っていたユウは倉庫前でじっとしている。大きなため息をついて肩の力を抜いたまましばらく動けなかった。
翌朝、ユウは町の中央広場に立っていた。餞別としてもらったビーンズのお下がりであるウール製のチュニックと白麻のズボンを身につけ、更に古い革の靴を履いている。
2年前とは違ってユウは周囲の人々に溶け込んでいた。その背後には、中央広場の西側に面している庁舎が建っている。先程別れたビーンズと一緒に中から出てきたばかりだ。
その手には自分の売買契約書が握られていた。かつて人買いが発行したそれにはビーンズの完済サインが記入されている。今後はこの契約書がユウの身元をある程度保証してくれるのだ。
しかし他にも、ユウが手にしている売買契約書には1つ捺印が追加されている。
「これが町の証明印かぁ」
実は今朝になって、ビーンズから幾ばくかの銅貨を最後に返済して返済額をちょうど半額にするのと引き換えに持ちかけられたのだ。
契約書の偽造は当然違法だがその手の犯罪は後を絶たない。その対策として町が印を押して本物であると証明するのだ。町の印があれば町の住民ほどではなくても貧民よりは信用してもらえる。町民ではないユウにとっては重要な身分証明書だ。
手数料を取られたことは予想外だったが、これからのことを考えると必要経費である。そして、今からこれを武器に働き口を探さねばならない。懐には全財産である銅貨が10枚あるのみで心許なかった。
顔を引き締めたユウは左前方へと目を向ける。
「まずはギルドホールに行かないと」
ギルドホールは中央広場の北東に面する大きな建物のことだ。西隣に宗教関連の施設があり、南東には商人ギルドの商館がある。
この建物には町に認定されたギルドが1ヵ所に集められていた。同時に、商会などの雇用側と使用人などの被雇用側が直接交渉できる交流会という場も用意されている。そのため、町での働き口を探すならここが最も適切だ。
初めて立派で厳かな建物の中に入ったユウはその人の多さと活気に驚いて気後れする。しかし、気を取り直して1階の広い部屋へと入った。そこではたくさんの人々が個別に話し合っている。
「ここが使用人を雇ってくれる場所」
「君、紹介状を見せてくれないか?」
横から呼ばれたユウはそちらへと顔を向けると男が立っていた。身につけている帽子も服も靴も上等そうに見える。
胡散臭そうな顔を向けているその男は両手を腰に当ててユウの前に立った。そして、右手を差し出す。
「俺はこの交流会の受付係だ。ギルドメンバーでないなら早く紹介状を見せるんだ」
「紹介状が必要なんですか?」
「ここはギルドホールなんだ、当然だろう。ははぁ、さては持ってないな?」
「これじゃ駄目ですか?」
そう言いながらユウは持っていた売買契約書を差し出した。
不審そうにそれを受け取った男は眉をひそめる。
「ビーンズ商会の証明印あり売買契約書? 今日の日付? 今日解雇されたのか?」
「解雇されたのは昨日で、役所で印を押してもらったのはさっきなんです」
「一応身元は確かなのか。坊主、金はあるか? 銀貨1枚」
「お金取るんですか!?」
「当然だろう。ここは交渉相手が真っ当な人物だって保証してるんだ。無料のわけがない」
説明を聞いたユウは呆然とした。手持ちは銅貨十枚しかない。
その様子を見た男がため息をつく。
「残念だったな。その売買契約書は紹介状の代わりになったのに。稼いでから出直してくるんだな」
「その稼ぐ先を見つけたくてここに来たのに、一体どうやって」
「最近は不況で働き口のない元使用人が増えてきている。そういう連中は冒険者ギルドで糊口をしのいでいるらしいぞ」
ユウは眉をひそめた。本部こそこのギルドホールにあるが、一般の冒険者ギルド関係者は町の外の支所で働いている。町の住人でないユウは一旦外に出ると再び入るときは銀貨1枚の入場料が必要だ。生活費を稼ぎながら銀貨2枚を蓄えるのは楽ではない。
そういう身の上になりたくなくてギルドホールにやって来たユウだったが、あと一歩のところで手が届かなかった。
肩をすくめた男が顔をしかめるユウに羊皮紙を返す。
「慰めにもならんだろうが、ここで働き口を見つけるのも大変だぞ。不況のせいで今は買い手市場なんだ。よほどのコネか特技がない限りは無理だろう」
「そうですか」
売買契約書を受け取ったユウはそのまま踵を返した。そして、肩を落としたままギルドホールを出る。
日が昇るにつれて往来する人の数も増えてきた。その誰もが羨ましく思える。目の前の人々には行くところも帰るところもあるからだ。
ため息をついたユウは気を取り直して前へと進む。とりあえず、何とかして働き口を見つける必要があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます