第四十一話 鞘

 外界の人間がクアドラトゥーラ大樹海に住まう者に最も重要な場所を問えば、彼らはまず間違いなく神樹バオムを挙げることだろう。

 当然である。ローダンテス大陸における木行デンドロン象気マナの発生源たる神体ジグラートにして、他でもない東皇マルドゥークハイドライドの依代なのだから。

 だが、いくら象気マナを生み出してもそのままでは他の地域に届かない。

 そこで東皇は天地開闢後、この地に居を定めてすぐに小さな森を生み出した。

 森は神樹の象気マナを吸収して蓄え、溢れた分を各地に供給する役割を担った。

 そうして常に木行デンドロン象気マナに満たされた森の周囲はいつしか大森林を形成し、これがクアドラトゥーラ大樹海の礎となった。

 現在では森の鞘アナモルフォーシスと呼ばれるその一帯は、神樹と同等の最重要区域となっており、この事実は大樹海クアドラトゥーラの民達によって秘匿されている。

 十氏族の長老でさえ東皇の許しを得ずには足を踏み入れられない、神聖な場所。

 今、ローザと二人の森人エルフ――翔べる群嵐ロクスタ浄き縁ソフォーラの長老はそこにいる。

 皆一糸纏わぬ姿となり、手を繋いで円陣を組みながら膝をついて。

 周囲の木々を包んで光る緑色の象気マナが、森人エルフ達の呼吸に合わせてその口へと吸い込まれていく。

 体内に取り込まれて元気オドと化した象気マナは、繋いだ手を通じてローザの体内へと送られ、ローザは自身にそれをひたすら蓄積し続けている。

 だが、ほんの一平米ほどの範囲に木行デンドロン象気マナが集まっているためなのか、三人が囲う地面からは驚くべき速さで草花が生い茂り始めていた。

 白い野薔薇だ。

 偶さかそこに苗があったのか、誰かの元気オドの影響かは分からない。

 いずれ、この気恥ずかしい儀式も一面に花が咲く頃には終わるだろうか。

 ぼんやりとそんなことを思っていた浄き縁ソフォーラの長は、ふと木行デンドロン特有の象気マナの色相に気が向いて、そこから己が親神エロヒムたる樹王の世にも美しい姿を思い浮かべた。


「はぁ……今日もエニス様は麗しゅうございました」

「そうだな、ああしてプロヴィンキア様と並んでおられると、特に絵になる」


 浄き縁ソフォーラが悩ましげな溜め息をつくと、すぐに翔べる群嵐ロクスタが頷いた。

 この二人は見た目も性格も全く違うが、ことエニスに関しては馬が合った。

 どちらも眷属アポストルとなる以前より彼を慕い崇拝していた、筋金入りの信者ファンである。


「だが、気のせいか少々やつれているように見受けられた」

「ええ、お疲れのご様子で……でもそこがまた♡」

「あの憂いを帯びたお顔で微笑まれでもした日には心の臓が止まるやも知れんな」

「本望です! いっそ止めて欲しい!」

「フッ、同感だ」


 繰り返す。筋金入りの信者ファンである。

 なお余談だが、当のエニスは彼女らの態度にたびたび困惑している。


「……あんた達、ほんとエニス大好きよねー」


 そんな二人の様子にローザは呆れ混じりの笑みを浮かべた。

 とは言え、大切な友人を傍で支えてくれる存在が好ましくもあるのだろう。

 そのトルコ石ファイルーズの瞳には親愛の色が窺える。


「エニス様と引き合わせてくださったこと、ローザ様には感謝しております」

「うむ。お陰様で五百年もの間、充実した推し活の日々を送ることができている」

「……………………うん」


 だが、嬉々とする森人エルフ達にローザが見せたのは、浮かない顔だ。


「あら? 象気マナ酔いかしら……ご気分が優れませんか?」

「こら、察して差し上げろ」

「あっ――……すみません。責任、感じてらっしゃいますよね。貴き月ラウルスのこと」

「ん? んー……もちろんそれもあるんだけど。なんて言うのかな。我ながら成長しないなって思ってさ」

「ローザ様……」

「あはは、なんかごめんね。気にしないで」


 翔べる群嵐ロクスタ浄き縁ソフォーラは哀しく笑うローザを見遣る。

 長としては未だ若い二人の森人エルフにその胸中の全てを推し量ることは叶わない。

 だが、それでも親神の友が辛そうにしているのを見過ごすのは忍びなく。


「そんなことより二人とも付き合ってくれてありがと。今夜一晩よろしくね」


 ローザが不自然に明るい声で話題を変えたところ、長老達は視線を交わした。

 直後、先に口火を切ったのは翔べる群嵐ロクスタだ。


「ふむ……そのように仰られると、なにやら高ぶるものがあるな」

「……ん?」

「私とて一夜の相手がローザ様ならばやぶさかではないが」

「なにそれ超混ざりたい! 効率的に循環させられますし!」

「んん?」


 ローザが言葉の意味を計りかねている間に浄き縁ソフォーラ翔べる群嵐ロクスタに同調する。

 かくしてローザがからっと晴れやかにさせた筈の場は、早速二人の森人エルフによって妙な雲行きへと移いつつあった。


「要はじかに触れて象気マナを通わせれば良いわけだからな。どれ、ローザ様も落ち込んでおられることだ、ここは我らがひと肌脱ぐとしようか」

「もう脱いでますけどね!」

「これはしたり」

「いやいやいや待って待って何言ってんの? あたしは別におふっ」


 流石に色々察したらしい。

 制止しようと声を上げたローザは、けれど白黒二本の腕にどん、と押し倒され。

 すぐに翔べる群嵐ロクスタ浄き縁ソフォーラが覆いかぶさり、その上気した顔が眼前へと迫った。

 今一度繰り返すが、彼女達はエニスの信者ファンである。

 だが、同時に周辺の人間関係もその一部として捉え、同様に慕っている。

 即ち、ローザもまたエニスの一部にほかならない。少なくともこの二人にとっては。

 などと色々言いはしたが、要はただ節操無しなだけである。


「……では、ローザ様」

「お慰めして差し上げます♡」

「ちょ、ちょっと待っ――」


 その夜、森の鞘アナモルフォーシス全域に野薔薇が咲き乱れたという。

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