第三十三話 応報
エニスは
野を駆ける肉食獣の如き速度を維持し続けたまま、疲労の色も見せずに。
行く手の木々は
ローザはそんなエニスの後ろを同等の速度でただ付いて行けば良かった。
そうして半刻ほど進んだ頃、次第に森から密林へと環境が移り変わりつつあった。
「ねーねー、この方角ってさ」
少し移動が飽きてでも来たのか、おもむろにローザが声をかけた。
エニスは前方を向いたまま応える。
「うん、目標は
「揉めてる相手を順番に排除しようってわけ?」
「それもあるだろうし、もしかすると戦力増強を見込んでいるのかも知れない」
彼らは容姿だけでなく頭脳と身体能力も鰐そのものと言って良いほど優れており、力任せなだけの戦士とは一線を画す
洗脳することができれば、下手な魔物を従えるより遥かに頼りになるだろう。
「万が一操られでもしたらウパシルレ本人より厄介だ」
「間に合いそう?」
「問題ない。向こうもそれなりの速度で移動してはいるが、所詮は団体行動だ。このペースなら里に辿り着く前に切り込める」
「オーケー」
「…………」
「なーに?」
「別に」
ローザは、前を行くエニスが僅かにこちらを見たのを見逃さなかった。
そしてこう言う場合、気のない返事をよこすのは
要するに彼は里での出来事を未だ気にしているのである。
だから、それを念頭にローザは会話を続けた。
「……あんなのいつものことよ。今回はたまたまスイッチ入っちゃったってだけ」
「そうだね。ついでに少しは懲りてくれると
「考えとくわ」
「そう願いたい。ハルカのこともあるからね」
「…………」
「何か?」
「別に」
先ほどとは逆のやり取りを交わして、以降はどちらも何も言わず疾走し続けた。
綺麗に半分に欠けた月が、それにしては目映い明かりを以って二つの影を照らした。
※ ※ ※
ウパシルレに操られているとは言え、その力は健在だった。
お陰で彼らの行く手は常に真昼の如く視界が確保され、その点で進軍に不足はない。
かと言って、何も問題がないわけでもない。
それは他でもない総指揮者のウパシルレにあった。
「ウパシルレ、一旦休息を入れよう! 皆の体がもたない!」
「ン黙れァアッ!!」
取り巻きの一人が進言しても彼は耳を貸さず、ひたすら全速前進を強要した。
しかし、
事実、ここに至るまでに三分の一ほどの
このままでは
「チィッ、雑魚どもがァ!」
ウパシルレは跨る獣を立ち止まらせ、後続の疲弊ぶりに心底吐き捨てる。
里の
それを労る気など毛頭ない。せいぜい操って魔物共々使い潰してやるつもりでいた。
だが、確かにこのままではいたずらに浪費してしまうだけである。
「適当に休ませてから来いッ!
「待てウパシルレ! 一人では」
「ン私に指図するなァあッ!!!!」
ウパシルレは取り巻きの忠言を裏返った声で突き返した。
そして自らが騎乗する獣の尾に繋いだ縄を――その先で両手首を括られ地面に転がる少女の虚ろな顔を見遣り、醜悪な笑みを浮かべた。
「げハッ! 行くぞォォオ?」
ウパシルレの瞳が禍々しく光る。
獣の眼もまた呼応するように輝き、急速に走り出す。
すると少女は尾が弾む度に弾み、地面の起伏に弾かれ、時に木々へ激突しながら顔色一つ変えることなくなすがままにされた。
だが、驚くべきことに彼女は多少のことでは傷つかず、また負傷した場合も瞬く間に再生するのである。
ウパシルレ達が発見した際には相当長い間痛めつけ、流石に手足が妙な方向に曲がったものだが、それさえも五分と待たず元通りとなっていた。
以来、ウパシルレはことあるごと木霊の少女に暴力を振るった。
なぜかその幼子を目にすると無性に苛立ちが募り抗い難い嗜虐心にかられるのだ。
それがあの赤毛の女に対する感情と同質のものだと、自ら気付くことはなく。
「ゲハハッ! 水君の木霊ともあろう者が無様なことよなァァァアアアアン!」
ウパシルレは時折振り向いてはその様を見て下卑た笑みを浮かべ、わざわざ魔物を左右に走らせて振り回したりもした。
相変わらず少女はあらゆるものに弾き飛ばされながらぼんやりしているが、そのたびに眼球が黒ずみ、今やその双眸は闇そのものとさえ言えるほど濁り切っていた。
「ハハハハハハンなんと滑稽ィ――……いいいィ????」
不意にウパシルレの視界から少女が消えた。
ただ切れたロープの先だけが獣の尻で第二の尾の如く踊っている。
「なななんだァン!? ――ヘブふッッッ!?」
その直後、頬に固い衝撃を受けたウパシルレの視界は来た道を急速に逆行し、程なく木の幹に衝突して跳ね返ると、何者かにがしっと首を掴まれて静止した。
「ぐうぇァッはッ!」
「こんばんは、イ・キ・リ・くん」
「はァあン!?」
頬に――ローザの飛び蹴りによる――靴跡を付け、鼻血を噴き出したまま。
ウパシルレは困難な呼吸も厭わず、自らを片手で吊るすローザ
少し離れたところではエニスが木霊の少女を抱き抱え、その月影すら照り返さぬ深淵の如き眼を怪訝な顔で見詰めていた。
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