第三十二話 傾国の聖女

 ハルカです。

 僕は今、樹王の家の食堂で夕食をいただいているところ。

 パイカラさんも一緒だけど、ずっと落ち込んでいて食が進まないみたいだ。

 一応森人エルフである彼女に配慮したのか、プロヴィンキアさんの手料理は豆と葉っぱを煮込んだ醤油風味(!)のスープや樹の実や種を潰してこねたパンといった植物性のものばかり。

 だから口に合わないわけではないと思うんだけど。結構美味しいし。

 でもまあ食欲が出ないのは無理のないことなのかも知れない。

 兄がやらかしたせいで氏族クラン丸ごと存続が危ぶまれてるわけだから。

 そしてプロヴィンキアさんも基本こちらから声をかけないと喋らない人だ。

 個人的に、静かな食卓は嫌いじゃない。

 嫌いじゃないんだけど……正直に言ってこの場はちょっと気まずい。

 何かで読んだことがある。

 気まずさとはふさいだ心に引っ張られて空気が沈み、停滞することによって観測されるものだと。

 それを払拭したければ、とにかく場を動かすしかないんだろう――と言うわけで。


「あのー、プロヴィンキアさん」

「…………。……………………。…………………………………………何か?」


 僕が声をかけると、魔女ソルシエールはとても長い長い咀嚼を挟んでからやっと答えてくれた。


「トーマさんとの付き合いは長いんですか? あ、トーマって言うのは」

「ローザのことね……。長いわ、とても……長い。エニスと出会う遥か以前から……」


 そうして、プロヴィンキアさんは昔のトーマさんについて語ってくれた。

 それによると昔むかし、本当に気が遠くなるほど遠い昔から頻繁にクアドラトゥーラ大樹海を出入りしていたんだそうな。


 一時期は、とある森人エルフの集落に住んでいたこともあった。

 総じて只人ヒュム嫌いの森人エルフ達のこと、やっぱり最初はトーマさんのことを避けていたようだけど、そのうち人柄に心打たれたのか、いつの間にかその周囲には自然と人が集まるようになっていた。

 中でも仲が良かった二人の男女はいつもトーマさんと一緒に過ごしていた。

 そんなある日のこと、今で言うラトナのあたりにかつて存在した只人ヒュムの小国が突然大樹海クアドラトゥーラに攻め込んで来た。

 これに対して森人エルフ達は当初、話し合いでの解決を試みた。

 ところが、当時樹王として大樹海クアドラトゥーラを取り纏めていた長老が交渉の席で殺されてしまい、結局は戦いになった。


「殺された……って、よっぽど強い相手だったんですか?」

「いいえ……元来“樹王”と言う号は、大樹海クアドラトゥーラを最も深く知る森人エルフに与えられるものに過ぎなかったから」

「ははあ、最長老様ってことですね」

「ええ……。東皇マルドゥークの眷属と言う点では今と同じだけれど、エニスのように大きな力を授かっていたわけではなかったの……」


 怒りに燃える森人エルフ達は只人ヒュムの軍勢に立ち向かった。

 同じく大樹海クアドラトゥーラを縄張りとする鱗人レプティリアン氏族クランも、森人エルフに協力して侵略者に刃を向けた。

 最初のうちは自分達の縄張りと言うこともあって、森人エルフ鱗人レプティリアンが有利に戦いを進めていた。

 けど、只人ヒュム側は損害をものともしない数の暴力でひたすら攻め続けた。

 戦いは泥沼化して、大樹海クアドラトゥーラ側が劣勢に立たされた。

 それでもトーマさんの友人の一人である樹王の息子さんは誰より只人ヒュムを憎み、偉大な父を亡き者にされた恨みを晴らそうと率先して戦いに身を投じた。

 その一方、彼はトーマさんを只人ヒュムだからと敵視することはなかった。

 とは言え、やっぱり他の森人エルフ達の中にはトーマさんを忌避したり憎む者もいたわけで。

 結局トーマさんは森人エルフ達の前から姿を消した。


「しばらくは私のところに身を寄せていたわ…………」

「あー…………なんて言うか、大丈夫でした?」

「うっ……………………無理やり…………戦場に連れて、行かれて…………」

「その……大変でしたね」


 しくしくと顔を覆うプロヴィンキアさんを慰めつつ、話を続けよう。


 トーマさんはプロヴィンキアさんの力を借りて只人ヒュム達の本陣を無力化させた。

 なんでもプロヴィンキアさんは特別なお香を焚いて、その匂いに象気マナを乗せることで嗅いだ相手にかなり強力な幻覚を見せることができるんだそうだ。

 トーマさんはすっかり様子がおかしくなった兵士達の武装を解除した後、将軍と見られる偉そうな人をボコボコにして縛り上げた挙げ句、こっそり森人エルフの里に放り込んだ。

 指揮官も戦意もなくした只人ヒュム達は、正気を取り戻すと逃げ帰った。

 その様子をプロヴィンキアさんと一緒に眺めていたトーマさんも、いつの間にかいなくなっていた。


「一言も言わずに?」

「…………………………………………いつものことだもの……」

「野良猫か何かみたいですね」

「…………。そうね…………本当にそう……」


 僕の例えに、プロヴィンキアさんは少しだけ微笑んだ。

 その後、クアドラトゥーラ大樹海が攻め込まれることはなく、それどころかしばらくしてから、一晩で国が滅んだと風の精霊エスプリ達が噂を運んで来たそうだ。

 めでたしめでたし……なのかな?


「やっぱりトーマさんが?」

「さあ…………私はそれを見たわけではないから……」


 僕の問いにプロヴィンキアさんは小首を傾げ、別の切り口を示してくれた。


「あの国が大樹海クアドラトゥーラに侵攻した理由なら、知っているけれど……」

「あ、それも少し気になってました。結局なんだったんですか?」

「…………。“聖ブリギッドの奪還”」

「……! それって」


 そう言えばラトナを出る前にトーマさんがちらっと話していた。

 あのあたりでも太陰教の聖女様をやっていたことがあると。

 そんな人がどういった経緯でクアドラトゥーラ大樹海に転がり込んだのかは分からないけど、どうあれ時の権力者はそれを良しとしなかったと言うことなんだろうか。

 その疑問をある程度裏付けながら、プロヴィンキアさんは続けた。


「浅ましい領土欲にかられた王が大義名分を掲げただけなのか、行き過ぎた信仰心によるものなのかは分からないわ……。確かなのは、ある時攻め込んで来た只人ヒュム達がそう話していて、それを一人の森人エルフが耳にしたと言うこと……」


 トーマさんは問い質されて、自分がブリギッドであることを認めた。

 彼女は歳を取らなかったけど、少なくとも容姿は只人ヒュムそのものだった。

 皆が首をはねろと殺気立つ中、友人達はトーマさんを庇った。


「特に……――は身を挺してまで守っていたわ……。時には、怪我を追うことさえ…………」

「!」

「父様が……?」


 僕だけでなくパイカラさんも驚いて顔を上げた。

 つまり、それは。


「けれど…………いいえ。ローザは大樹海クアドラトゥーラを離れて、二度と戻ることはなかった。五百年ほど前……エニス達五人の勇者メシアを連れて、東皇を訪ねる日まで……」

「…………」


 プロヴィンキアさんはそう結んで、何かに思いを馳せるかのように宙を見上げた。

 僕は何も言えなくて、ただテーブルの木目を見詰めることしかできなかった。


「……聞いたことがあります」


 すると、今度はパイカラさんが語り始めた。

 それはベタでどこにでもあるような、でも極め付けと言えるような内容で……。


「亡くなった母様が一度だけ話してくれたんです。父は共通の友人だった只人ヒュムの女性を愛していたと。……でも、その人はある日突然いなくなってしまったと。この話を聞かされた時は、てっきり只人ヒュム森人エルフの寿命が違うせいで、相手の方に先立たれたんだとばかり思っていました。だけど……」

「……………………。只人ヒュムの軍勢とローザが去ってから、イタクパテクは森人エルフ以外の種族を極端に忌避するようになった。それは貴き月ラウルスの里全体に伝播して、いつしか森人エルフを至上とする思想へと移り変わって行った……」


 パイカラさんが言い淀んだことを、プロヴィンキアさんはあくまで事実のみで補った。

 でも、それで充分だった。

 トーマさんの人柄を思えば、聞かされた内容は少しも意外なことじゃない。

 だからこそ……大袈裟かも知れないけど僕はトーマの“業”を、垣間見た気がした。

 過去と現在を踏まえると、見た目よりもずっとひどい状況だ。

 友達の息子があんな調子になった原因、その大部分は女神エクリプスだろうけど、根本的な選民思想の礎になったのは只人ヒュムの侵攻と見て間違いない。

 そして、それを招いたのはどうやらトーマさんであるようだ。

 更に、たぶん仕方なかったとは言え、結果的にイタクパテクさんの想いを無言で踏みにじってしまったわけで。


「トーマさん……」


 つい、独り言で名前を呼んでしまった。

 トーマさんは一体どんな気持ちで貴き月ラウルスの里に向かったんだろう。

 だから、たぶんこう言うことは良くあるんじゃないかとも思うけど。

 だからと言って涼しい顔をしていられるようなタイプじゃないのは明らかだ。


 僕は……僕はどう接するべきなんだろう。

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