第三十一話 因果
その頃イタクパテクは自身の家に結界を張り、ウパシルレの魔手を逃れた僅かな民を匿っていた。
結界と言ってもせいぜい他者の意識を逸して気付かれにくくする程度のものだ。
悪戯好きな樹木の
それゆえ洞察に長けた者には通じないが、操られ自我を失った魔物を避けるには十全な効能が期待できた。
事実、今のところ里を跳梁跋扈する異形どもに察知された様子はない。
翻ってこの家を発見できる者がいるとすれば、恐らくそれは歓迎すべき客人の筈。
やがて先ほどから響いていた戦闘音が止み、静けさを確かめようと若い
「
果たして稀人は訪れ、イタクパテクは自ら席を立って出迎えた。
他の
「このたびは我が愚息がとんだ粗相を」
「そう言うのは後にしよう。状況を」
「は」
稀人、即ち樹王の問いにイタクパテクは大まかな経緯を語る。
ウパシルレが魔物の群れを従えて
その中にボロボロの格好をした藍色の髪の少女が紛れていたこと。
民の大半は魔物同様に操られ、ウパシルレに下ったこと。
そのほとんどはエニスとローザの見立てを裏付けるものに過ぎなかったが、次にエニスがイタクパテクに改めたいくつかの項目は、決して聞き流すことのできないものだった。
「
「水君の……? もしやあの魔物達と共にいた幼子が!?」
「聞いてないのか。パイカラが話しているものとばかり思っていたけど」
「私は何も……。で、ではウパシルレはまさか!」
「ああ。魔物だけでなく水君の木霊にまで手を出した」
「なんと言うことをッ…………!」
「色々と気懸かりだろうが、まずは話してくれないか」
「…………失礼いたしました。あの禍々しい色をした氷の結晶をご覧になったでしょう。かの少女はあれらを自在に生じさせ、我々を追い詰めました。恐れながら……あたかも樹王、あなた様が樹木を顕現なさるご様子と違わぬ、凄まじい力の持ち主です。その表情は虚ろでしたが目は漆黒に染まり、激しい怒りを宿しているように見えました」
「……そうか」
エニスは目を細め、新たな情報を吟味した。
イタクパテクが誇張したわけでないのなら、木霊が本体と同等の力を発揮していることになる。
ウパシルレの洗脳に付随する効果と言う線もあり得るが、かの木霊が宿る仮初めの肉体が何かしら特別のものと言う可能性もある。
あるいはその双方か。
(つくづく厄介なことだ)
エニスは密やかに覚悟を改め、今少し問う。
「ウパシルレはなんと言っていた」
「…………ッ」
イタクパテクは苦々しい顔で歯噛みした後、俯いて答えた。
「……
「――わお大胆」
「そうして皆を扇動し、あの奇妙な力で操ったのです。恐らくは多少なりとあやつの言葉で心を動かされたためでしょう。私は急ぎ結界を張り難を逃れましたが、この者達を守るのが精一杯でした」
「ウパシルレのこと、なんでもっと早くエニスに相談しなかったの?」
「返す言葉もない……」
「いくらなんでも放任しすぎでしょ」
「それは…………――!? きッ、貴様は!?」
いつしかこの場にいなかった筈の、彼にとっては決して忘れ得ぬ女の声がして。
イタクパテクは顔を上げ、目を見開いた。
そこに立つのは
彼女はかつて常にそうであったように、自分へ微笑みかけていた。
「なんだ、意外と元気そうね。イタクパテク」
「ローザ! 今更何をしに来たッ!」
「決まってんでしょ。誰かさんのバカ息子がオイタしたせいで駆り出されたのよ」
「くッ……樹王! なぜこんな奴を!」
呆れ顔で額を抑えるエニスに、イタクパテクは思わず食って掛かった。
「お前達の事情を知らないわけじゃないが、今は彼女の助けが要る。堪えて欲しい」
「いいわよすぐ出てくから。……ちょっと顔見ときたかっただけ」
「……ッ、お前はいつもそうだ! あの頃、私がどれほどお前に――」
「ごめん」
「――……!」
イタクパテクは自身を押さえ込むかのように、ぎゅっと目を瞑った。
エニスの言葉をよすがにして、ローザの態度を、その謝罪を突き返せない己の弱さを嘆きながら、ひたすら耐えていた。
他の
過去を知らない者からすれば、不躾な
当のローザは旧知の
「行こ、エニス」
「……ああ」
やがてローザは促すように踵を返し、エニスもそれに応じて。
二人の訪問者は二度と振り返ることなく、イタクパテクの家を後にした。
「ちょい前言撤回。案外キツいわこういうの」
足早に先を行くローザが顔も見せずに言った。
イタクパテク達の救助に自ら乗り出したことについてである。
「外で待ってろと言ったのに」
エニスはやや責める口調でぼやく。
彼はこうなることを見越して、一人でイタクパテクを訪ねたのだ。
結局ローザが入って来てしまい、その気遣いは無意味なものとなったが。
「んー、ちょっと確かめたくなってさ。あたしがいなくなった後どんな風に過ごして来たのか。顔見れば大体分かるから」
「それを言うなら
「だからよ」
「因果な性分だ」
「うるせ」
否定することもできずそれだけやり返して、ローザはにわかに立ち止まった。
「“アユムくん”」
「ん?」
そして程なく追いついたエニスの振り向いて、その胸に額を当て。
「ありがとね」
「……そう言うところだよ」
「何よ、お礼くらい素直に受け止めなさい」
「はいはい。どういたしまして――“ユミ”」
エニスはその頭をぽんぽん叩いて、泣き顔を隠すローザを控えめに慰めてやった。
こんなことをしている場合ではないのだけど、と思いながら。
もっともウパシルレ達を今から追ったとして、この二人ならば余裕で追いつける。
それゆえエニスは困った旧友が落ち着くまで付き合ってやることにしたのだった。
やがて
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