第三十話 毒

 とエニスが貴き月ラウルスの里に到着したのは、半ば日が暮れて鬱蒼とした闇が忍び寄る頃のことだった。


「……暗いな」


 広場に出るなり、エニスは眉をひそめる。

 周囲の家々から人の営みの様子が窺えない。

 大樹海クアドラトゥーラに居を構える森人エルフならば日暮れと共に光の精霊エスプリを招き、夜間の明かりを確保するのものだが。


「エニス」

「!」


 ローザの声にエニスが振り向くと、真正面から熊に似た獣が突撃して来る。

 更に上空からはやけにくちばしの大きい巨大な鳥が飛来した。


「どうやらお祭りが始まっちゃったみたいね」

「やれやれだ」


 エニスが溜め息を溢して地面に触れ、木行デンドロン象気マナへ干渉する。

 すると足元から巨木が生え、獣の腹を貫いたまま高くそびえ立った。

 だが、その先端から逃れた巨鳥が二人目掛けて無数の羽を放つ。


「ちゃんと一発で仕留めなさいよ!」


 ローザは文句を言いつつも大太刀で一息に羽を払い除け、もう一振りの斬撃で遥か上空の敵を両断せしめた。


「お前がいるのにそう気張ることもないだろう。……と言いたいところだけど」


 立ち上がるエニスの瞳が赫灼とする。

 権能を以ってこの一帯の象気マナを改めているのだ。


「うじゃうじゃいるね。里の外が特に酷い」


 エニスが視たところ、魔物達は一定の規則性を以って活動しているようだった。

 どうやらウパシルレはたびたび魔物を屈服させ、支配下に置いていたらしい。


「少し甘く見ていたかな」

「引きこもってばっかいるから気づかないんじゃん」

「そう言う契約で樹王アガスティアをやってるんだ」

「……前から思ってたけど東皇じっちゃんってエニスには甘いわよねー」

「そうかな」

「そーよ。あたしなんて怒られた記憶しかないもん」

「それはお前がもう少し自分を」

「で、ウパシルレイキリくんとミヲの木霊エコーは?」

「…………」


 一方的に話題を戻され、エニスは閉口した。

 恐らくローザは都合の悪いことを言わせまいとしたのであろう。

 とは言え今は非常事態なので、エニスは素直に問いへ答えることにした。


「この近辺にはいない。だが、雨季でもないのにところどころ水行ヒュドール象気マナが増大してる。これを辿れば追うのは容易いだろう」

「ならそっちは後回しね。とりあえず里の中だけでもどうにかしてあげなきゃ。魔物潰しながらイタクパテクのとこ行きましょ」

「…………」


 不意にエニスが口をつぐむ。

 その意味を計りかねてローザは小首を傾げた。


「何よ?」

「追跡に回ってくれても構わないけど。俺が“目”を貸してやればお前一人でも」

「ヘンに気ィ使ってんじゃないわよ。から何百年経ったと思ってんの?」

「…………」

「…………」


 二人はしばし視線を交わし、やがてエニスが降参したかのように瞑目した。


「……お前がそれでいいなら」

「こんな時にいいも悪いもないって」


 ローザはあくまで事も無げだ。

 だが、エニスは樹王として、また友人として留意せざるを得なかった。

 かつてイタクパテクとローザの間で起きたは、貴き月ラウルス森人エルフ至上主義に染まる原因のひとつとなった。

 その出来事は客観的に見てローザに非があると決めつけられる類いのものではないのだが、だからと言ってこの女は気に病まずに済ませられる性格をしていない。

 エニスは密かに引き続き留意することを決めた。

 その後二人は里の中を駆け抜け、足も止めずに行く手を阻む魔物を次々屠った。

 その最中、黒く染まった氷の結晶が随所に散見された。

 あるものは家屋を突き破り、あるものは憐れな森人エルフの身を貫き、あるいは凍てつかせ、またあるものは家屋そのものを鎖すほどの規模を見せている。


「木霊が顕現した権能か。想像以上の力だ。それにこの色は……」


 エニスは眉根を寄せて原因を思う。

 水行ヒュドールはそのもの水であるがゆえ、とかく

 それはある意味で毒だ。

 そして毒を含んだ水はほとんどの生命にとって危険なものである。

 恐らくはこうなるよう仕向けたウパシルレ自身にとっても。


「それも気になるんだけど、ちょっと死体の数が少ないと思わない?」

「待ってて。もう一度視てみる」


 ローザの疑問を受け、エニスは再度象気マナを感知する。

 果たしてそれはすぐに氷解した。


「何人かは長老の家に身を寄せているようだ。それにしても人数が少ないけど」

「残りは兵隊にされちゃったとか?」

「だろうね」

「ラトナでも似たようなことがあったわ」

四制キュリオスと言ったっけ? ベアトリスからおおよそは聞いているよ。近頃は洗脳が流行ってでもいるのかな」

エクリプスあいつの中ではそうなんじゃない? ……って」


 二人は広場を出て以来初めて足を止めた。

 もう少し行けば長老宅がある筈だが、そこへ至る道が塞がれていた。

 十メートルはあろうかと言う一頭の蛇竜によって。


「なんでここにドレイクがいんのよ! 生息域もっと東の方でしょ!?」

「捕まえて来たんだろうね」

「つーか気づいてたなら言ってよ先に!」

「やることは変わらないじゃないか」

「ああもう!」


 食って掛かるローザに対し、エニスはあくまで落ち着き払ったまま。

 対象的な二人はそれでも同時に身構える。

 他方、蛇竜は獲物を認めるや否や大口を開けて毒霧を放った。

 エニスが即座に多数の樹木を生やして受け止め、毒に溶かされたそれを突き破って八双に構えたローザが突撃する。

 蛇竜は体躯の割には小振りな前足で獲物を踏みしだかんとするも、ローザはこれを剣で受け止めた。


「さーてこっからどうしよ」

「考えなしに突っ込むからだ」


 その時エニスは無惨に変わり果てた木々を足場に宙へと駆け上がっていた。

 両手にはいつの間にか木製のブーメランが握られている。

 彼はそれらを同時に――手放すことなく振るう。

 すると次の瞬間、ローザと競り合っていた前足と首の付け根がぱくっと斬れた。


「浅いか」


 エニスは宙にいる間に再度得物を振るい、今度はそのまま放り投げる。

 足を一本失った蛇竜は前のめりによろめきながらも上空の獲物に毒霧を浴びせんと喉を膨らませた。

 だが、その頃にはローザが喉元へと滑り込み、同時に両側面からのブーメランがその長い首を締める。

 そうして毒霧が出遅れた首をローザがひと太刀で叩き切り、その勢いで側方へ離脱した。

 首だけでも巨大な頭が轟音と共に転げ落ちたが、なおものたうって切り口から逆流した毒液が周囲の地面を腐食させる。

 そのまま蛇竜は着地したエニスを捉えんと大口を開いたが、樹王は即座に顕現させた巨木の先端を以って迎え撃ち、串刺しとした。

 程なく首は動きを止め、そして胴体も倒れ伏した。


「片付いた?」

「一応は。でも」


 ローザがエニスに歩み寄る。

 そして騒ぎを聞きつけた魔物の群れもまた、二人へとにじり寄る。


「……まあこうなるよね」

「この際手間が省けたとでも思っとくわ」


 二人は背中を合わせ、身構えた。

 だが、いずれその顔に不安や焦りの色は窺えない。


 彼らにとってはただ、ほんの少し面倒くさいだけのことだから。

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