第二十九話 抜け道

水君テティス木霊エコーが宿った肉体だって……?」

「……はい。兄は、ウパシルレは確かにそう言ってました」


 エニスさんはパイカラさんの言葉に眉をひそめた。

 あ、どうもどうも。ハルカです。

 トーマさんが僕の帰還の可否に触れた後、まあその、ちょっと色々ありまして。

 その件はまた後ほど語らせてもらいます。……恥ずかしいけど。

 とりあえず今は、事情を聞くために改めてパイカラさんに来てもらったところ。

 もちろんプロヴィンキアさんも一緒だ。


「早速二つ目のイレギュラーができちゃったわねー」


 トーマさんが苦笑いを浮かべながら言うと、エニスさんは額を抑えた。

 この場合のイレギュラーと言うのは、本来森の掟トロンプ・ルイユによる制限をかいくぐれない筈の存在、具体的に言うとあらかじめエニスさんが認めていない神様やその眷属が、クアドラトゥーラ大樹海に侵入してしまっていることを指す。

 なんでもそういった力の強い存在が無許可で立ち入ろうとした場合、道に迷うどころか足を踏み入れることすらできないようになっているんだそうで。

 あのウパシルレさんに至っては大樹海生まれの大樹海育ちにも関わらず女神の眷属になっていると言う、存在自体があり得ない人なわけだ。


「あいつめ、なんでそんな回りくどいことを……」

「セキュリティーホール突っついて知らせる善意のハッカー気取りたかったとか?」

「いや、ミヲのことだ。単に悪戯と言う線も捨て切れない」

「まーねーミヲだからねー」


 このエニスさんとトーマさんが噂する“ミヲ”とは、エニスさんと同じく魔王様の四天王の一人で、さっきちらっと言及のあった“水君”のこと。

 二人の口ぶりからするとなかなか癖の強い人のようだけど。

 それから“木霊”と言うのは強い力を持つ神様の分身みたいなもの。

 で、ミヲさんの木霊はエニスさんの友達であるミヲさん本人と同じように通常なら問題なく大樹海に入れるらしいんだけど、今言われているみたく別の肉体を依代にしている場合は話が変わって来るんだそう。

 だからエニスさんが困っちゃってるんだね。


「あの……」


 話題に取り残されていたためだろう。

 パイカラさんはもじもじしながら気まずそうに二人を見ていた。

 やがてエニスさんがそれに気付いて声をかける。


「すまない、こちらのことだ。それで、木霊は今どこに?」

「ウパシルレが里の外れにある廃屋に閉じ込めています」

「……妙だね。木霊と言えど他ならぬ水君の映し身だ。こう言ってはなんだけど、彼程度の力でいいようにできるとは考えにくい」

「…………あの人には他者を操る力があるんです」


 訝しむエニスさんに、パイカラさんは打ち明けた。

 トーマさんも思うところがあるのか目を瞬かせ、会話に加わる。


「精霊術で魅了してるってこと?」

「いいえ、あの人は精霊エスプリに嫌われていますから」


 さもありなん。


「もっと根源的な……先ほど樹王がお示しになった御業に近しいものを感じます」

「権能……恩寵グラティアの能力か」

「あ、それたぶんあたしも昨日食らったわ」

「先に言え」

「しょーがないじゃん。あの時はただ気持ち悪くて何がなんだか分かんなかったんだもん。ただ、振り切った後もなーんかムカムカしたまんまでさ。あのイキリくんのこともついキレ気味に踏みつけちゃったりなんかして……」


 エニスさんのツッコミはもっともだけど、それとして僕は密かにほっとしていた。

 昨日トーマさんの様子がおかしくなった理由が分かって、それが一過的なものでしかなさそうなことに心から安堵した。

 けど、そうでない人もいた。


「どうりでプロヴィンキアがお前に怯えているわけだ」

「え、うそ。いつもこんなじゃない?」

「………………………………………………………………」


 プロヴィンキアさんはエニスさんの後ろ定位置から片目だけ覗かせてトーマさんを見ている。

 なるほど、初めて会った時僕の後ろに隠れたのもそのせいだったんだ。

 単純に陽キャが怖いだけなのかなと思って深く考えてなかったよ。

 そう言えば付き合いが長そうなのにトーマさんに対してだけぎこちなかったっけ。


「やーだー嫌いにならないで〜!」


 トーマさんはプロヴィンキアさんに駆け寄るなり抱きついて駄々をこねる。

 すると、どんな仕組みになっているのかプロヴィンキアさんのヴェールが見通せるくらい透けて、ほんのり頬を染めているのが分かった。


「あ、あ、あの……………………嫌いになった……わけじゃ……」


 プロヴィンキアさんはぼそぼそっと呟いて、物理的にひと回り小さくなった。

 やっぱり陽キャは苦手なのかも知れない。

 そうしてトーマさんはプロヴィンキアさんに抱きついたまま、話は進む。

 と言うかパイカラさんが話題を戻してくれた。


「ウパシルレの支配下にある対象は、乱暴と言うか……凶暴になるみたいなんです」

「あ、なんか分かるわ。こう、ぐわーっと暴れたい衝動が湧いて来んの」

「恐らくウパシルレの感情に影響されるんだろうね。とは言え、それでもミヲの木霊なら撥ね退けられた筈だ。なら話は違って来るけど」

「あっ……!」


 エニスさんの仮定に、パイカラさんは声をあげる。


「何か心当たりが?」

「……私達と出会った時、水君の木霊はなぜか身動きが取れないようでした。だから兄達が、その…………みんなでひどく痛めつけて……」


 パイカラさんが泣きそうな顔で俯いた瞬間。

 僕はひどい耳鳴りと鋭い偏頭痛に襲われた。

 エニスさんが、きっとものすごく怒っている。

 トーマさんも堪えるような顔をしていたけど、プロヴィンキアさんが手を包んであげていたお陰なのか激情を示すことはなかった。


「あの、あのッ……――本当に申し訳ありませんッ!」

「お前が謝ることじゃないよ」


 エニスさんは土下座するパイカラさんを労るように静かな声で言った。

 けど、その後に続く話は決して優しい内容じゃなかった。


「ただ、俺の立場上この件は東皇に伝えなくてはならない。そうなれば……さっきウパシルレに言ったことと重複するが、最悪の場合貴き月ラウルスと言う氏族クランそのものが制裁の対象になり得る」

「そん、な……」

「ここまで来ると、もう当事者だけで片付けられる話じゃないの」


 絶句するパイカラさんを諭すように、トーマさんも口を挟む。


「正当な理由もなく水君の木霊を痛めつけられた以上、トリ姉――“北征ナンム”が黙ってないだろうからさ。東皇じっちゃんとしても落とし前つけないわけにいかないのよ」


 トーマさんが言う“トリ姉”とは北のバレイア聖水域を治める北征トリトーンのこと。

 東皇ハイドライドと同格の存在で、水君であるミヲさんの親神でもある。

 それを踏まえて今回の件を振り返ると、要は「おたくのぼんくらがうちの子をいじめた! どうしてくれるのよ!」と、大体そんな感じの話になってしまうわけだ。


「概ね彼女の言う通りだ。……酷なようだけど覚悟はしておいて」

「はい……」


 エニスさんはやっぱり穏やかな声で話を結んだ。

 耳鳴りと頭痛はもう失せてたけど、パイカラさんはやっぱり辛そうだった。


「ところで、ウパシルレの能力がいつ開花したか分かるかな?」


 エニスさんが少しだけ声を明るくして、話題を変えた。

 パイカラさんは思い出すように宙を見上げながら、ぽつぽつと答え始めた。


「正確には……。でも、まだ私達兄妹が小さかった頃、です」

「その頃、何か変わった出来事は?」

「……………………。私とウパシルレが。雷に撃たれて」


 エニスさんとトーマさんの表情が少し険しいものになる。


「……その時のこと、覚えてる?」

「いいえ……ただ、大人達の話では、私達は数日経ってから息を吹き返したんだそうです。それからのことでした。ウパシルレがあの力を使えるようになったのも、あんな……乱暴な人になってしまったのも」

「……そう言うことか」

「魂ね?」

「ああ」


 パイカラさんの話を受けて、エニスさんとトーマさんが視線を交わす。


森の掟トロンプ・ルイユは現状、魂魄とそれを持たない物質の出入りを制限していない。そうでないと霊的にも物的にも停滞してしまうからね。そして、恐らく雷に撃たれた時、ウパシルレの魂魄は大樹海クアドラトゥーラの外に出てしまったんだろう」

「そこを見計らって女神エクリプスが野薔薇の宮殿に連れ込んだ……か。その落雷も偶然じゃなさそうね」

「同感だよ。ともあれ大体のところは分かった。対策は後に回すとして、ウパシルレとミヲの木霊をなんとかしないとね」

「そうね、まずは貴き月ラウルスの里に……――ハルカくん」


 エニスさんが立ち上がり、トーマさんもそれに続いて――僕を見た。

 なんだか申し訳なさそうな顔をしながら。

 僕を置いて行かなくちゃならないのを気にしてるんだろうか。困った人だ。

 こんな時はなるべく元気に送り出してあげないと。


「そんな顔しないでよ。僕なら大丈夫。待ってるから」

「……うん。また後で話そ」


 トーマさんは少し笑ってから、雑に脱ぎ捨てたブーツを拾い上げて足を通し始める。

 エニスさんもサンダルでなくブーツを……既に履いて座敷を降りていた。

 聞けば植物由来のものなのでいつでも呼び出せるらしい。

 そして手を上げ、付き従おうとしたパイカラさんを止める。


「パイカラも念のためここに残っていてくれ」

「で、でも……!」

「相手は水君の木霊だ。俺ですら敵に回せば危険を伴う」

「…………………………はい」

「プロヴィンキア、留守を頼む。それから東皇と長老達に根回しを」

「…………任せて……」

「いつも済まない」


 プロヴィンキアさんはパイカラさんの肩をそっと抱いた――かと思えばその服の隙間から十匹ほどのトンボがふわふわと出て来て、ばらばらの方向に飛び去っていった。


「あたし達も急ぎましょ」


 トーマさんは大太刀を背負い、エニスさんと肩を並べて出て行った。

 その後ろ姿を見て、僕は二人が対等な関係なのを今更実感した。


 ほんの少しだけ、エニスさんを羨ましいと思ってしまった。

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