第二十七話 森の掟
「つまりね、今でこそハイドライドと五分の契りを交わした半神ではあるけど、元を質せば俺もお前が言うところの
エニスさんが思い詰めたような口調で言う。
すると突然プロヴィンキアさんがトンボの群れになってふわりと舞い、エニスさんの傍で人の姿になると、そのまま甘えるみたいにぴったりと寄り添った。
可愛らしい一面にほっこりする一方、見てるこっちが照れてしまう。
「……それは駄目」
「
エニスさんは、きっとあえて
以後の発言を個人ではなく氏族の意思とみなすつもりなんだろう。
突然重責を負わされたウパシルレさんは情けない顔でめちゃくちゃ目を泳がせた。
「そそッ、そッそれはッつまつまつまりまッまま東皇がお認めにィ」
「ぶふッ」
トーマさんはかみかみなウパシルレさんを見て噴き出す。
僕も我慢できずにやついてしまうのを顔を背けて誤魔化した。
「……まあ言いたいことは分かった」
エニスさんもウケたのか、緩い握り拳で口元を隠しながら目を逸らしていた。
でも、少しだけ目を瞑ってから姿勢を改めて、またウパシルレさんを見据える。
「ではウパシルレ。まず東皇と、それから十氏族の長老を全員呼んで来てくれ」
「は、はいッ! ……はい? なぜですか?」
「俺の一存で反故にすると彼らを蔑ろにしたことになる」
「仰る意味がよく……」
「単純な話だよ。そこの――無礼で傲慢で野蛮な女が出入りする件は」
「おいコラ」
「……東皇ハイドライドとここにいる魔女プロヴィンキア、それに長老達が直接立ち会って同意してくれたことだから」
「おーい無視すんなー」
「……え? あ、あの。立ち会っ……た?」
合間合間にトーマさんが物申そうとしてるけど、それは置いておくとして。
ウパシルレさんは
エニスさんもそれを見て取ったらしく、より踏み込んだ説明を挟んで続ける。
「さっきお前は東皇に認められたことを理由に俺を例外とした。でも、彼女は東皇だけでなく、いわば
「そん、な……!」
「でも、ただでは済まないと思う。東皇あたりは話を持ちかけただけで激怒しそうだ。あれはたとえ相手が身内だろうと決して不義理を許さない。とりわけ約束を違えるなんて以っての
「あわ、わわたしは、あ……」
「奇跡的にそれを免れたとしても、お前の主張は
「………………!!」
「そうまでして俺の友達を締め出したいか? まあ……付き合わなくもないけど」
「あ――…………ぃ、ぃぃぇ……」
エニスさんが語るたび、ウパシルレさんは縮んだように背を丸め、小声になった。
例によって目はぎょろりとしていたけど、呆けたような顔をしている。
でも、エニスさんの話はこれで終わりじゃなかった。
むしろここからが本番とでも言うように、饒舌かつ丁寧に逃げ道を塞いで行った。
「ところでウパシルレ。俺はこの通りこもりがちだから、基本的に偉ぶらないようにしているんだ。たとえば、しばらく見ないうちに
「……へ? まさ、まさか! 我らが血を好むなど決してそのようなことはッ!?」
「そうか。だけどお前達は言葉の通じる者に対して躊躇なく弓を引き、刃を向けた。始めから対話を放棄してね。この行為をこそ血を好むと、野蛮と言わないか」
「そ、それは――」
「お前はさっき「追い返そうとした」と言った。それは「相手を骸にして樹海の外に棄てる」と言う意味なのかい。ならば俺が知らないだけで、時代の変遷に伴っていつの間にか言葉の定義や価値観も変わったんだろうか」
「…………ッ」
「そう言えば、さも自分達が被害者であるかのように語っていたね。状況柄それはどうなのかと俺は思うが、これは新しい風潮についていけない年寄りの時代錯誤な感性に基づく、ある種のやっかみに過ぎないのかも知れないとも思う」
エニスさんの口調はあくまで穏やかで、言葉の節々に聞き手への配慮すら伺えた。
一方でその内容は、まるで僕達が襲撃された現場を見ていたかのようだ。
ウパシルレさんに利がないのだと、ひとつひとつ責めることなく突きつけている。
これは叱ってるんじゃなくて、追い込んでるんだ。
「どうだろう、
その止めの一言を聞いた時。
急激に高度が変わったみたいに耳の塞がる圧を感じて、こめかみがずきっとした。
飛行機に乗ってる最中よく起こるあの症状そのままだ。
周りを見ても、みんな頭痛に苛むように眉根を寄せて黙っている。
この人の前では空気が変わると言うことが単なる比喩では済まされないんだろう。
きっとそれが樹王と言う存在なんだ。
「……どうやら気分が優れないようだ。なら帰って休むといい。
エニスさんはウパシルレさん達にそう告げた。
優しい声だったけど、僕には「大人しくしてろ」と怒鳴ってるように感じられた。
「パイカラと言ったかな。悪いけどお前は残って。いくつか聞きたいことがある」
「…………分かりました」
エニスさんに呼び止められて、パイカラさんは一度兄の方を見てから頷いた。
「とは言え俺はこいつらとも話さなきゃならないからね。しばらく別室でくつろいでいてくれ。プロヴィンキア、彼女をお願いできるかい?」
「ウフフ……あなたの言葉なら死ねと言われてもそうするわ……」
「お手柔らかにね」
プロヴィンキアさんはエニスさんに微笑んでからトンボの群れになった。
そうしてパイカラさんを包むように取り巻いて彼女の体ごとふわふわと浮かび上がると、日が差し込む隙間のひとつへと吸い込まれるように入って行った。
なんだかすごく重いことを言っていたけど気にしないでおこう。
「とりあえずお疲れ様」
「まったくだよ」
トーマさんが労うと、エニスさんは後ろに手をついて深い溜め息をついた。
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に柔らかくなった。
「でも……あのまま帰してもよかったの?」
「手順を守らないと別の火種の原因になる」
「明らかに
「だからこそだ。どうして
「樹王も大変ねえ」
「代わってくれ」
「無理ってかやーだ」
「やれやれ」
「手伝ったげるわよ。
「そうか……――ああ、そうだった」
エニスさんは思い出したように居住まいを正して、僕に微笑みかけた。
雰囲気がさっきまでと全然違ってて、ただの気のいいお兄さんといった感じだ。
芸術的なイケメンと言う点に目を瞑れば。
「自己紹介がまだだったね。俺は――」
「――“アユムくん”」
「……あのな」
「いいじゃん同郷のよしみってことで」
勝手に本名をばらしてにやにやするトーマさんを、エニスさんはじろりと睨む。
でも、やっぱり空気が変わることはなかった。
「…………エニス・ド・クアドラトゥーラ。一応エニスと呼んでくれると助かる。聞いての通り元は日本人だけど、さっきみたいなこともないわけじゃないからね」
そう言うと、エニスさんは右手を差し出してくれた。
僕は素直に手を握り返す。
「分かりましたエニスさん。オオバヤシハルカです」
「ある程度の事情は把握しているよ。災難だったね」
「あ、なんか痛み入ります」
「そのことなんだけどさ。エニスの権能で日本に帰してあげることってできない?」
唐突にトーマさんがそう切り出した。
「……え?」
もしそれが叶うなら、喜ばしいことの筈だ。
なのにその時の僕はどうしてか、冷水を浴びせられたような気分になった。
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