第二十六話 樹王

 エニスさんはサンダルを脱いで座敷に上がると、囲炉裏を挟んで貴き月ラウルスの面々の真向かいに腰を下ろす。

 その途端、ウパシルレさんが口火を切った。


樹王アガスティアッ!」

「待って兄様あにさま! ここは私が説明を」

「引っ込んでろパイカラァッ!」

「ぶッ!?」


 すぐにパイカラさんが止めようとしたけどウパシルレさんが乱暴に振り払う。

 その勢いでよろめいたパイカラさんは座敷から落ちそうになった。

 けどプロヴィンキアさんがすかさず無数のトンボとなって近づき、受け止めた。

 エニスさんがすぐにトーマさんへ声をかける。


「診てやってくれるか」

「ん」


 トーマさんは既にプロヴィンキアさんの傍まで来ていた。

 そしてウパシルレさんをきつい目で睨んでからパイカラさんの容態を確かめる。

 払われた時に肘かどこかが顔に当たったらしい。

 結構な量の鼻血を流して苦しそうにしていた。


「…………ッ」


 僕は――……僕はウパシルレさんに掴みかかりたい衝動を必死に堪えた。

 トーマさんとの約束がある。それにこの場はエニスさんの采配に委ねるのが道理だ。

 そう自分に言い聞かせて、荷物からなるべく清潔な布を取り出した。


「水も取ってくれる?」

「うん」


 トーマさんが差し出す手に布と水袋を載せてやる。

 その直後、急に肌がひりっとして、細い耳鳴りがした。

 気のせいか、空気が変わったような。


「まずは名乗れ、貴き月ラウルスの子」

「――ッ!」


 ウパシルレさんは、エニスさんの重苦しい声を受けてびくりと震えた。


「あ……いッ、今のはあいつが勝手に」

「名乗れと言った」


 エニスさんは言い訳を許さなかった。

 ウパシルレさんは頭こそ下げなかったものの両手を前につき、俯く。

 脂汗でもかいているのか、畳に水滴がぽたぽたとシミを作っていた。

 自業自得とは言え無理もないと思う。

 エニスさんは相変わらず穏やかな顔をしているのに、ものすごい重圧を感じる。

 物静かだけど張り詰めて、横で見ている僕でさえ怖い……いや、恐ろしかった。

 本当に何か強い力で頭を押さえつけてるのかも知れない。


「イタ……イタクパテクの果実ウパシルレ、拝謁にあずかりますッ」


 ウパシルレさんがやっと声を絞り出すと、取り巻き達もそれに合わせて頭を垂れた。

 エニスさんが「楽にしていい」と片手を上げ、ウパシルレさん以外は顔を上げる。


「お前が長の息子か。。それでここへは何をしに?」

「は……はいッ! しかし、なんと言ますかこの場ではァ、その……」


 ウパシルレさんは俯いたまましどろもどろに口ごもる。

 でも、その視線は僕達、と言うよりトーマさんに向けられている。

 それだけで、彼がここに来た理由が分かった気がした。


「後が支えてるんだ、早く言ってくれないか」

「は、で、では僭越ながら……」


 急かされたウパシルレさんは勢いよく身を起こし、トーマさんを指さした。


「……――そこの無礼で傲慢な只人ヒュムどもにンンン罰をお与えくださいィッッ!!」

「自己紹介乙」

「貴様は黙ってろォッ!」

「きったないわね。つば飛ばさないでよ」

「貴様ァッ!!」


 トーマさんはパイカラさんから目を離さず、治療の手も止めずに言い返す。

 いいぞもっとやれ。


「罰とはまた穏やかじゃないね。どうしてまた?」


 エニスさんは微かだけど笑みを浮かべて、穏やかに尋ねた。

 ウパシルレさんはなおもつばを飛ばしながら身振りを交えて熱弁を振るう。


「この者は大樹海我らの領域を侵し狼藉を働きましたッ!」

「狼藉と来たか。どんな?」

「追い返そうとする我らへ刃を向けた挙げ句散々痛めつけ、殺そうとしたのですッ!」

「その前に彼女は何か言わなかった?」

「は?」


 ウパシルレさんは問いかけに目を泳がせ、気を取り直すように居住まいを正した。


「は、はい。確か、五百年前に樹王と盟約を交わしたなどと荒唐無稽な戯言を」

「そうだよ」

「…………は?」

「確かに約束した。いつでも自由に俺を訪ねて構わないと。掟にも組み込んである。……でも、そうか。あれからもうそんなに経つのか」


 エニスさんは思いを馳せるように少しだけ上を見た。

 普通ならこの時点で口ごたえできないと思う。

 でも、やっぱりウパシルレさんは止まらなかった。

 彼はくわっとなまはげのお面みたいな形相を作って必死にまくし立てる。


「しかしこいつは只人ヒュムですよ!? 如何なる邪法で寿命を延ばしているのか知りませんがどこからどう見ても下賤な只人ヒュムです汚らわしいッ!」

「――なるほど。


 エニスさんは目を細める。

 妙に気になる物言いだったけど、その意味を僕が理解するのは少し後のこと。

 この時はただプレッシャーをかけるためなのかな、なんて思っていた。


「だが問題が違う」

「違いません! 納得できませんッ! 只人ヒュムの、それもこんな野蛮な女が父なる大樹海クアドラトゥーラに土足で上がり込むなどォン言語道断ンンンッッッッ!!!!」

「じゃあ今度から靴脱いで来よっか?」

「黙れィッ!」


 ヒートアップするウパシルレさんにトーマさんが茶々を入れた。

 お陰でなんとも気持ち悪いお兄さんの演説が程よく中和される。

 ちなみにパイカラさんはいつの間にかすっかり良くなってて、今はトーマさんとプロヴィンキアさんに挟まれてガチガチになっている。

 一方エニスさんは思案げに腕組みして、視線を巡らせた。


「今更言われてもな……」

「直ちに排除しましょうッ!」

「排除、か。それは異世界人も含むのか?」

「当然です! 所詮は下等な定命種! 外界では勇者メシアだのなんだのともてはやされているらしいですがあんなもの……ッ見た目も寿命も只人ヒュムと変わりないではありませんかッ!」

「俺も異世界人なんだけど」

「そうで――……は?」


 は?


「その様子だとイタクパテクからは何も聞かされてないか」


 僕もトーマさんから聞いてませんンンンッッッッ!!!!

 あ、続きます。

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