第二十五話 魔女
僕達は
この不思議な木を中継して
普段は長老しか使えないそうだけど、トーマさんは樹王と懇意にしているので問題ないとのこと。
「……これ、
僕は荒い目の浮いた幹の肌に触れて、その木を見上げた。
何十メートルあるのかってくらい大きくて最初は分からなかったけど、手が届く高さにある小振りな枝葉と独特の甘い香りは間違いなく槐のそれだ。
「詳しいのね」
隣でトーマさんも幹に触れながら感心したように言う。
昨日はなんだか一日中情緒不安定な感じだったけど、今は落ち着いてるみたいだ。
僕は横目で綺麗な横顔をちらっと見てほっとしつつ、また視線を戻した。
「そうでもないよ。ただ、うちの庭にも生えてるから」
「ほほー」
「流石にこんな大きくはないけどね」
「これは
後ろから長老が声をかけてきた。
……ん? 聞き間違いかな? 樹王の挿し木って言った? マジですか?
「あはははッ」
トーマさんは僕を見てからからと笑った。
よっぽど変な顔をしていたらしい。
「その反応も無理のないことだ。だが、樹王と言う尊号は伊達や酔狂ではない。厳然たる
長老は相変わらず目を伏せたまま、でもなんとなく柔らかい口調でそう言った。
僕はにわかに樹王エニスさんの姿が気になりだした。
前にトーマさんから性格的なことは聞いたけど、容姿については言及がなかった。
まさか木人みたいな丸太ボディとかじゃないよね。
だとしたらちょっと……可愛いかも知れない。
「何を想像してるのか大体分かるけど、たぶんその期待は裏切られるわよ」
「顔に出てた?」
「思いっきり」
「…………」
トーマさんがにやにやしながら僕の肩に空いてる方の手を乗せる。
「それじゃ確かめに行きましょっか」
「う、うん。――あの、お世話になりました」
僕はちょっと恥ずかしかったのもあって、誤魔化すみたいに長老へ挨拶した。
「帰りにまた寄りなさい。土産を用意しておく」
「一番いいのを頼むわね」
「もちろんだ」
長老と言葉を交わした後、トーマさんは槐の木に向かって念じるように目を瞑る。
すると僕達の体も目の前の木と同じように淡く光り始めて、だんだん視界が白っぽくなって行った。
そうして一面真っ白になって何も見えなくなった時、少し思った。
野薔薇の宮殿からこっちに送り出された時と似てるな、と。
※ ※ ※
気がつくと、目の前には現実離れした光景が広がっていた。
そこは大樹海の中にありながら、とても開けた場所だった。
足元は見渡す限り草花に覆われて、そのあちこちにどこか高い場所から水差しで注いだような水が日差しと一緒に流れ落ちて来て、きらきら光っている。
その水を追って上を見上げると、そこもやっぱり緑に覆われていた。
たぶんものすごくたくさんの木の枝にびっしり葉が生えてて、その隙間から木漏れ日と水が差し込んでいるみたいだ。
なら、その木は?
そう思って真正面をよく見ると、そこはなんだか波打ってもこもこして見える緑の壁。
……ではなく、それは蔦や苔、花に覆われた、あまりにも太くて巨大な一本の木だった。
縦にも横にも百メートルくらいはありそうだ。
改めて目で追うと、空をすっかり隠している枝葉は間違いなくそこから生えている。
「すごい……!」
「あれが
そう言ったトーマさんが目線を向けているのは、やっぱり目の前の巨大な木だった。
つまりはツリーハウス――いや、いっそのことツリーキャッスルとでも言った方が正しいかも知れない。
「……はー」
僕が感嘆の声を上げて、たぶんちょっと間抜けな顔をしていると。
どこからかふわふわと蝶みたいに羽ばたく、何匹もの黒い虫がこちらに向かって来た。
「あれは……」
かなり近くまで来て、それが昨日見かけたあのトンボみたいな虫だと気づく。
トーマさんは特に警戒していなさそうなので、僕も黙って様子を見ることにした。
すると虫達は僕達のすぐ目の前に集まり、一つの真っ黒な塊みたくなった。
やがてそれは人一人分くらいの影になって、一度だけじわりと脈動すると。
「…………」
女の人になった。
あのトンボの翅を大きくしたような黒い繊維をたくさん束ねた服を着て、頭には目の細かいヴェールを被っている。
そのせいで顔はよく見えないけど、まったく赤みのない真っ白な肌をしていた。
「久しぶりねプロヴィンキア」
トーマさんが気安く挨拶すると、プロヴィンキアと呼ばれた彼女は足早に僕の後ろに駆け込むなり冷たい手で肩を掴み、隠れながらトーマさんを覗き見ているみたいだった。
「お………………………………………………………………ひさし、ぶりー……」
彼女はとても長い間を挟んで死にかけの虫みたいなか細い声でやっと返事をした。
僕が困惑しているとトーマさんは苦笑いを浮かべる。
「ハルカくんにも紹介するわね。この内気な子は
「……えーと、初めましてプロヴィンキアさん。オオバヤシハルカです」
僕は後ろに首を捻りながらなんとか挨拶した。
距離が近いので、ヴェールが透けて顔が把握できた。
虹みたいに不思議な色合いの瞳を、元々濃い上にがっつりマスカラを盛ったようなまつ毛がくっきりと縁取ってる。それでいて化粧っ気はなく、唇は肌と同じ色相。
すごく美人だけど、眠たげで陰気な表情がそれを中和しちゃってると言うか。
そんなプロヴィンキアさんは、卑屈な目を僕に向けてぼそっと呟いた。
「……………………昨日も会った」
「あ、はい。そうみたいですね」
「フフッ」
「…………」
なかなか個性的な人のようだ。
「エニスは? やっぱりアトリエ?」
トーマさんは慣れたもので、彼女のペースは崩さずにキリのいいところで話を振る。
「そう……………………だ、けれど。先客が、いるわ……」
「んー、そっか。長くかかりそう?」
「いいえ…………いいえ……。あなた達も同席、した、方が…………きっと……」
「?」
プロヴィンキアさんの言葉に、僕とトーマさんは顔を見合わせた。
誰か知り合いでも来てるんだろうか。
「案内………………………………しま…………」
プロヴィンキアさんは誇張表現じゃなく消え入る声を発した後、おずおずと僕達の前に出て「付いて来い」と促すかのように一度だけ振り向き、すぐに背を向けて歩き始めてしまった。
僕達は彼女の先導(?)に従ってあの巨大な木を覆う蔦を分け入り、大きく口を開けた
いや、かなり細かく分岐があったから、迷路と言った方がいいのかも知れない。
うっかりすると遭難してしまいそうだ。
そのうち行く手からこちらに光が差し込んで来るのが見えた。
そこはかなり遠くに見えたけど、実際はすぐに辿り着いた。
もしかするとこの誤認も
果たして光の向こうは、だだっ広い空間だった。
上を見ると複雑なパターンの木目と、あちこちから差し込む日の光。
床はほとんどが板張りで、中央だけは少し段差があって座敷になっている。
その更に真ん中には……どう見ても囲炉裏としか思えない灰が溜まる場所。
そしてそこには見覚えのあるくすんだ金髪の
彼らは僕達に気づくと何か言いたそうな顔で睨みつけて来た。
ウパシルレさんなんかしかめっ面で歯を食いしばりながら眼球が飛び出さんばかりに目を見開いている。
きしょい。
けど、難癖を付けてくるわけでも襲いかかって来るわけでもなく、それだけだった。
それと、パイカラさんだけは気まずい顔で俯いてた。
プロヴィンキアさんは彼らをじっと見詰め、やがてふいっと顔を背けて隅の方へと歩き出す。
その先の、特に明るい日が差す場所で。
緑髪を三編みに束ねた若い男の人が
「少し待って」
彼――恐らく樹王は僕達の方も見ずに中性的な声でそれだけ言うと、作業を続けた。
すぐにトーマさんが「しーっ」とハンドサインしながらウィンクする。
そうしてしばらくの間、静かになった。
筆が帆布をなぞる以外は鳥達のさえずりが外から紛れ込んでくるくらい。
手持ち無沙汰なので、ちょっと男の人を観察してみる。
ほぼ横顔しか見えないけど、トーマさんと同じくらいありえないとてつもないイケメンだ。
色白の日本人みたいな肌色の顔は適度に彫りがあって、でも骨ばっても痩せすぎてもいない。
鼻筋や顎の輪郭も綺麗。
瞳は赤くて、小さな木の実が嵌ってるみたいだ。
一方で体は華奢なわけでもなくむしろ骨格がしっかりしていて、肩幅だって普通にある。
彼の姿勢が良くて真剣だったからなのか、その全部が手に取るように分かった。
あと、耳の形が
なんとなく木人……じゃなくて
でもはっきり言って
これはもはや神の領域。
生きとしいける九割九分九厘九毛九糸の女性が信者になるんじゃなかろうか。
などと考えていると、おもむろにプロヴィンキアさんが前へ進み出て、彼の袖を
「…………」
「……分かったよ」
彼は観念したような笑みを見せて筆を置き、立ち上がってやっと僕達を向いた。
さっきまでとは違って穏やかで気さくな、いわゆる女を殺す顔だ。
ちなみにプロヴィンキアさんは彼の背後に隠れてこちらを覗き見ている。定位置なのかな。
「待たせて済まなかったね。まずは……
彼は中央の座敷をちらりと見て僕達に言った。
「もちろん。むしろそっちのが助かるわ」
トーマさんもまた
ウパシルレさんは濁った目でそれを睨み返す。
一触即発の空気の中、僕はトーマさんとエニスさんを見ながらこう思った。
この二人が並んでると漫画かアニメみたいだな、と。
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