第二十三話 貴き月

「ハルカくん付いて来てるー?」

「大丈夫ー」

「絶対離れないでねー。遭難したら洒落になんないから」

「わあ怖い」


 ハルカです。

 ラトナの街で二日くらいのんびり過ごした後、僕達はついに最初の目的地であるクアドラトゥーラ大樹海に入ることができました。

 で、トーマさんいわく進むべき道を進んでるらしいんだけど、僕にはさっぱりです。

 なんと言うか本当に名前通りの場所でどこまで行っても青々と生い茂る木と草ばかりで、僕の感覚だと方角も距離も時間もおぼつかないから。

 なんでも樹王アガスティアのエニスと言う人が、この大樹海全体に“森の掟トロンプ・ルイユ”と言う結界みたいなものを張ってるらしくて、あらかじめエニスさんの許しを得た人以外はどれだけ優れた方向感覚を持っていても必ず道に迷うし、目印なんか付けた日には永遠にその周辺をぐるぐる回らされるんだとか。

 その上で危険な野生動物なんかも普通にいるから、僕一人なら一日だって生きられないと思う。

 それはそれとして、実はちょっと楽しくもあったりする。

 鬱蒼とした原生林と言うのはそれだけで見応えがあるし、植生も豊かで飽きが来ない。

 トーマさんによると、一言に大樹海と言っても場所によって気候と生態系が極端に変わるらしくて、大半の植物が網羅されてるらしい。

 ローダンテス独自の植物と言うのもあるにはあるみたいだけど、大体は向こうと一緒だと聞かされた。

 なにはともあれ、僕達はとにかく歩いた。

 今は森人エルフ氏族クラン、確か“蜜蝋の櫛アピス”って言う人達の里を目指しているところだ。

 そこで一泊させてもらった後、いよいよ四天王の一人である樹王エニスさんに会いに行くんだそう。


「そう言えば樹王様ってどんな人なの?」


 僕は何の気なしに尋ねてみた。

 話を聞く限り名実共にここの偉い人みたいだし、悪い人でないなら失礼がないようにはしておきたい。そのためにも事前に情報を仕入れておいて損はないだろう――と言うのは質問の後で思ったことだけど。

 トーマさんは遭難対策に僕の腰から繋がった縄をくるくると指に巻き付ける。

 どうもこの人は考え込んでいる時、何かを指に巻き付ける癖があるみたいだ。

 少しして縄をぱっと放した後、またそれをぱしっと掴んでトーマさんは答えた。


「引きこもりの画家」

「もう少し具体的に」

「おおらかな神経質ちゃん」

「分かるような分からないような」

「うーん、あとは……ハルカくんとなら合うかも」

「そうなの?」

「考えて話すタイプだから」

「ふーん……。ちなみに、やっぱり強かったりする? 四天王って言うくらいだし」

「本気でやり合ったことはないけど、たぶんあたしよりは」

「え?」


 これはちょっと意外だ。

 トーマさんが誰かに負けるところなんて想像がつかないから。


「……謙遜じゃなくて?」

「樹王だけじゃなくて、この先会う予定の五人とも――…………待って」

「!」


 いきなりトーマさんが縄ごと僕を引き寄せる。

 その直後、さっきまで僕がいた場所に矢が四本も刺さった。

 既視感のある状況だけど、殺意強くないですか。

 木の上に誰かいるのか「チッ」と舌打ちみたいな音が聞こえた。

 トーマさんはそちらを睨んで抗議する。


「ちょっとこれどういうこと? こっちはちゃんとすじ通して来てんだけど」

「トーマさん!」


 僕達の足元から腰にかけて蔓が絡み付いて来る。

 僕も聞きかじっただけだけど精霊魔術で樹木の精霊エスプリに働きかけると、たとえばこんなこともできるらしい――なんてうんちく言ってる場合じゃない。

 身動きが取れなくなった僕達目掛けて、今度は数え切れないほどの矢が飛んできた。

 それらは矢尻を僕達に向けたまま螺旋を描いて取り囲み、次の瞬間一斉に放たれた。

 

「ったく」


 トーマさんは慌てるでもなく大太刀を抜いてそのまま全部の矢を薙ぎ払う。

 すると一緒に斬れたらしい周囲の木々が僕達から見て外側に倒れ出し、あちこちから驚いたような短い悲鳴が聞こえた。

 けど、まだ状況は続く。

 少しして、茂みのあちこちから僕達に向かって人影が飛びかかって来た。

 全員がくすんだプラチナブロンドで長い耳をしている森人エルフだ。

 各々木製の杖や剣を振りかぶって駆け寄ってくる。


「死ねえぇあッ!」


 更に時間差で真上からも一人強襲して来た。

 一瞬日差しが照り返して両手が光って見えたけど、あちらは金属の刃物でも持っているのか。

 でもトーマさんはやっぱり動じない。

 ただ、いつもと様子が違ってて。

 トーマさんは剣を寝かせて何度も何度もそれを振った。

 こんな言い方しかできないけど、もちろん綺麗な剣捌きだった。

 それはつまり、僕の目でも追えるくらいの速さだったんだ。

 鈍い音や弾かれるような音が同じ数だけ響いて、周りの森人エルフ達は苦しそうな声を上げながら飛ばされたり叩き伏せられたりして全員倒れた。

 すると僕達を縛っていた蔓がなくなって、すぐにトーマさんは切っ先を足元の根っこに突き立て、そのまま勢いよく宙返りの要領で高く跳んで。

 上にいた森人エルフの横を抜けて更に頭上に至ると、強烈な蹴りを浴びせて彼を叩き落とした。


「うぎィッおのれぇ!」


 森人エルフの彼はすぐに身を起こそうとする。

 でもトーマさんの着地で踏み潰され、更には蹴られて仰向けに転がされた。


「一応訊いといてあげるけど、あんた達どこの氏族?」

「がッは!?」


 トーマさんは森人エルフの胸にどすっと踵を入れて、そのまま踏みつける。


「貴様如き下等な猿に誰が答えッ――があぁッ!」


 なおも悪態をつく森人エルフに対し、トーマさんは踏みつける力を強めた。


「その言動、“貴き月ラウルス”の子達ね」

「なッ、なぜ貴様が氏族の名を」

「あのね坊や。あたしはあんたが生まれて来るよりずーっと前から樹王の許可貰って出入りしてんの。かれこれ五百年くらい? んで、このことは東皇マルドゥーク魔女ソルシエール、それに十氏族にも共有されてる筈よ」

只人ヒュムの分際が五百年だと!? どうせならもう少しマシな嘘をついたらどうだ! 第一、樹王様が貴様などの立ち入りをお認めになるものかッ!」

「いや認めてるからここまで来れたんだっつーの。じゃなきゃ今頃もっと手前の方でぐるぐる迷子してるっつーの。まさか大樹海クアドラトゥーラに住んでるくせに“森の掟トロンプ・ルイユ”の仕組みも理解してないの? 大丈夫? つーか怒り方きっしょいわねあんた」

「黙れ! どうせ何か邪な術を用いて不正に入り込んだんだろう!」


 その瞬間、踏まれた森人エルフの目が赤く光った。

 けど、それだけで何も起こらず、彼はすごく驚いたように目を見開いていた。

 トーマさんがきしょいと言ったように顔芸がいちいち苛烈と言うか、濃い。

 森人エルフらしく造型はそこそこ整ってるのを全部自分で台無しにしてる。

 初めて会う森人エルフがこの人だったらショックを受けたかも知れない。


「……?」


 お馬鹿なことを考えながら見守っていると、どこからかひらひらと羽ばたく黒い虫が飛んで来て、僕の肩に止まった。

 トンボにも見えるけど翅を畳んでいる。僕の知識にはない生き物だ。

 とりあえず嫌な感じはしないのでそっとしておきつつ、改めてトーマさんを見た。


「意味分かってて言ってる? 今あんたは樹王を馬鹿にしたのよ?」

「ゔぐゥッ!」

 

 トーマさんは前屈みになって踏み足に体重をかけながら彼を覗き込んだ。

 ぎりぎりと踵を鳩尾に捻じり込みながら。


「……! ぐッ、あッ……」

「……あいつの権能ちからがそこらの有象無象に破れるわけねえだろが。ナメてんのかコラ、あ?」


 トーマさんは目をむいてヤンキーじみた口調で吐き捨てる。


「トーマさん……?」


 明らかに様子がおかしい。

 これは怒ると言うよりキレてると言った方が正確だ。

 うまく言えないけど、見ていると何か不安になる。

 駄目だ。

 このままにしておいたら取り返しのつかないことになる気がする。


「トーマさ――」

「もう許してくださいッ!」


 僕が止めようとした瞬間、茂みから森人エルフの女の子が飛び出して来た。

 実際はすごく年上なんだと思うけど、背格好は僕と同世代くらいに見える。

 その子はトーマさんの足にしがみつきながら涙ながらに訴えた。


「もうやめてください! 全部あなたの仰る通りです、襲いかかったことも謝ります! 何でも言う通りにしますから、だからッ……彼を殺さないでえッ!」

「…………はー。殺したくてもできねんだっつの」


 トーマさんは不機嫌そうに髪をかきあげ、女の子ごと足をひょいっとどけた。

 声の感じが普段のトーマさんに戻っていたので、僕は心の底からほっとした。


「全員動けるわね? このイキリくん連れてとっとと帰りなさい」


 トーマさんが声をかけると倒れていた森人エルフ達が身を起こして、ふらふらと歩み寄ってきた。

 顔やら腕やら大太刀で弾かれた部位がすっかり腫れ上がって青くなっている。

 トーマさんはまだ足にしがみつく少女をひっぺがして、更に言った。


「この件は樹王を通して正式に抗議するから。貴き月ラウルスの長老にそう伝えて」

「そんな!? 待ってくれ!」

「そ、それでは我が氏族の立場が……!」


 森人エルフの皆さんは顔色を変えてトーマさんを止めようとしていた。

 どうやら彼らにとって樹王に叱られると言うのは只事ではないみたいだ。

 果てしなく自業自得だけど。

 トーマさんは呆れた顔でわざとらしく大太刀を構える。


「嫌なら別にいいのよ? 片っ端から手足へし折ってほっぽってくから。あんた達の方が正しいなら大樹海クアドラトゥーラも命までは取らない筈よ」

「だが…………」

「わ、分かりましたッ! ……みんな、言う通りにしましょう」


 食い下がろうとする森人エルフの一人を女の子が制した。

 もしかして偉い人なんだろうか?

 その後、彼らはきしょい森人エルフに肩を貸して、自分達も体を引きずるようにしながら立ち去って行った。


「……あたしが悪いみたいじゃん」


 森人エルフ達の姿が見えなくなってから、トーマさんは膨れっ面でそう言った。


「悪いとは言わないけど、完璧に悪者だったよ」

「ふんだ」


 僕は軽口を叩きつつ、労うつもりでトーマさんの肩をぽんと叩いた。

 その拍子に僕の肩に留まってた黒いトンボみたいな生き物が羽ばたいて、どこかへふわふわ飛んで行った。

 トーマさんはその姿をどこか懐かしむように眺めていた。

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