第二十一話(幕間) 月夜の空中庭園にて
ご機嫌よう。遠路はるばるよくぞお越しくださいました。
ふふ、
失礼、わたくしはラシード魔導王国第十一代女王、“
このように大変長いため、非公式の場ではベアトリス・バフールと名乗ることにしておりますの。
どうぞ気兼ねなくベアトリスとお呼びになって。
ああ、なんでしたら“
わたくし自らそう名乗ったことはありませんが、存外気に入っておりますの。
……不敬、ですか?
ご心配には及びません。ええ、この場限りのことです。
引っ立てるだなんて、そのように無粋なことはいたしませんわ。
気が引けるようでしたら
ほら、わたくし女王などしておりますでしょう?
言うまでもなく、それはこの国の誰もがわたくしよりも低い身分と言うことを意味します。
従って、わたくしはあらゆる場において常に威厳を示さなくてはなりません。
威厳とは、振る舞いや言葉遣いは元より姿勢、仕草、表情、発句、呼吸、間の取り方に至るまで、まさしく一挙手一投足に王者の風格を宿し、更に美貌を極め、それに足る装いを身に纏うことで初めて生ずるもの。
それゆえ、わたくしはこのたった一語のために常日頃から身も心も完全武装で日々を過ごし、ともすると入浴はおろか就寝の最中でさえ一分の隙も見せぬよう自らを戒めております。
ですが、本当の本当に毎日それを順守していたら、いつか潰れてしまうでしょう?
やはり、時にはこのように砕けた口調で息抜きのひとつも嗜んでおきませんと。
ええ、サボりってやつですわ。
そう言うことですの。よろしくって?
さて、アーディル・アッ=ラティフィー辺境伯の件はもうご存知かしら?
ええ、一部の貴族から“北の盟主”との呼び声が高いあの御仁です。
ご存知ない筈ありませんわよね、ラトナからいらしたのですもの。
あなたがお持ちになったこの伝書によりますと、昨夜未明に身柄が確保されたとのこと。
どうやら無事解決したようですわね。
……いいえ。ひとまずの決着を見たと言うべきでしょうか。
詳細は
反女王派の木っ端貴族など所詮は目に止まりやすいだけの雑草にすぎません。
何百年経っても変わりませんわね、西側のやり方は。
いっそのこと江戸幕府に倣って鎖国でもしてしまいたいくらい。
この際ですから
彼の権能は
草原と砂漠が国土の大半を占める我が
はあ……
あら、失礼いたしました。こちらのことですわ。
そう言えばユ…………ローザとはお会いになりまして? ええ、レギーナのことですわ。
……そうですか、では直接言葉を交わしたわけではありませんのね。
どのようなご様子でしたか?
うふふ、相変わらずのようで何よりですわ。
そうですわね、古い友人――と言うより、腐れ縁のようなものです。
え? 男の子と一緒に旅を? ちょっとそれ詳しく!
……なあんだ、例の日本からいらした方ですか。
つまらないですわ。行く先々でいじり倒されるよう仕向けるつもりでしたのに。
でも冷静に考えて、ローザにロマンスなんて期待できませんわよね。
ああ……もちろんその男の子が好意を抱いている可能性はあります。
と言うより、間違いなくそうなっていると見て差し支えないでしょう。
彼女は、それが敵でさえなければ
そこには男女の別も年の差も種族も何もない。
思春期の男の子なんてイチコロですわ。
ええ、同性のわたくしもイチコロでしたとも。
あなただって関わり合えばイチコロです絶対そう。
ですが、どうか覚えておいてください。
彼女のそれは偽りなき愛情表現ですが、必ずしも恋心に根差したものではないのです。
だから、わたくしは――…………いいえ、なんでもありません。
いけない、わたくしとしたことがすっかりお引き止めしてしまいましたわね。
遅くなりましたがこのたびは大儀でした。
このまま隠君子の元へお戻りになるのかしら?
急ぎでないのなら、せめて
……はい、それでは。
隠君子にもよしなに。
※ ※ ※
そこは王城の頂にある、こじんまりとした空中庭園。
季節の花々と四阿があるだけのその場所は、城内でも一部の使用人しか把握していないベアトリスの私的な空間である。
ベアトリスは連日夜遅くまで執務をこなし、誰もが寝静まった頃に独りこの場所で茶を飲むのが習慣となっていた。
もっとも、今宵はほんのひと時ながら話し相手がいたのだけれど。
ベアトリスは欠け始めた月の照らす花園を抜け、北側の柵から王都ネフェルティティを見下ろした。
そうして先ほど飛び立った
彼が届けてくれた便りは政治的な面においてそれほどの価値はない、予定調和の範疇だ。
だが、ここしばらく忙しいだけの退屈な日々を送るベアトリスにとって、あの赤い髪をした旧友の噂を僅かでも聞けたことは何にも代えがたい、大切なものだった。
それを齎してくれた者の道行きを慈しみたくなるほどに。
「――ユミ」
ベアトリスは遥か辺境を、そこにいるであろう友の姿を求めるように北の方を見詰める。
「早く会いに来てくださいまし」
その澄んだ声は凛としていたが、琥珀色の瞳は潤み、揺れ動いていた。
まるで、置き去りにされた幼子のように。
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