第二十話 言うなれば猫が如く

 どうも、ハルカだよ。

 僕はあれから九龍城クーロンじょうもどきの危なっかしい建物の更に奥まった場所に連れて行かれて、食事をいただいた後、少しだけ首領ロレンツォさんと話して、乳香バフール亭ほどではないけどそこそこちゃんとしたベッドで眠った。

 特筆するようなことはほとんどなかったように思う。

 強いて挙げるとすれば「あれに付いて行くならいつ何が起きてもいいようにしとかねぇとひでぇ目に遭うぞ」と言うロレンツォさんの言葉が少し印象に残ったくらいかな。

 だけど今更だ。

 なにしろこの街に来てから二日足らずで既に色々大事になってるわけだからね。

 どうせこれからも行く先々で騒動に巻き込まれるに違いない。

 などなど、前日の回想に僕の雑感を添えたりしつつ。

 一晩しか経ってないのにすごく久しぶりに目覚めたような、清々しいけどちょっと気だるいそんな朝。

 盗賊ギルドの中はなんだか騒がしかった。

 なんでも昨日の午後から今朝にかけて大きな事件が三つも起きたらしく、どっちを向いてもその話題でもちきりだ。

 いわく、いにしえの聖女が復活して大聖堂がおしゃかになった。

 いわく、ラシードの建国神が降臨して領主の城が半壊した。

 いわく、風の精霊王シルウェストレが顕現して乳香亭から竜巻が上がった。

 個人的には最後のやつが特に聞き捨てならない。

 と言うかこの人達どこから湧いたんだろう?

 昨日は全然人気ひとけがなかったのに。

 そう言えばロレンツォさんと初めて会った時、背後にいたと思ったらいつの間にか前に回り込まれたりしたっけ。

 ひょっとするとここではみんな人の意識をすり抜けるような技術を修めているのかも知れない。

 隠君子ハイドライドさんも似た感じの能力を使ってたけど、あの人の場合は間諜スパイみたいなものだからなのかな、と勝手に思っておく。

 話が逸れたけど、そんな感じでギルド内では街中の出来事が飛び交っていた。

 ちなみにロレンツォさんだけは静かで、ちょっと呆れているようにも見えた。

 たぶん、誰が起こした騒動なのか分かってるんだろう。僕にも分かるくらいだからね。

 その後、徐々にみんな散って行ってやっと静けさが戻った頃。

 トーマさんが帰って来た。

 問題はその格好。

 なぜか上着がなくて肩をはだけているし、辛うじて身につけている服もボロボロな上、あちこち土埃で薄汚れている。おまけに乱れた髪には、ところどころ葉っぱが付いてたり木の枝が刺さったりしていた。

 トーマさんは自分の姿が気にならないのか、気持ちのいい挨拶をしてくれた。


「ハルカくんおっはよー!」

「おはよう。……藪の中でも駆け抜けて来たの?」

「ちょっと木の上に落っことされちゃってさ」

「大丈夫?」

「この通りぴんぴんしてるわ」


 トーマさんは力こぶを作ってウィンクして見せた。

 その拍子に破れかけのビスチェがずるりと下がって危うく中身がこぼれそうになる。


「およ?」

「せめて隠そうよ」

「ごめんごめん」


 トーマさんは僕に注意されてから、ようやく片手で胸を覆い隠した。

 世間様に迷惑をかけないためにも少しは恥じらいと言う情緒を養ってもらいたいものだ。


「とりあえずその格好なんとかしたら? あちこち汚れてるし……乳香亭に帰ったらお風呂でさっぱりしなよ」

「や、え、えーとね……あれだ、今日から別の宿にしない? 何日も同じ部屋だと飽きちゃうしさ!」


 僕としては当然の提案をしたつもりなんだけど。

 なぜかトーマさんは目を泳がせながらそんなことを言い始めた。


「なんで? ラトナでお風呂のある宿って他にないんだよね?」

「ほ、ほら! あたしの場合ちょっと水で洗えば綺麗になるじゃん!? タライでも借りられれば充分だから! ついでにせっかくだから街の反対側で探そっか!」

「トーマさんがそれでいいなら別に構わないけど、どっちにしても荷物取りに戻らなきゃ」

「だッだだ大丈夫! 後であのうええっとなんだ、何かッ何かないか……そ、そう! 送ってもらえるから! ね? ね!?」


 トーマさんは上ずった声でまくし立てる。

 口は笑っているけど、必死だ。

 大方さっき耳にした噂の三つ目に関係しているんだろう。

 それもこの取り乱し様、察するにトーマさん自身が何かやらかした可能性が高い。

 しかもわざわざ街の反対側に行こうとするなんて、明らかに距離を取りたがってる。

 まさか乳香亭以外にも都合の悪いことがあるんだろうか?


「よぉ、ちょっといいか?」


 僕が考えていると、ほどほどのタイミングでロレンツォさんが話に加わった。


「昨日回された依頼の件なんだが順調に片付いてってるみたいでな。手下どもが小遣いせびりに来てるぜ」

「!?」


 ロレンツォさんの言葉にトーマさんはびくんと身を強張らせた。

 叱られた猫みたいだ。


「で、報酬はどこで受け取りゃいいんだ? 確かラトナ支部は余所もんに乗っ取られてたろ?」

「トーマさん?」

「……………………」


 トーマさんは顔を背けた。


 その後、僕達はガラの悪い人達を冒険者ギルドまで引率した。

 例の大きいだけのあばら家の前では職人っぽい岩人ドワーフさん達が寄り集まってああでもないこうでもないと相談しており、その横でトーマさんと同じくらいボロボロな格好をした猫っぽい獣人シャリアンと耳が長い――たぶん森人エルフの若い女の人達が、例の娼婦みたいな受付やゴロツキと一緒に、背の高い森人エルフのお姉さんの前で正座させられていた。

 お姉さんことギルド支部長マスターのラカンさんはトーマさんに気づくと耳を引っ張って連れて行き、やっぱり正座させた。

 そうしてトーマさん達が無言のお説教を受けている間に冒険者風の人達もちらほら訪れて、少しずつラトナ支部は活気づいてきた。きっとこれが本来の姿なんだと思う。

 また、ラカンさんは盗賊ギルドの人達のためにきちんと報酬を用意してくれていたみたいで、本物の受付さん達は強面こわもての皆さんにちょっとビビりながらも適切に仕事をこなしていた。

 僕はその光景になんとなく既視感を覚えて、それほど時間もかからず原因にも思い当たった。

 旅立つ時、アルトリアの王都で抱いた気持ちと似てるんだ。

 どうやらまた、もっと見ていたいと、名残惜しいと思ってしまったみたいだ。


「……そう言うわけにもいかないんだけど」


 心地好い喧騒の中、僕は誰にも聞こえないように呟いて。

 必死の形相でラカンさんに縋るトーマさんを見て笑いながら、この光景を目に焼き付けた。


   ※   ※   ※


 ひと段落して乳香亭に帰ったところ、なぜか僕達は叩き出されてしまった。

 いや、たぶん絶対トーマさんのせいだけど。

 仕方がないので改めて宿を探し周り、行き着いたのは街一番の高級宿。

 客室はむやみに広く内装も豪華で、おまけに浴槽が備え付けられている。

 普通は貴族なんかが泊まるような部屋なんだろう。

 ちなみに宿を決めたのはトーマさんだ。


「あ〜〜〜〜いい湯だ。あ〜〜〜〜こりゃこりゃ」


 そして今、トーマさんは衝立ての向こうでお風呂に入っている。

 昭和のお爺ちゃんみたいな声を上げながら。何がこりゃこりゃだ。

 その割に響く水音は、ぱしゃり、ぱしゃりと控えめで品がある。ヘンなの。


「ハルカくんさあ」


 僕は部屋の真ん中にあるテーブルで公用語の書き取り練習をしつつ、適当な返事を返した。


「なーにー?」

「ごめんねー」

「何がー?」

「乳香亭追い出されちゃったじゃん」

「チェックアウトが早いか遅いかの違いでしかないでしょ。ずっと住むわけでもないんだし」

「そうかもだけどさー……」


 トーマさんは黙り込んだ。

 水音もしなくなり、かなり長い間会話が途切れて。

 僕が「今日はこのへんでいいかな」と手を止め、大きく伸びをしたところで。

 おもむろにトーマさんは言った。


「……あたしはこの旅が楽しいものであって欲しいの」

「楽しいけど?」


 僕は筆記具を片付けながら、ごくごく普通に感じていることをありのまま伝える。

 それから少し間を置いて、ざばーっと勢いのいい水音がした。

 かと思えば衝立ての上からにゅっと白い腕が延びて縁にもたれかかり、更にそこから頭にタオルを巻いたトーマさんの顔がにょきっと生えて来た。

 見ているこっちが嬉しくなるほど屈託のない、お日様みたいな笑顔だった。


「ハルカくん、一緒に入ろっか」


 でもその時既に、僕はベッドに潜り込んでいた。


「おやすみ」

「早ッ!? せめて答えなさいよ!」

「そう言うの間に合ってるんで」

「なんでそんな平然としてるわけ!?」

「女系家族の末っ子だから」

「だったら一緒にお風呂入ったことだってあるでしょ!?」

「だから間に合ってるんだってば」

「いいじゃん裸の付き合いくらい減らないって!」

「来世が女だったらその時は検討してみるね」

「夢みたいに夢のないこと言わないでよ!」

「馬鹿なこと言ってないでそろそろ上がらないと風邪引くよー」

「馬鹿とは何よ!」

「おやすみー」

「ハルカくんてばー!」


 僕は衝立てに背を向けて、どうにかやり過ごした。

 顔だけだったけど、あんな綺麗な人が水に濡れて滴ってるなんて反則だ。

 おまけに、湯船に花弁でも浮かべているのか、甘い香りがする。

 それもさっきまではほんのり漂うくらいだったのに、トーマさんが顔を出した途端、部屋いっぱいにふわーっと広がった。

 これ以上は色々まずい。

 姉達でさえこんな精神攻撃はして来なかった。

 むしろ奴らの湯上がりと言ったら穴が空いたキャミソールや縮みきって襟がよれよれのTシャツ姿にパンツだけといった汚い格好でビールを浴びるように飲んだ挙げ句、その場でだらしなくお腹やらちちやらさらけ出しながら酒臭い高いびきをかいて眠りこけていた記憶しかない。

 格が違う。

 とは言え、我が家の日常を思い出したら少し冷静になって来た。

 ……代わりにホームシックめいた気分になりかけたけど、そこはセルフコントロールして。

 このまま眠ろうと目を閉じて、そろそろ意識が曖昧になって来た頃。

 ふと、誰かの手が僕の頭を優しく撫でたような気がした。

 これ、誰の手だっけ? ――なんてぼんやり思ったけど、何も浮かばなかった。


「きっと帰れるから」


 声を聞いた気がしたけど、よく分からなかった。

 ただ、すごく安心して。


 僕はそのまま寝入ってしまったようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る