第十九話 大師姐、あるいは人たらし
間もなく
正気を取り戻した衛兵達に対して、アスタールは女王ベアトリスの名代として引き続き城と街の守備を命じた。この措置は少なくともアッ=ラティフィー辺境伯の処遇が確定するまで継続される見込みだ。
捨て置かれたフュルフュールの使徒達は裸一貫で逃亡した者と居残って大人しく捕縛された者とに分かれたが、彼ら自身に大きな力はなく、拠点と見られた聖ブリギッド大聖堂も既に失われているため、ひとまずは捨て置かれた。恐らくは追って懸賞金が懸けられることになるだろう。
一方フュルフュールの死に際は関係者全員に共有され、その名は引き続き警戒対象となった。
本件の首謀者と見られる太陰教司教並びに司祭各位、そしてアッ=ラティフィー辺境伯は捕縛された使徒達と共に馬車へ押し込められ、直ちに王都ネフェルティティへ移送されることとなった。
この道行きはアスタール一味が二十四時間体勢で警戒に当たる。
辺境伯の自供が確かなら、反女王派の貴族達が口封じのために刺客を差し向けかねないからである。
彼らは休むことなく作業を進め、未明のうちに出立の準備を終えることができた。
そしてアスタールは
「はい、これ。確実に手渡してね」
「心得た」
アスタールは女から女王に宛てた手紙を受け取り、すぐ懐にしまい込んだ。
ちなみにここから仕事に入るため、例の如く頭部に黒い布をぐるぐるに巻いて顔と髪を隠している。
「その格好暑くない?」
「慣れればどうと言うことはない」
「
「……俺のことはいい。それよりもその、ラカン殿と保護された者達についてだが」
「ちゃんとうまいことやっとくわよ」
「よろしく頼む」
「ん」
会話がひと段落したと見たか、御者が「若、そろそろ」とアスタールに声をかけた。
「それじゃ隠君子、縁があったらまた会いましょ」
「…………」
「どしたの?」
気安い挨拶に口をつぐまれ、女はきょとんとする。
アスタールは少しだけ間をおいて、戦いの最中呈した疑問を今一度尋ねた。
「あなたのことはなんと呼べばいい?」
「ああ、そういうこと。そうねー……」
女は髪を指にくるくると巻き付けて弄びながら思案し――やがてぱっと離して小さく頷く。
「……うん。“大師姐”ってのはどう? あんた末の弟子みたいだし」
「…………?」
「あ、あれ? ばあちゃんから聞いてない?」
「もしや……老師の義理の孫とはあなた」
「そうそれ!」
「……………………そうか」
アスタールが心当たりを口にすると女は食い気味に肯定した。
その様は自分と比肩し得る剣の達人にも冒険者を束ねる長にも歴史的聖女にも大貴族にも見えない。
強いて言うとすればどこにでもいるような、礼節に疎い町娘のそれだ。
アスタールは覆面の下で、不覚にも微笑んでしまった。
目の前の女性は何者なのかとずっと考えていた自分が、なんだか滑稽に思えたから。
彼女自身言っていたではないか、“どうだっていい”と。
本当にその通りだった。
「承知した。では大師姐、いずれまた」
「あは。またね師弟」
アスタールは普段より幾分か明るい声音で挨拶した。
大師姐もまた花が咲いたように笑って応え、馬車へと乗り込む背に手を振った。
その前後を、馬に乗った黒尽くめの男達が行く。
大師姐はそんな彼らを、そして幕が張られて見えなかったが荷台にいるであろう辺境伯を見送った。
※ ※ ※
空が白み始めた頃。
大師姐ことレギーナはラカンの寝室を訪ねていた。
平時ひと纏めにされていた長い髪は解かれ、丁寧にベッドへ流されている。
仰向けに寝かせるために誰かがそうしたのだろう。
「起きてる?」
まだ起床には早すぎる時間帯だが、無遠慮な旧友の声でラカンはすぐに目を開けた。
レギーナはラカンが横たわっているのにも構わずベッドの端にどっかと腰を下ろし、足を組む。
そして扉を一瞥してから、視線のみラカンに向けて話し始めた。
「久しぶりに一杯って言いたいとこだけど。……らしくないわね、ここまでやられるなんて」
ラカンは弱々しい笑みを浮かべ、か細く息をつく。
視界の隅でその様子を認めたレギーナは目を瞑り、少し笑って更に言葉を紡ぐ。
「隠君子ならもう発ったわ。あんたによろしくってさ。……あれ? あんたをよろしくだっけ?」
ラカンもまた瞑目し、今度は深い溜め息をついた。
「……惚れた?」
「!?」
無駄に勘がいい旧友の不意打ちにラカンは長い耳をひくりとさせ、腕もないのに勢いよく身を起こす。
「うおッ!? いきなり何よ!」
突然ぬっと顔を近づけてきたラカンにレギーナは狼狽した。
そして自身を睨む
「え、マジ? 図星?」
ラカンはぷいっと顔を背けるが、その目尻には僅かに涙を浮かべていた。
それを見たレギーナはおもむろにラカンを抱きすくめる。
「……!」
ラカンは離せとばかり身を捩るが、レギーナは背中をぎゅっと押さえて逃さなかった。
そればかりか蜂蜜色の髪を優しく撫で始め、「そっか」と囁く。
「……。…………ッ」
ラカンはこみ上げ、結局泣き出してしまった。
自らの境遇と無力、芽生えて間もなく摘まれた失恋の切なさ、そして旧友の温もりに抱かれた安堵が綯い交ぜとなり、涙となって溢れて来る。
「ごめんね。いっぱい傷ついて心細かったね。もっと早く会いに来ればよかったね」
歌うように慰めるレギーナの体が淡い光を帯び始めた。
それは抱き締められたラカンの身をも包み込み、両肩がきらきらと輝きを放つ。
そしてその輝きは徐々に列をなして下へと延びていき、やがてある程度の長さになると一際強く輝いて。
次の瞬間、そこにはラカンの腕があった。
ラカンはレギーナにしがみつき、声なき声でもっともっとむせび泣いた。
「あんたが生きてて、また会えてよかった。……本当よ」
レギーナはひたすらに優しく、全てを受け止めた。
しばらくしてラカンの涙が落ち着いて来た頃、レギーナは旧友と額をくっつけて尋ねた。
「ラトナ支部はどうしよっか。このまま続けたい? それとも……辞めちゃう?」
「…………」
ラカンは
いつになく伏し目がちで疲労の色が窺える。
あるいは
ラカンは自らの手の感触を確かめ、それからレギーナの耳元に口を寄せて。
舌と上顎だけを使って「つづける」と答えた。
「よし言質」
「!?」
「あんた達、もう入って来ていいわよー」
レギーナは突然普段通りの態度に戻り、扉の方に声をかけた。
すると猫っぽい
レギーナはラカンが目を白黒させているのにも意に介さず、一方的に話し始めた。
「早速で悪いんだけどこの二人のこと住み込みの臨時職員として雇ってあげて。や、他のみんなはちゃんと帰ったんだけど、この子達だけ住むとこないらしくって。かわいそうじゃん? でもあんたが引退ってなったら後任決まるまで保留になっちゃうからさ、改めて人材見繕うのも大変だし助かるわほんと。ちなみに職員の子達は無事だから心配しないでね。あんたが行方知れずになってすぐ、なんか変な連中に追っ払われてギルドに近寄れなかったんだって。後で呼びに行ってあげなよ」
「……?」
「ラカン様! お加減は平気ですかニャーって腕生えてるし!?」
「?」
「
「!?」
「ワタシもお仕えしますニャ―! 暇だし」
「!!?」
ラカンは視覚と聴覚から入る情報が処理し切れずきょろきょろしている。
だが状況は待ってはくれず、レギーナと新顔の娘達は好き勝手に喋り続けた。
「あ、思い出した。その変な連中、もしかしたらまだギルドに居座ってるかも。どう扱うかは任せるわ。それと溜まってた依頼のことなんだけど、盗賊ギルドに丸投げしちゃった。つーわけで依頼書持って来たら報酬払っといて、二割増しで。ついでに冒険者登録して来るかもだから適宜対応よろしく。つーかいい加減ラトナ支部建て替えなよ。あんたの趣味も分かるけどあれはボロすぎるでしょ流石に」
「ところで冒険者ギルドってどんなお仕事をするんですかニャ? ワタシ字が読めないんだけど」
「私は“
「ちなみに住み込みってことはご飯もちゃんと出るのかニャ? ワタシ一日五食派なんだけど」
「…………。…………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ラカンは何かに耐えるように肩を震わせ、そして――。
その日の早朝、乳香亭で一番いい個室が使い物にならなくなった。
現場に居合わせた
また、当時個室にいた宿泊客数名が行方不明となっており、安否が気遣われている。
余談だが、本件の修繕費用は後日、なぜかラシード魔導王国名義で冒険者ギルド本部に請求された。
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