第十八話 二輪花乱れ咲き 後編

「あーもーめんどくさーい」


 使徒達の風刃をひと太刀で散らしたかと思えば、うち三人が別々の方位から螺旋状に迫り追撃を仕掛けて来る。完全に抑え込まれる前にその一人へと突進し受け太刀を誘発、そのまま弾き飛ばして切り抜けると今度は衛兵が群がってくるので一息に薙ぎ払う。するとまた使徒が風刃を仕向け――。

 ブリギッドはその一切を難なく凌ぎながらも消極的で、自ら攻勢に出ようとはしなかった。

 使徒はともかく、その気になればたかが数百の衛兵など一息に無力化することも不可能ではない筈。

 だが、彼女は

 正確には斬りたくとも致命となる攻撃はすり抜けてしまうのだ。

 鉄だろうとなんだろうと並の相手の並の装備ならば容易に断ち切れる。

 ゆえ、ブリギッドが齎す致命撃とはそのまま武装解除を意味すると言って良い。

 受け止めた武器も身に纏う鎧もその下の着衣も彼女の技の前には紙と同じだ。

 しかし、武具を失ったところで操られている者達は止まらない。

 かと言って半端に加減すれば死には至らぬ怪我を負わせ、正気に戻った後苦しませることになる。

 それでは気分が悪いので、常に正確な斬撃を心掛けた。

 その結果、衛兵達はあられもない姿となり果て、肌を晒したまま臆面もなく彼女に掴みかかって来るのである。

 たびたび大太刀の腹や柄、時には鞘も振るって叩き伏せ昏倒せしめて来たが、流石に埒が明かない。

 絵的にも色々ときついものがあり、げんなりしていたブリギッドはやがてこう考えた。


「よし、隠君子ハイドライドを待とう」


 そうしてもはや幾度目のルーティンか分からないほど攻防を繰り返した頃。

 城の裏手の方から爆発にも似た轟音が鳴り、それは地響きを伴った。

 程なくして衛兵達の動きが止まり、気絶して倒れる者、ぼんやりと呆け月を見上げる者、状況が分からず恐慌をきたす者など反応は様々だが、どうあれ皆ブリギッドに対する戦意は失われているようだった。


「やったみたいね。あー良かった。やっとむさ苦しいのから解放され――」


 ――が、ブリギッドが喜んだも束の間、頭上より九人の使徒達が迫る。


「……やっぱりあんた達は止まんないか」


 ブリギッドが空へ大太刀を振りかざし、無数の弧を描く。 


「大人気ない気もするけど、ちょっとだけ本気出すわね」


 時に身を翻して向きを変え、天の川銀河を描くように。あるいは陰陽を交え太極となすように。

 悩ましげな面持ちで繰り広げるそれは演武のようである一方、艶舞にも見えた。

 もしもフュルフュールがこの場にいたなら大喜びしていたに違いない。

 二重、十重、二十重と連なる剣戟は旋風を伴い、ブリギッドの周囲にいた衛兵達はやや遅れて届いた音と共に押しやられ、吹き飛ばされた。

 八十重に至る頃、庭に大輪の薔薇が咲いた。

 使徒達は立ち昇る気流に巻かれて半ば宙にその身が留められたまま、自らに迫る花を短刀で、あるいは何度も風刃をなして受け止めようとする。

 だが、花弁のひとひらでさえ、めしべたるブリギッドが無数の剣閃を以ってなした凶器そのもの。

 到底凌ぎ切れるものではなく、使徒達は風刃も短刀も着衣も切り裂かれ、一糸纏わぬ姿となって放り出された。

 ブリギッドは仕上げに大太刀を地面に突き刺し、上着を脱いで放り投げる。

 それは風の残滓に舞い踊り、狙いすましたかのように紅一点だった女の使徒の頭上に落ちた。


「風邪引かないでねー」


 そうして、外套で肌を隠しつつもきょとんとする女使徒を見向きもせず。

 ブリギッドはさっさと城の方へと走り去った。

 まだ意識のある誰もがきょとんとして、ただその背中を見送ることしかできなかった。


   ※   ※   ※


「来たか」


 隠君子ことアスタールと城内で合流したブリギッドは扉が開いたままの執務室に飛び込んだ。

 部屋の中は青白く、窓から差す月明かり以外に光源と呼べるものはない。

 窓辺には一人の紳士がこちらに背を向け、後ろに手を組んだ姿勢で立っていた。

 庭の惨状に顔をしかめているのか。

 城の裏手が崩れたであろうことを憂いているのか。

 あるいは自身の顛末に思いを馳せているのか。余人にその胸中は計り知れない。

 ならば直に改めればいいと、アスタールが前へ踏み出した。

 が、ブリギッドはその肩を掴んで制し、「慌てるな」とばかり目配せする。

 二人の闖入者がそんなやり取りを交わしたところで、その紳士は語り始めた。


「我がアッ=ラティフィー辺境伯家は建国以来“もうひとつの王家”と称され、初代女王の直系であるバフール公爵家と共に南北からこの国を支え続けて来た。時には玉座を預かって」

「……知ってるわ」


 ブリギッドの沈んだ声を受け、彼――アッ=ラティフィー辺境伯もまた肩を落とすように俯く。


「今や見る影もないがね。ベアトリス女王が即位されてすぐ、貴族院の貴族達は皆ありとあらゆる不正を暴かれ宮廷を追われることとなった。我が家門からも愚息が出向いていてね、後ろ暗いところはないようだったが結局まつりごとからは遠ざけられた」

「自業自得じゃない?」

「いかにも。自らの手が汚れていなくとも腐敗を座視していたのなら同罪だろう。個人的にもそれ自体になんら思うところはない。しかし悪評を流布されたのは少々いただけない。お陰で民達は十把一絡げに貴族われわれと言う存在を忌避し、その言葉に耳を傾けようとしなくなってしまった」

「…………」

「かと言って統治がままならないかと言えば、これがそうでもなくてね。女王陛下は貴族院を廃止した後、没収した財産を源泉に国を住み良くするための政策を次々と打ち出し、また実行した。国は豊かになり、人々は栄えある魔導王国ラシードの一員として、ベアトリス女王の臣民として、誇りを以って法を順守するようになった。順風満帆と言うやつだよ。貴族以外にとっては、だが」


 そこまで言うと辺境伯はやっと二人を振り向き、そして僅かに目の色を変えた。

 その目線は月光に照らされたブリギッドの顔を捉えている。


「……? 以前お会いしたことが?」

「間違いなく初対面よ。続けて」


 ブリギッドはにべもなく言い放ち、先を促す。

 口説き文句のようでばつが悪かったのか、辺境伯はひとつ咳払いをしてまた話し始めた。


「失礼した。貴族達は我が世の春を謳歌していた頃を懐かしみ、取り戻さんと躍起になった。そうして考えに考えた末、我が辺境伯家に白羽の矢を立てた。私を北方の盟主として擁立し、女王に反旗を翻そうと画策したのだ」

「引き受けちゃった?」

「断ったとも。私にとってはありがた迷惑な話でしかなかったからね。ところがどうしたことか、その日を境に城内の誰もが私の言うことを聞かなくなった。指示した内容はことごとく歪曲されて伝わり、それは執務にまで及んだ。だが、気がついた時には既に遅く、私は反女王派貴族の筆頭として世間に知れ渡っていた。それから程なくして使用人達からは半ば幽閉同然の生活を強いられ、代わりに城内には妙な連中が出入りするようになった。後のことは……君達の方が詳しいのだろう?」


 辺境伯は微笑みを以って話を結んだ。

 そこに悲哀の色は見られず、いっそ清々しいほどであった。


「なんかそう言うことみたいだけど、どうすんの?」

「……どうと言われてもな。この場では判断しかねる」


 ブリギッドに問われ、アスタールは腕組みする。

 その様子を認めた辺境伯は「ふむ」と顎に手を当て、二人の前へ歩み寄った。


「無論私が関与していないと言う証拠はない。このまま首謀者として捕らえてくれても構わないよ。だが、願わくば王都にいる妻と子供達に累が及ばぬよう陛下に慈悲を乞う機会をいただけないだろうか?」

「いずれにせよ女王に直接身柄を引き渡す手筈となっている」

「ならば是非もない」


 答えに満足したのか、辺境伯はまた微笑んで両手を差し出す。

 アスタールは懐から縄を取り出して彼の手首を縛り、その先を軽く引いて室外へと誘った。

 一方、ブリギッドは部屋の奥へと向かい、振り向いて執務机に寄りかかる。

 そして辺境伯が部屋を出る間際、声をかけた。


「あたしからも一筆書いて恩赦掛け合ってみるわね」


 辺境伯はにわかに足を止め、思いがけない提案に振り向いた。


「君が?」

「これでもあのぽっちゃ……ベアトリス女王とは付き合い長いからさ。たぶん悪いようにはしないと思う」


 不思議な娘だ。

 彼女とは会って間もないが、その奔放な振る舞いに上流階級との縁故など微塵も窺えない。

 にも関わらず辺境伯はなぜだか安堵すら覚え、その言葉をすんなりと信じることができた。


「…………心遣い感謝する。良ければ名前を伺っても?」

「ローザ・・アッ=ロゼッティーよ」

「!?」


 何気ない問いに、何気ない答え。

 だが、他ならぬ辺境伯にとって、それはとても聞き流せる類のものではなく。

 彼は自分とは親子ほども年が離れた容姿をした娘を、まじまじと見詰めた。

 そして思い出した。

 月影を受けて紅に燃える髪を、女神像に酷似した顔立ちを、ファイルーズの眼差しを。


「そんな……。君、い、いやッ、あなた様は!」


 辺境伯は思わず彼女の元へ行こうとするもアスタールに止められ、そのまま外へと連行された。

 ローザと名乗った人物は、彼が幼少の頃より幾度となく目にしていた、そしていつの頃からか城内で見かけなくなったの肖像画そっくりの笑みを浮かべて見送った。 

 まるで幼子に別れの挨拶でもするように、小さく手を振って。


 独り執務室に残されたローザ、あるいはブリギッド、はたまたレギーナは机上に手を突いて上体を反らせ、気だるい目をして天井を仰ぎ見た。


「あー…………やっぱたまには様子見に来ないと駄目かー」

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