第十七話 二輪花乱れ咲き 中編

 衛兵達は一斉に踏み込み、二人の侵入者に槍を突き出した。

 これを避けるべくブリギッドと隠君子ハイドライドは真上へと跳ぶ。

 だが、その上空を九人の若者達――フュルフュールの使徒とも言うべき者達が制していた。


「上は任せて!」

「ならばを薙ごう」


 ブリギッドは隠君子の背中を踏み台に、より上へと翔け、大太刀を振るう。

 それより一瞬早く使徒達が短刀から不可視の刃を放つがブリギッドは全て弾き、更に剣圧で押し退いた。

 他方、背中を蹴られるに任せ落下する隠君子は眼下に群がる衛兵の第一陣へ無数の剣戟を振るい、着地すると共に血の花を咲かせる。

 その技はフュルフュールさえ巻き込んでいたが、例の如く風へと変じて退避していた。


「ちッ、あの野郎もかよ!」


 フュルフュールはブリギッドと隠君子が同じ技を使うことに目を見張った。

 彼がから聞いた話では“触れ得ざるものエーデルワイス”とか言うふざけた名前の流派らしいが、いざ目の当たりにしてみると、あれはもはや剣術などといった次元ではない。

 いっそ自分が恩寵グラティアとして授かった権能の方が可愛げがあると思えるほどだ。

 それほどの使い手を二人相手取るとなれば、頭数だけ揃えても用をなさない。


「せめてこっちにもあと一人くらい腕が立つのがいりゃいンだけどな。こうなりゃ――」


 フュルフュールは衛兵達の第二陣に合わせてメスのような短刀を矢継ぎ早に放った。

 案の定、隠君子は雑兵とメスを同時に蹴散らし、そのままフュルフュールの方へ駆け抜けて来る。


「そうだ、追って来やがれ!」


 フュルフュールは風になりながら城の上へと離脱し、また姿を見せては更に上へと移動した。

 隠君子も巧みに足場を見つけて跳躍し、それを追って行った。

 そうして二人が姿を消した後、庭には相変わらずひしめき合う衛兵達と、使徒達と。


「……あり?」


 ブリギッドが取り残された。

 彼女は周囲もろくに見ぬまま剣を振るい、衛兵達の武装を適当に断ち切りながら二人の背中を見遣る。


「ま、それならそれでいっか」


 隠君子がある程度数を減らしたため、既に多数の敵が倒れ伏していた。

 それでも虚ろな目をした衛兵達は怯むことなく黙々とブリギッドへ矛先を向け続け、その合間に使徒の刃が飛来する。

 だが、ブリギッドはまるで物ともせずその全てをいなし、払い、斬り捨て、時には武装解除され裸になっても向かって来る衛兵を刀身の腹で引っ叩き、昏倒させた。


「来なさい坊や達。お姉さんが世の中ってもんを教えてあげるわ」


 ブリギッドが大太刀を八双に構え、啖呵を切る。

 長い夜になりそうだった。


   ※   ※   ※


 城の裏手には短い渡り廊下で結ばれた二棟の尖塔がそびえていた。

 フュルフュールはその一方の頂きに登ると、向かいの塔には既に隠君子が立っていた。

 そうしてしばらく両者は見詰め合っていたが、やがて隠君子の方が口を開く。


「……ひとつ尋ねたい」

「あン?」

「ラカン殿の両腕を奪ったのはお前か?」

「ラカン……? って誰だっけそいつ」

森人エルフの女性だ。冒険者ギルドの支部長マスターと言えば分かるか?」


 隠君子の張り詰めた声に、フュルフュールは意地の悪い笑みを浮かべた。


「さァて……どうだったかな?」

「答えろ」


 隠君子が一足飛びでフュルフュールの元へ至り一閃を見舞う。

 が、やはりフュルフュールは風となってふわりと抜け、すぐに実体化して隠君子の背中を蹴飛ばした。

 しかしそれは残像で、本体はフュルフュールの背後から花を描くが如く剣戟を繰り出す。


「何をキレてやがンのか知らねェけどよ!」


 フュルフュールは合間に刃を打って凌ぎながら何度も風となって距離を稼ぎ、更に突撃して来た隠君子の刃に手を振ってなした刃をぶつけ。

 両者は互いを弾き飛ばし、各々さっきとは逆の塔の頂きへと着地する。


「おたくだってぶった斬った野郎のことなんざいちいち覚えちゃいねェだろ?」

「覚えている」

「はァ?」


 フュルフュールは迷いもてらいもない隠君子の返答に片眉を釣り上げた。


「忘れたことなどない。……これまで手にかけた者の顔はすべて」

「さっき蹴散らした雑兵も? 一人残らず?」

「無論だ」

「うわァ筋金入りだなこいつ……」

「今一度尋ねる。お前がラカン殿を……辱めたのか?」


 隠君子が切っ先をフュルフュールへと向けた。

 あの月を照り返す金の双眸に宿るのは、どうやら義憤か。

 フュルフュールは虫酸が走るとばかり唾を吐き、暗い声で言った。


「……くっだらねェ。それが一体なんだってンだ?」

「何?」

「てめェが! 俺様が! 今やるこたァ変わんねェだろォがよォォォォ!」

 

 フュルフュールが叫びながら幾重もの刃を放ち、自らも風――否、大振りの刃となって隠君子へ突撃した。

 まさしく風の如き速さであるが隠君子はまたも残像を残して背後に周りそれ以上の斬撃を見舞う。

 フュルフュールは風のままくるりと翻り、避けながら今一度自らを風の刃たらしめ襲いかかる。

 これに対し隠君子は刀を背へ構えて受け留め、その衝撃に任せ渡り廊下へと降り立ち、上を見上げた。

 フュルフュールは、宙に留まり月を背負っている。


「俺ァな、てめェみてェな甘ちゃん見てると心底ムカついて仕方ねンだ。ゴタゴタ抜かすくらいなら最初ハナっからこっち側に首突っ込んでんじゃねェよ。あァ? コラ。ロクに覚悟もしてねェ分際で無駄に強くなりやがって。俺様の視界に入ンなよ邪魔くせェんだよはっきり言ってッ――」


 しかしその面持ちはこれまでと異なり、怒りを露わにしていた。


「――お呼びじゃねェんだよ糞餓鬼クソガキィィィィィィイ!!」

「……ッ!」


 フュルフュールが絶叫すると、その周囲に暴風が巻き起こった。

 球状に吹き荒れる風は二つの塔をずたずたに切り裂いてなお広がり続け、隠君子の頭上へ迫る。

 また暴れ出した幾筋もの斬撃が渡り廊下の随所を削って行き、ぐらつき始めてもいた。


「……その通りなのかも知れない」


 それでも隠君子は微動だにせず、柄に手をかけた姿勢のまま――ついには瞑目した。

 飛来する空は頬を、肩を、腿を裂き、ついに渡り廊下が崩壊を始めた。


「だが」


 刹那、隠君子が瞠目する。

 その胸元が着衣を突き抜けて金色こんじきに輝き、同時に彼は翔んだ。

 そして鋭利な刃の吹き荒れる暴風域に入ると宙にあるを足場に次々と移動を繰り返し、それでいて風に抗うことなく着実にフュルフュールの元へと迫った。


「……ッ! てめェまさか!?」


 隠君子は答えない。

 ただ黙々とフュルフュールを目指し跳躍を続けるのみ。

 時折その身を刃が捉えても薄皮一枚切り裂くのみだった。

 まるで金属の塊に刃物を立てたように。


「クソッ、化けモンが!」


 フュルフュールは己も風となって暴風域へ身を委ね、追跡を逃れんとした。

 だが、それはどうしようもなく悪手だ。

 なぜなら、意のままに移動できず振り回されるだけだから。

 そしてその行く手には――。


「お前は気に入らない」

「――ッ」


 隠君子は抜刀し、居合の一刀からほんの僅かのいとまにて菊花を描いた。

 真向かいの風は真っ二つに割れた後細切れとなり、その衝撃は暴風をも弾き飛ばして霧散させた。

 フュルフュールは四肢を失ったズタズタの姿となって墜落し、その鮮血は散りゆく風に運ばれ花弁のごとく消えていった。


   ※   ※   ※


 すっかり真南に昇った月に照らされながら。

 渡り廊下はおろか尖塔までも完全な瓦礫と化した跡に、フュルフュールは横たわっていた。

 傍らには彼をこんな風にした張本人が立ち、如何なる感慨も抱かぬ瞳でただ真っ直ぐ見下ろしている。


「クソが。野郎に看取られるとか冗談じゃねェぞ畜生。こんなことならあのまま向こうで遊んどくんだったぜ。やいコラてめェ」

「なんだ」

「名前教えやがれ」


 フュルフュールの要求に隠君子は先のブリギッドのような反応を示し、やはり同様に答えた。


「…………。アスタールだ」

「へへッ、あっちは薔薇でてめェは菊ってか。揃いも揃ってふざけやがって」

「…………」

「覚えとくぜアスタールさんよォ。今度会った時にゃ絶対ぜってー泣かしてやる……ッ」

「次などない」

「がはッ――!」


 隠君子ことアスタールはフュルフュールの鳩尾に躊躇なく切っ先を下ろし、心臓を貫いた。

 フュルフュールは苦しげに吐血したが即死には至らず、荒い息を吐きながら持ち前のにやけ顔をした。


「あーあ、聖女様ブリギッドかよ……。まァ……それも、悪くは…………」

「……?」


 全てを言い終える前にフュルフュールの姿は塵となって風に消えた。

 だが、言動は末期のそれではないことを、アスタールは考えざるを得なかった。


暴風プロケッラの……フュルフュールと言っていたな。覚えておこう」


 血糊を飛ばして刀を納め、アスタールはその場に背を向けた。

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