第十六話 二輪花乱れ咲き 前編

「変わらないわね」


 城壁の上での時を待ちながら、赤い髪の女はそう呟いた。

 そのトルコ石ファイルーズ色の双眸で月影に照らされた領主の城を認め、少しの感傷を滲ませて。

 彼女自身もまた、いっそ夜陰に紛れるのを拒むかの如く白影に身を晒し、鮮烈に輝いていた。

 かくも堂々としながら未だ騒ぎにならないのは、既に見張りを全員昏倒せしめているためだ。

 そうして幾許かの時が流れ、さっと風が吹いた後。

 いつの間にか彼女の隣に凛然と、銀髪の男が立っていた。

 彼は黄金こがね色の双眸を以って、やはり城を見下ろしていた。


「遅かったのね。首尾は?」

「上々だとも」


 女が驚くどころか見向きもせずに問えば、男もまた当然のようにそれへ応えた。


「……そういう芸風キャラだったっけ?」

「おかしなところでも?」

「や、てっきりムスッとした感じで「無論だ」とか「滞りなく」とか返して来ると思ってたから」

「たまには好きなようにやらないと自分を保てないこともある」

「…………。嫌なことでもあったの?」


 女が気遣いげに尋ねると、男は眉根を寄せて言った。


「大聖堂の地下にラカン殿が囚われていた」

「無事?」

「命に別条はない。が……これを終えたら会ってやってくれ」

「なんか分かんないけど分かったわ。でも、ちょっと思い詰めすぎなんじゃない?」

東皇マルドゥーク眷属アポストルならば身内も同然だ。俺は……俺には看過できない」

「…………確かに。我慢は体に良くないわね」


 男の話になんら具体性はないが、それゆえ状況を雄弁に物語っていた。

 ゆえ、女は多くを察して労ったのだ。

 あるいは彼女自身にも思うところがあるのかも知れない。

 だが、それをおくびに出すことはなく、女はあえて明るい声で言った。


「じゃ、ぼちぼちやろっか。健やかに暮らすためにもね」

「作戦は?」

「とっととボコってのんびりガサ入れ」

「ないに等しいのは理解した」

「駄目?」

「いや、悪くない」

「でしょ」


 おもむろに不自然な風が二人を煽り、髪を舞い上げる。

 その幽玄たる様はあたかも薔薇と菊が月下に並び立つかのように美しく、危うい。


「――いけねェなご両人」


 最前の風が抜けた先――そこは宙であったが、満月を背に平然と仁王立ちする一人の男がいた。

 ひょろ長い体躯に加え、頭髪を逆立てているため、やけに大きく見える。


「ちょいと節操が足りねンじゃねェか? いちゃつくなら場所ぐらいは選ばねェと出歯亀されちまうぜ? まァ俺様としては? そのまま野エロおっぱじめてくれたって一向に――」


 下品な口上の最中、薔薇と菊は同時に抜刀し遥か高みに在る男の元に交わる斬撃を放つ。

 だが男の姿は寸前に消え、後には毛髪と思しき幾許かの繊維がその場に舞い散るのみ。

 その直後二人の間を風が吹き抜けた。


「――危ねェ危ねェ」


 二人が振り向けば、そこには先ほどの男の姿がある。

 どことなく蜥蜴を連想させる面差しで、頬にあるホクロと見紛うような円形の痣が目を引いた。

 彼も痣が気になるのか、ぽりぽりと掻きながら相変わらずおどけた調子で話を続けた。


「そうカッカすんなよ。しかし思いのほかお早い到着じゃねェか」

「あら、出直してあげてもいいのよ?」

「気を使うこたァねェさ。むしろ感謝してるくらいだぜ? なんせ待ち遠しくてよォ」

「子供みたいね」

「いくつンなってもいいモンだろ? 歓迎会パーティーってやつァよ」

「賑やかなのは好きじゃないんだけど。ライブ以外はね」

「ならまずは手下どもバンドでもてなしてやンねェとなァ!」


 男が言い放った瞬間、九名もの男女が城壁の下から現れ、即座に二人を取り囲んだ。

 一様に口元は布で覆っているが、いずれ青年になったばかりの年端も行かぬ若者だ。

 また、全員の頬にそれぞれの月齢を思わせる痣があった。

 彼らは曲刀を携え、侵入者へと一斉に飛びかかる。

 薔薇と菊は上へ飛び、そのまま城壁内へと下りていった。

 若者らも直ちに飛び降りて二人を追う。


「なるほど、それで身請け話ってわけ」

「何の話だ?」


 追われて庭を走る中、薔薇の女が言ったことを菊の男が改める。


「細かい経緯は省くけど、要は獣人シャリアン森人エルフをかどわかしたのがこいつらってこと。わざわざ盗賊ギルドと同じ手口でね」

「……得心がいった」

「ちなみに飼い主は太陰教。しかも恩寵グラティア持ち」

恩寵グラティア?」

「ほら。みんなほっぺに太陰エクリプス聖痕スティグマ浮かんでんじゃん」


 薔薇の女が自らの頬骨のあたりを指差す。

 菊の男とて無論それは目にしていたが、よもや聖痕とは思いもよらず。

 だが、意味するところは承知していた。


「彼らが女神の眷属だと……?」

「別に珍しかないでしょ? ラカンは言うまでもないし、あんただって金尊シュクラの眷属なんだから」

「……!」

「ま、そゆこと」


 端的な言葉で素性の大半を言い当てられ、菊の男――隠君子ハイドライドは目を見開いた。

 以前薔薇の女は彼に対し「ほとんど身バレしてる」と言ったが、それはせいぜい自分が女王直属であることを看破された程度だろうと考えていた。

 薔薇の女はどうとも思っていない様子だが、隠君子にしてみれば各方面に面目が立たない。

 隠君子は密かに自らの未熟を恥じ入り、気を引き締めた。


「……どうあれ領主の手勢ではないと言うことか」

「たぶんね。もっともこの場にいる時点でどっちでも変わんないんだけど」


 やがて広大な庭の中ほどまで辿り着いた頃。

 また風が二人の間を吹き抜け、直後に行く手に蜥蜴もどきの男が現れた。

 更に、あらかじめ潜んでいたらしい兵士達が全方位から集い、二人を包囲する。

 すぐに後続も追い付き、薔薇と菊は背中合わせに立ち止まった。

 状況が膠着したとみるや、蜥蜴もどきはにやつきながら芝居がかった拍手をした。


「すげェすげェ、何から何までご明察だ。ここまで早く割れるとはな」

「少しくらいとぼけてみせたら?」

「ンなモンあの成金司教どもが自白ゲロっちまえば同じこったろ?」

「ふーん……意外と潔いじゃない。ついでに名前聞かせてよ」

「あんたも名乗ってくれンならな?」

「いいわよ」


 両者が言葉を交わす間、配下達は刃を突きつけたまま微動だにしなかった。

 その様は不自然を通り越して不気味なほどで、よく統率された軍隊でも難しいように思えた。

 あるいは蜥蜴もどきの男に操られているのか。

 そう見立てた隠君子は引き続き警戒しながら推移を見守った。


「よォし。俺様はフュルフュール。太陰の四制キュリオスが一柱、暴風プロケッラのフュルフュール様だ」

四制キュリオス……?」

「ま、ただの眷属じゃねェとだけ言っとくわ。ほれ、次はあんたの番だぜ?」


 蜥蜴もどき改め、フュルフュールに促された薔薇の女は逡巡するように俯いてから、呟くように言った。


「…………。ローザ」

「へェ、そりゃ見た目通りの」

「それともレギーナがお好み? ブリギッドってのもあったわね。他にはパンドラとかエン――」

「オイオイそりゃねェだろ? こっちは大真面目に名乗ってやったつーのに」

「悪いけど一個もふざけてないわ」


 いくつも名乗った薔薇の女はフュルフュールを真っ直ぐ見据える。

 これが悪ふざけならば相当たちが悪いと思えるほど、真摯な眼差しで。


「……マジで?」

「女神に訊いてみなさいな。生きて帰れればね」

「するってェとナニか? あんたは冒険者ギルドの総長グランドマスターで、しかも太陰教うちの聖女サマでもあるってわけか?」

ね。今は無宗教だから」

「ははッ――やっぱとびっきりの女だなあんた! 決めたぜ、俺ァブリギッドって呼ばしてもらう!」

「聞いた? ブリギッドだってさ、あたし」


 大はしゃぎのフュルフュールを捨て置き、薔薇の女こと聖ブリギッドは隠君子に声をかけた。

 まるで他人事のように。

 隠君子は頭の処理が追いつかず、額を押さえる。


「あなたは…………一体…………」

「どうだっていいじゃんそんなの。ほら、しゃんとしなさい」

「……………………」


 隠君子はブリギッドに対する疑念を振り払うように刀を構え直した。

 少なくとも今は彼女の言う通りだ。ここは戦場なのだから。

 そう自分に言い聞かせて。


「よっしゃ仕事だ野郎ども! 間違っても聖女サマ退屈させンじゃねェぞォ!」


 フュルフュールの号令と同時に状況は動き出す。

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