第十三話 修行者の証言

 我が名はラカン。

 クアドラトゥーラ大樹海の氏族クラン蜜蝋の櫛アピス”出身の森人エルフであり、ここ百年ほどは冒険者ギルドの一員としてラトナ支部を任されている。

 正確にはある女から押し付けられただけなのだが、非常に不愉快な記憶であるため詳細は割愛する。

 なお、本名は別にあり、修行者ラカンは冒険者ギルド職員として役職を得た際に贈られた一種の通り名である。

 我に名付けをした女は皆から女王レギーナと呼ばれ、名に違わぬ智慧と胆力、そして武力に美貌まで兼ね備えた傑物であったが、同時にことあるごと身勝手な判断で周囲を振り回す天賦の持ち主でもあった。

 いかん、余計なことを思い出して腹が立ってきた。気分を鎮めなくては。

 ……そうだな、別のことを話すとしよう。

 我は今、囚われの身である。

 否、そうではない。決して受けを狙ってなどいない。

 厳然たる事実を述べたまでだ。

 現在地は不明だが、申し訳程度に配された魔術光のランタンのお陰で、ここが牢獄なのは把握している。

 三方と天地が石造りで通路に面した一面にのみ支柱の太い鉄格子が嵌められており、更にはここが地上でないからなのか、周囲に意思疎通を図れる精霊エスプリの姿が視られない。

 この条件下において、我が自らの力のみで逃げおおせるのは不可能である。

 他方、我の位置から確認はできないが何方よりか、いとかそけきすすり泣きが木霊する。

 声の主には心当たりがあった。

 恐らくはラトナの街で失踪した獣人シャリアン森人エルフの娘達であろう。

 少し前、この件を追っていた冒険者達が行方知れずとなり、変わり果てた姿で数日後に発見された。

 事態を重く見た我々は名うての精鋭を揃えて究明に臨んだものの、その者らの顛末も同様だった。

 この時点で手を引くべきだったのかも知れない。

 だが、この地の冒険者を率いる者として、また一人の森人エルフとして、看過すると言う選択はあり得なかった。

 我は自ら領主の城へと出向き、アッ=ラティフィー辺境伯に助力を請うた。

 ろくな評判を耳にせぬ手合いだが、もはや我々だけでは荷が勝ちすぎる。

 また、他ならぬラトナの街のことゆえ、筋を違えぬ意味でも渡りをつけておいて損はあるまい。

 果たして、我を待ち受けていたのは領主ではなく、ひょろ長い背格好のにやけた若造だった。

 一見すると只人ヒュムのようだが笑う度に細かく刺々しい歯を覗かせ、その眼はやけに黒目がちで光に当たると縦に長い瞳孔の細まる様子が窺える。

 あるいは鱗人レプティリアンとの混血なのかも知れない。

 だが、彼のよく回る舌と下品な言葉遣いは、あの物静かな種族とは似ても似つかぬ不快なものだった。

 彼はフュルフュールと名乗り、我にこう言った。


「あんたほどの相手ならブッ殺してやってもいンだけどよ。うちの商品――特に森人エルフどもがなかなか言うこと聞かなくってなァ、このままじゃ売りモンにならねンだわ。つーわけで、あんたにゃ生きたまま見せしめになってもらうことンなった。とりあえず……そうだな、まずは腕もらっとくか?」


 当然我は怒りを覚えたが、同時にこの者が我が前にいることが喜ばしくもあった。

 このフュルフュールとやらは一連の事件の主犯格に相違あるまい。

 そしてここは領主の城。

 ならばアッ=ラティフィー辺境伯も関わっている可能性が高い。

 あるいは、我はまんまと誘き出されたのやも知れぬ。

 だが、ゆえにこれは好機。

 なんとしても両者を捕らえ、洗いざらい吐かせて囚われた娘達を救い出さなくては。

 我は戦った。

 フュルフュールが放つ無数の投げナイフを風の精霊エスプリの力にて凌ぎ、そのまま彼の両手を断たんと風の刃を為した。

 彼は目に見えぬ刃を巧みにかわし続けたが、我は程なく追い詰めることに成功した。

 だが、それは思い違いであった。

 逃げ場を失ったフュルフュールは潔く我が刃をその身に受けた。

 にも関わらず、断つどころか薄皮一枚切ることさえ叶わなかったのだ。


「いや悪ィ悪ィ。全部なんだわ。あんたが風使いだったからよ、つい遊んでみたくなっちまった」


 我は理解が追いつかず、幾重もの刃を成して同時に放ったが、結果は同じだった。

 風が――精霊エスプリがフュルフュールを避けている?

 否、我の目にはぶつかる寸前に霧散し、吸収されているように視えた。


「まだ分からねェか? あんたの十八番オハコなんざみてェなモンなのさ。俺様にとっちゃな!」


 フュルフュールがそう言った刹那、我が両椀は即座に断たれた。

 何も視えなかった。風も精霊エスプリ象気マナも。

 ただ状況から我が術を超える速度の視えざる刃が放たれたのであろうと類推する以外は、何も。

 我は倒れ伏し、失血と激痛のためか意識を失った。

 そして目を覚ますと、この場所に囚われていたのである。

 両腕――と言っても肩しか残されていないが――の傷は意外にもしっかりと手当されており、ひとまず失血死の心配はなさそうだ。

 思い返せばあの男は我を見せしめにすると言っていた。

 我の無様な姿を憐れな同胞達に見せつけ、逆らう気概を削ぐつもりなのであろう。

 あるいは、それは既に成されているのかも知れない。

 近くにいるのならせめて話でもして慰めてやりたいが、それは不可能だった。

 なぜならば、父なる大樹海クアドラトゥーラは我が生に“声”と言うものをお与えにならなかったのである。

 我はその宿しゅくを試練と捉えて己を磨き続け、やがて大樹海を発った。

 多くのき出会いに恵まれ、他者と語らう手段などいくらでもあるのだと知った。

 もはや声など必要も感じぬとさえ思っていた筈だった。

 我が無力を許せ、憐れな同胞達よ。

 そして大樹海よ。東皇マルドゥークよ。

 今初めてあなたを、甲斐なきこの身に生まれついた天命を呪う。

 我は瞑目し、ただただ娘達のすすり泣きを聞き続けるより他なかった。

 どれほどの時間そうしていたのだろう。

 数日か、それとも一週間は経っているだろうか。

 冒険者ギルドは今どうなっている?

 職員達を心配させているかも知れない。

 だが、血が足りないためなのか頭が回らず、我は頻繁に眠ってしまっていた。

 ある時ふと鉄格子の向こうに微かな空気のゆらぎを感じ、我は目を開いた。

 そこにはが佇んでいた。


「冒険者ギルドラトナ支部支部長マスター、ラカン殿とお見受けする」


 不覚にも目を奪われた。

 闇より深い漆黒を纏うその者は、金色こんじきの瞳にて労るように我を見詰めていた。

 魔術による偽りの光を照り返すその輝きは、けれど紛れもない本物で、ただ美しくて。


「俺は女王陛下と総長グランドマスター、双方の要請を受けて動いている者だ。あなたを発見したのは偶然だが……――大丈夫か?」

「……?」


 その質問の意味に気づいたのは、己の視界がぼやけてからのことだった。

 そうか、我は泣いているのか。


「……偶然だが、僥倖だった。“隠君子ハイドライド”の名を持つ者として」


 なんだと?

 今この男はなんと言った? なぜを?

 分からない。何も考えられない。涙が止まらない。泣くために声を出したい。


「あなたに万が一のことがあれば、俺は総長にも東皇にも合わせる顔がなくなる。責任を持ってこの場から連れ出すと約束しよう。……そのまま動かないでくれ」


 隠君子とやらはそう言うなり抜刀した。


「ッ!?」


 同時に凄まじい突風が巻き起こり、その次の瞬間、彼が納刀すると同時に鉄格子は無数の屑鉄へと変じた。

 更に床、壁、天井は我を避けたかのように放射状に抉れ、あたかも菊花模様の如き様相を呈す。

 剣術は詳しくないが、これでは我を名付けたあの女とまるで同じではないか。

 おまけに腰のものはまさしく東皇ゆかりの品。


「腕以外に怪我はないか」


 今しがたの斬撃に巻き込んでいまいかと気遣っているのだろう。

 無愛想だが気の善い若者のようだ。

 そう、この者はあまりに若い。

 覆面で顔は隠されているが、若年者特有の瑞々しい元気オドを感じる。

 見たところ只人ヒュムのようだ。

 となれば、数えて二十にも満たないのではないだろうか。

 それを少し惜しいと思った。

 この出会いがもう十年遅ければ、身も心も委ねてしまっていたかも知れないのに。

 ……いいや、我とて未だ無力で矮小な小娘に過ぎないか。

 たかがこれしきのことで泣き崩れているのだから。

 ならば――ならば、にわかに芽吹いたこの恋情を育むのもまた悪くはないか。

 声を持たず、森人エルフにしては肉も付いているゆえ好まれるかどうか不安は残るが。

 そのように埒もないことを考えていると、彼は我の前に膝をついて奇妙な行動に出た。

 両手を出しかけては引っ込め、角度を変えるなどしてまた同じことを繰り返しているのだ。

 我が首を傾げると、隠君子は重々しく言った。


「……………………東皇立ち会いの下、許嫁に立てた誓いがある」

「…………?」

「他の異性とは距離を置くと。だから……その、どの程度触れて良いのか。分からない」

「……ッ! 〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」


 我は笑った。

 腕がないゆえ涙もそのままに、腹がよじれるほど笑った。

 腕があれば腹を抱えるか、さもなくば床を叩いていたに違いない。

 まったくこの男は天才か。

 初対面の森人エルフを泣かせたり笑わせたり。

 挙げ句、このほんの短い間に失恋までさせてくれて。


「…………」


 ばつが悪いのもあるのだろう。

 隠君子は眉間にしわを寄せ、我が落ち着くのを無言で待っていてくれた。

 そうして痙攣が収まった頃、ついに意を決したのか「御免」と言って我を横抱きにした。


「ッ!」

「……すまない。少しの間辛抱してくれ」


 肩を抱かれたので傷に響いたのを、隠君子はすぐに察した。

 彼はその後、我が身をほぼ揺らすことなく通路を駆け抜け、無事救い出してくれた。

 獣人と森人の娘達も彼の手勢によって既に救助されているとのことだった。

 道々でフュルフュールの仲間と思しき無数の屍が転がるのを見かけたが、そのいずれも我が風の刃を凌ぐほど鋭利にして正確な、比類なき一撃によって絶命しているのが伺えた。

 すべてが隠君子の仕業であるのなら、この若さにして大変な剣力の持ち主と言うことになる。

 まこと天才であった。

 まこと善き男であった。

 まっこと――惜しいことをした。

 どれ、怪我が癒えた暁にはやけ酒でもあおるとしよう。無論あの女の奢りでな。

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