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それからは、飛行船を動かすための最後の準備だ。巨大な歯車に見えたあれは、水車らしい。各所につけられた小型の風車を、水をくみ上げるポンプの動力に利用し、上から水を流して水車を回し、その動力を用いて空気を掻くオールを動かす。船の浮遊は、気嚢に詰められた気体状の飛翔石と、舷につけられた飛翔石で行い、旋回は普通の帆船らしく舵と舵輪を使用する。
クレーンに引っ張られていた布は気嚢だ。今はそこに気体飛翔石を入れている。中が満たされていくうちに、徐々に長球型に膨らんでいき、そして驚くべきことに、それと同時に浮かびあがっていったのだ。これには俺も脱帽せざる終えなかった。そして中身が完全に満たされる頃には、飛行船は若干浮いており、無理やりワイヤーで地上につなぎとめている状態になっていた。その間、アイリスはいつもより輝いている目で飛行船の全体を見て回っており、アヤメは、唇をキュッと結び、ただただ作業を見つめていた。
「よぉし、準備完了だ!アラン、操縦方法は分かりそうか?」
「ああ、大方帆船と同じような感じだろ?」
「そうだが、おめえさんできるのか?」
「少し経験がある」
傭兵の頃の旅の時に、密入国のために船を繰ったとは、口が裂けても言えない。
「ああしかし、上昇と下降だけは普通の船にはねえな。あそこにでっけえレバーがあるだろ?詳しい原理を説明すると話が長くなるから割愛するが、あのレバーを押せば上昇、引けば下降だ」
「わかった」
上甲板に置かれた舵輪のすぐ側にあるレバーをガリアは指さした。いったいどういう技術を用いているのだろうと、好奇心が顔を出すが、今は我慢する。
「じゃあ、アラン、アヤメ、アイリス、乗り込めや。発進するぞ」
ついにその時はきた。旅立ちの時だ。それぞれが、それぞれの思いをもって、乗船する。甲板に足を乗せた時、俺はえも言われぬような妙な感覚をあじわった。悪い気は、しなかった。
適当なところに腰を下ろすと、ガリアに気になったことを尋ねる。
「どうやってこのバカでかい飛行船をここから出すんだ?」
「おう、ちょっとまっとれ」
ガリアはそういうと、ドックの隅に設置された手回し車の取っ手に手をかけ、全身の力を込めて回し始める。ゴゴゴという地響きのような音とともに、飛行船の正面側の壁が横にスライドを始めた。
「アラン、すごい……」
「ああ、すげえな……」
「これ、はな、俺の、親父が、じじいの、手伝い、してた時に、ずっと、こっそり、作ってた、奴なんだ。おどろかせる、っつってな」
だんだんと薄暗いドックに光があふれ、最後までスライドを終えると、俺の視界を外の景色が埋め尽くした。まだ慣れていない光に目を細めながらも、遥か地平線に思いをはせる。
――また始まるんだな、旅が。
そんならしくない感傷を抱き、アランは船底のそばにいるガリアに目を向けた。
「じゃあワイヤーとるぞぉ!最初はオールで前に進んでから上昇するんだ!」
「わかった!とっていいぞ!」
「いくぞ!いちにの、さん!」
その瞬間、飛行船は自由を取り戻した。それを喜ぶかのように、水車が元気に回りだし、オールがゆっくりと動き始める。
「パパ―――――――っ!!行ってきま――――――すっ!!」
その吹っ切れたようなアヤメの声を合図に、飛行船は前進し、ついに日の下にその姿を現した。俺が舵輪横のレバーをせーの掛け声で押すと飛行船は緩やかに上昇を開始し、だんだんと地面が遠くなっていく。その間、アヤメは地上にいるガリアにずっと手を振り続けていた。
「取り舵一杯!」
こうして、一行はアルバヘムへの空の道を歩き始めた。
✟
「……ずいぶんとさびしくなるなぁ」
日の光差すドック、その中央で、ガリアは独り、そんなことをつぶやいた。
「アヤメは、笑顔だったな。これで俺の夢がかなったわけだ。嬉しいかぎりだぜ」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのようで、どこか寂しく、ガリアはそんな自分をまた寂しく思う。
「俺のことパパだってよぉ……まったく、何歳児だあいつはぁ……」
誇りを生き、誇りに生きるガリアには、決して許されざること。しかし、今ぐらいは、『愛』に生きても、許されるだろう。そんな思いを元に、しわの増えた頬が、雨垂れにその身をほだされていく。
「アヤメぇ……絶対、もどってこいよぉ……」
果たすべき本願のため、生きて生きて生き抜いた一人の漢は、決してその顔を天にさらすことなく、静かに泣き続けた。
✟
「どこまで上がるの?」
出立からしばらくたったころ、アイリスがそう尋ねてきた。アランはしばらく考え、答える。
「そうだな……人目につくとまずいからとりあえず雲の上だな。飛翔石が酸素の層作ってるから酸欠の心配もないし……てかこれどこまで行けるんだろ」
さて、いざ飛行船を発進させ、目指せアルバヘム、といったところで、問題はかなり残っている。
第一に、食料の問題。もちろん出立前にかなりの量の保存食は詰め込み、水も問題ない。だが、この空の旅は、俺たちどころか誰にとっても初の試みだ。ガリアの予測では、アルバヘムまでにかかる時間はおよそ五日ほど。この飛行船は結構速度が出ているらしく、案外かからないということは分かったが、それでも何が起こるかは未知数だ。不測の事態に遭遇した時、経験のない俺たちはなすすべもないだろう。だからこそ食料はなるべく温存しておいたほうがいい。
そして第二に、これがかなり大切なのだが、人目の問題だ。この世界には、人を乗せて空を飛ぶ物も、技術も知れ渡っていない。そんな中、巨大な、クジラのような船が、あろうことか空を泳いでいたらどうだろう。おそらく一瞬で捕捉され、追跡もしくは何らかの方法で撃墜、そしてそんな未確認飛行体に乗り込んでいた俺たち三人は尋問の末、危険人物として牢屋にぶち込まれるだろう。それぐらいピリピリしているのだ。この戦乱時のデウスヴェリアは。幸い、ガリアの工房のあったあの村は、人口密度が少なく、早朝に出発したこともあって誰の目にも留まらなかったが、これからはどうなるかわからない。なるべく隠れるような行動をしたほうがいいのは確かだろう。
「アラン!雲に触れるわよ!」
「もうそこまで来たか。そろそろ上昇緩めるぞ」
俺がレバーを半ばまで下げると、飛行船はだんだんとその上昇力を失っていく。やがて、船体が雲の中に完全に隠れ、次にその姿を現す時には――
「おお~!!」
「これは……すごいな……」
「きれい」
そこは、雲海だった。俺たちの眼下には、雲の絨毯が見渡す限りに広がり、地平線のその彼方へと足早に流れていく。そしてそんな瑞雲達をまだ上りかけで控えめな陽光が橙に色付けていった。そしてその絶景を、自分たちが最初に見たのだと思うと、得も言われぬ感慨に襲われる。
しばらくその眺めを楽しみ、時々少し高度を下げて雲で遊んだりと、年相応に、まるで子供のようにはしゃぎまわった俺たちは、昼前にはすっかり疲れ果て、甲板に寝転がった。
「ここって、お風呂あるのかな?」
「お風呂……!アラン、入りたい」
「あるわけねえだろ……あの水車のとこの水たまりで水浴びでもしとけ」
「ちぇ~」
「アラン、最低」
「俺のせいじゃねえ!」
その後、昼飯を食べ、再び力を取り戻した俺たちは、目いっぱい上天を満喫したのだった――自分は地図を使った進路調整でかなり時間を削られたが。
そして、あっという間に夜。夕餉を食し、後々の体力温存のため素早く布団に入る。この飛行船には寝床のある小さな部屋が一つだけあり、そこに所狭しに置かれたベッドを就寝に使った。すぐにアイリスとアヤメの規則正しい寝息が聞こえ始め、やがて俺もまどろみの中に思考を沈めた。
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