Let's go to see the new world
8
空を飛ぶというのは、古来から人々の心を虜にしてきたわけだが、実際にこうして空を駆けていると、どうしてもマイナスな感情を抱いてしまう。それは遥か下方にある地上を見たときに感じる恐怖だったり、手を伸ばせば届くような距離にある太陽への形容しがたい畏れだったり。とにかく、なにもかもが楽しいというわけではないのだ。
「きもちぃ―――――――!」
だからああして、一番太陽に近く、一番足場が不安定な場所に立ち、大きく伸びをしているこの女は、相当肝が据わっているか、相当バカなのかのどっちかだろう。
「あぶねえぞ!落ちても知らねえからな!」
「大丈夫よ―!私高いところ得意だから―!それともアラン怖いの―!」
「怖くねえよ!」
やっぱりバカだということにしておこう。
俺は舵輪から手を離すと、甲板へと下がり、縁へりから下を覗いた。雲に隠れて、よくは見えないが、かすかに緑――草原だろう――が顔を見せている。俺は、体を一震えさせると、空を仰いだ。今はちょうどお昼時で、太陽が一番まぶしい。俺は手をかざして陽光を防ぎながら、瑠璃色を目に焼き付けた。
時は、およそ二十三時間前に戻る。
✟
「お、お前も戻ったかぁアラン」
「ああ」
「なんか襲われたれらしいなぁ、大丈夫だったか?」
「どうにかな」
俺はあの後、アイリスとともに急いで工房へと戻った。アイリスによると、アヤメには事情を全く説明せず、先に帰ってもらったというので、帰るのが長引けば長引くほど、俺の立場が危うくなると考えたのだ。だが、実際に帰ってみると、ガリアは俺に変わらず接してくる。
――アヤメがあのことを話さなかったのか?
もしそうだとしたら、彼女は案外いいやつなのかもしれない、と思ったが、そうではないらしい。
「――アラン、おめえの過去に何があって、何をそんなに苦しんでたのかは知らねえが、それをほかの人にぶつけるのだけはやめとけよぉ。絶対に後悔することになるからな」
「……ああ、反省してる」
「……でも、もう乗り越えたみてぇだな。面構えが断然よくなってる」
「そう、なのか?」
「ああ、自信持てよぉ」
いや、むしろアヤメが話してくれてよかったのだろう。もしガリアが何も知らないでいたら、きっと今までのように気がいなく話せなかっただろうから。
俺は、今は留守らしいアヤメに心の中で感謝しながら、ガリアに尋ねる。
「で、飛翔石は持って帰ってきたけど、例の飛行船は完成しそうなのか?」
「おう、今日は徹夜で作業して明日までには終わらせるつもりだぜ、楽しみにしとけよぉ」
「ああ……なあ、ガリアはこの前、飛行船を何に使うか特に考えてないって言ったよな」
「そうだな……今のところ何も考えてないが――」
「無理だったら全然断ってくれてかまわない。その飛行船、俺らに使わせてくれないか?」
「……何のためだ?」
「実は俺達、旅をしているんだ。この町に寄ったのも、食料とかを買いあさるためだ」
「その旅に、終わりはあるのか?」
「……ああ、俺は、妹を探しているんだ。この世界のどこかにいるはずの」
「……なら、いいぜ。使わせてやるよ、その代わり、いつか必ず、妹連れてここに戻ってこい。もちろん飛行船も一緒にな」
「ありがとう――約束する」
無事目的を果たした俺は、飛行船が完成するという明日まで、アイリスと一緒に演奏できる曲を増やしながら、宿で待つことにした。アイリスは、あの時から少しだけ表情が豊かになり、アランも思わずほころんでしまうこともあった。
アイリスが、仲間を殺したことも、俺はその仇と旅をして、死んだ仲間を裏切り続けているということも、忘れていない。くっきりと記憶に刻み込んでいる。当然そのことに対する罪悪感はあるし、俺はそれをすべて受け止めていた。そのうえで、いつか墓の中に眠って、あいつらに会いに行くとき、その抱えた罪悪感を精一杯の謝罪に変えるつもりだ。――それはもちろん生きているユーリにも。
「なあ、アイリス」
「なに?」
「*あの曲*、金稼ぎに使っていいと思うか」
「……いい。役に立てれば、きっと歌も喜ぶ」
「だよな、いい曲だしな」
そんな会話を最後に、俺たちは眠りについた。
✟
翌朝、かなり早くに目覚めた俺は、気持ち与座層に眠るアイリスをおいて、一人地下に向かった。ほぼ完成しているであろう、飛行船の御姿を、この目に映すためだ。
「ガリア、終わったか?」
「――あ?おお、アランか。随分早えな」
「ああ、完成したこれを早く見たくて」
「なんだ?随分うれしいこと言ってくれるじゃねえか。ちょっと待ってろ、ここの調整が終わったら完成だからな」
飛行船の姿は、昨日とは大きく変わっていた。まず、甲板の奥のほうに、巨大な歯車のようなものが設置されており、船の縁のすぐ下に、一定間隔で薄黄色の石が埋められている。あれが飛翔石なのだろう。そして、飛行船と太い縄で連結された、大きな布のようなものが、クレーンで上に引っ張られていた。ここまで作るのには、相当苦労しただろう。俺は心の中でガリアに労いの言葉をかけた。
「アラン、おはよう」
「あら、早いのね、アラン」
「ああ、二人ともおはよう」
ドックの入り口に、アイリスと、アヤメ。二人の姿があった。彼女らも、明らかにいつもより起きるのが早いので、これを楽しみにしているのだろう。
「親方!完成しそうですか?」
「おう、ちょっと待っとれよアヤメ。あと少しだからな」
アイリスは、昨日とは偉く違った姿に驚いているのか、珍しく呆けたような顔をして飛行船を見つめていた。俺はその顔をさらに間抜け顔にさせようと、あのことを伝えに行く。
「おい、アイリス」
「――なに?アラン」
「実はな、この船なんだけどな……」
「どうしたの?」
「……完成したら、俺たちが使っていいってことになったぞ」
「……………ふぅん」
明らかに驚いている。その証拠に、いまでも若干目を見開いていた。俺は内心してやったりとほくそ笑みながら、話をつづける。
「だからな、行先を変更しようと思うんだ」
「リーベルニアじゃないの?」
「ああ、違う。――行先は、アルバヘム。そこに、いる気がするんだ」
それは、俺がアイリスに生きる意味を与えられたときに感じた、漠然とした予感。アルバヘムのどこかから、俺を呼んでいる、そんな気がした。単なる気のせいの可能性はずっと高いし、封鎖中のアルバヘムに入ることは困難だろう。しかし、この飛行船があれば、空からなら、だれも俺たちを縛ることはできない。行く先、続いていくレールを、自分たちで引くことこそが旅の醍醐味であると、まだ傭兵だったころに思ってしまってから、俺の妹を探し出すという目的の隅っこに巡歴を楽しむという思考が紛れ込んでいたのかもしれない。そして、アルバヘムに行くというのは、その俺の目的の両方を達成できる最高の手。そして何より――
『いつかどこかで会えたら、一緒に『海』をみにいこうね、お兄ちゃん』
リリアの手紙の最後には、そう書かれていた。それが、その手紙の中でのリリアの唯一の願いだった。『海』というのは、十年に一度しか水がたまらない幻の湖だ。アルバヘムのどこかにあるとされるそれは、旅人の心をつかんで離さない。
――いつか会えるリリアのためにも……アイリスのためにも、そいつを見つけとかないとな。
妹の夢を叶えるのが、兄の役目であり、本望だ。そのためならなんだってする。そしてそれは、命の――いや、心の恩人であるアイリスにも同じこと。俺は決意を強くし、ぎゅっと拳を握り占めた。
「よぉし!できたぞぉお!」
そして、しばらくたって、そんな声が船内から響いてきた。俺たちは即座に反応し、船から降りてくるガリアの元に向かう。
「親方!やりましたね!」
「おう。だがな、こいつはちゃんと空に浮かんで、空を駆けて、初めて本当の意味で完成するんだ――アラン、乗れや。初飛行はお前に譲ってやらぁ」
「いいのか?お前の本願だって――」
「俺はもぅ、老い先短えじじいだ。そんなおいぼれに乗られるよりゃぁ、ちゃんと目的もって未来に歩いていこうとしてる若者に繰くられたほうが、こいつも喜ぶだろうよぉ」
「――わかった。ありがとう」
それはいずれ訪れる死を受け入れた、俺のような若輩には決してできない達観した目。自ら死を望んで、生きることをあきらめていた自分が、いまさらながら恥ずかしい。そしてガリアには尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
「それからなぁ――アヤメ」
「……なんでしょう、親方」
視線をアヤメに移したガリアの、やけに真剣なトーンに、場が静まり返る。次に紡がれた言葉は、衝撃を誘った。
「お前、こいつらの旅についていけ」
「っ!?」
――アヤメが、俺たちの旅についてくる?つまりガリアは――。
「ど、どうしてですか親方!私はこれからも親方のそばで……」
「さっきもいったろぉ、俺ぁもうすぐ死ぬ」
「だから――」
「だから、そんなだんだん弱っていく俺を見てるより、お前にはもっと外の世界を知ってほしい」
どうして、この人は、こんなに強いのだろうか。死を受け入れているどころか、その死が孤独であることすら許しているというのだ。愛した娘のために。それは大きな選択だ――いや、ガリアにとっては、元から選択肢は一つしかないかったのだろう。一見自己犠牲精神に思えるそれは、確かに根底が違っている。この人は、誇りで生きている。誇りだけで生きてきた。だから強い、どこまでも太い。――俺には、一生たどり着けない領域だ。
「嫌です!親方から離れるのなんて嫌です!私は、私を助けてくれた親方の元で骨を埋めるって決めたんです!」
「……外を恐れるなぁアヤメ。お前は昔っからそうだ。あの路地裏でうずくまってめそめそ泣いてた時から、平気なふりして、ほんとは外に出ることを怖がってた。だから俺もなるべく人と関わりを持たせないようにしちまったんだよぉ」
「ならそのままでいい!親方以外に信頼できる人なんていない!」
「けど、それはだめだ。お前はまだ十六なんだぜ?まだまだ先がある。その大切な時間を、俺の慰めの為に使われちゃあ、親父に、じじいに顔向けできねえやぃ」
「なんで……なんでそんなこと……」
「子っつうのは、いつかは独り立ちせにゃならん。そんでその門出を、背中を叩いて見送るのが親の本望ってもんだ。……アヤメ、俺に夢をかなえさせてくれや。お前が笑顔で旅立つところを見れたら、俺にもう心残りはねえ」
「……私……私は……」
「行ってこい、アヤメ。いつまでも、愛してるからよ」
もう、感極まって、涙すら出なかった。俺も、こんな人生を歩みたい。こんな死に方をしたい。それを、あいつらは許してくれるだろうか。
「……絶対、戻ってきます」
アヤメは、涙の痕の残るその顔で、そう口にした。
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