5
時すでに遅く、少女の怒声がアランの鼓膜を激しく震わせた。そのあまりの声量に耳鳴りが引き起こされながらも、どうにか弁明、もとい論争を始める。
「……いや今のは十中八九お前の責任だろ」
「はぁ!?あんたが避けないのが悪いんでしょ!」
「お前頭大丈夫か?どうやったらこんな人ごみの中全速力でかけてくる猪みたいな女を避けられるんだよ」
「男ならできるでしょ!ていうか猪って何よ!」
「よし、ならアイリス、今のはどっちが悪い?もちろんこの女だよな?」
「アラン。避けられたはず」
「ほら!この子も言ってるじゃない!」
「もともとあてにしてなかったよちくしょうっ……!」
ちなみにこんなやりとりを、衆人環視の真っ只中で繰り広げているわけなので、当然注目をかき集めるのは必然であり、それはアランの本意ではないが、天真爛漫少女は、そんなことも構わず捲し立てる。
「どうやって責任取るつもりよっ!」
「いや、取る責任に身の覚えがない」
「アラン、潔く腹を括るべき」
「お前は黙っとけ……」
面倒なことに巻き込まれてしまったと、ため息ひとつのアラン。まだ名前もわからないような少女に捲し立てられるのを他人事のようにやり過ごす。早く終わってくれ、と切に願いながら。
しかし、アランのそんな願いは、辛くも破り捨てられることとなる。
「こうなったら一緒に工房まで来てもらうわよ!精々親方にどやされることね!」
「は?」
少女はそういうや否やアランの腕を乱暴に掴み、どこかに連れて行こうとする。しかし、アランはこれでも戦場帰り、こんな華奢な少女に無理くり引っ張られるほど衰えてはいなかった。
「っ〜〜〜〜〜!!」
「……おまえ、力弱いな」
「う、うるさいわね!いいからついてきなさいよ!」
「アラン、行く」
「……さっきからなんなんだよアイリスってうぉっ!?」
少女の腕の血管が浮き出てくるほど強く引っ張られているはずなのに、ピクリとも動かない自分に少し驚いていると、さっきからアランの意に反する行動ばかりするアイリスの怪力によって、なすすべもなく連れていかれる。
――こんなに力有り余ってるならとっとと俺のこと殺せばいいのに……なんなんだよこいつは……。
思えば、最初からあまりアイリスの心は読めなかったと、今になってわかった。
そして、少女の案内のまま、アイリスに引っ張られ、連れてこられたのはなんと街の外の離れたところにある小さな村。そこに小さな工房があった。先ほど取り落とした木箱を抱えた少女は我が物顔で工房の中に入っていく。
「なんだよここ」
「親方の超々偉大な工房よ。敬いなさい」
「親方って誰だよ……」
疑問は尽きないが、基本的に話を聞かない少女に、半ば諦観を抱きながらついていくと、そこには下り階段があった。ここは地上一階のため、この階段はおそらく地下へと続くものだろう。少女は躊躇いもせず、その階段を降りていく。アランは多少警戒を強めながらついていった。
「なんだ、これ」
地下には巨大な空間が広がっている。そしてその中心にはーー。
「船……?」
巨大な船のようなものが、鎮座していた。船、と断言できないのは、側面や底に、普通のものの数倍はあるプロペラが付けられているからだ。
「帰ったかァアヤメ」
「はい!ただいま帰りました親方!」
「じゃあ早速アレをくれや、今必要なんだよ」
「あ、いや、それがですね……」
未だ姿は見えないが、何処かから聞こえてくるしわがれた声、これがおそらく親方なんだろうと、アランは思った。そしてそんなアランに対し、アヤメと呼ばれた少女は般若のような顔つきで睨みつける。それに対し、身に覚えのないアランは知らぬ存ぜぬと言った感じで、顔を逸らした。
「アランが壊しました」
「おい!」
しかし、アイリスは容赦なく言い付ける。アランもついそれを認めるような声を出してしまったので、もう否定はできない。
「壊しただとぅぉ!?舐めた真似しやがって!俺が根性叩き直しちゃるわい!ちょっとまっとれや!」
ちなみに親方は先ほどから一切姿は見えていない。船の方から声が聞こえるので、おそらく中にいるのだろう。
「ナイスねあんた!」
「お前、俺になんか恨みでもあんのかよ……」
やがて、船の中から何かが這い上がってくるのが見えた。アランは今ならまだ逃げれるかもと考えたが、後ろにアイリスがいる時点で絶望的だろう。仕方なく親方とやらを待つ。
「おう、テメェが大事な飛翔石ぶっ壊してくれたっちゅー野郎か?」
そんなことを言いながら、ドスドスと音のなりそうな歩き方でこちらに向かってきたのは、随分と恰幅の良い、でもアランより低い、小柄な老人だった。アランは巨漢をイメージしていたため、つい拍子抜けしてしまう。
「……こいつが全速力でぶつかってきたんだよ、俺は一寸たりとも悪くねえ」
「なにぃ!?ほんとうかぁアヤメ!」
「こ、こいつがボーッと突っ立ってたのが悪いんです!」
「突っ立ってねえよ……てか人ごみの中で両手塞がってる中全速力で走ってたらそりゃ誰かにぶつかるわ」
「アぁヤぁメぇ……!?」
「え、いや、ちが」
「この大馬鹿ものがぁ!!」
ゴスン、冗談抜きでそんな音が鳴り、次の瞬間にはアヤメが頭を抱えながら地面を転がっていた。アランは呆れたような視線でそれを見つめる。
「っ〜〜〜〜〜〜〜!!」
「お前、馬鹿だろ」
「……アラン、最低」
「だからなんでお前は俺に敵対すんだよ!?」
とはいえ、親方とやらが話のわかるので助かった。おかげで特に波風も立たずにすみそうだ。アランはホッと息を吐いた後、親方に話しかける。
「じゃあ一件落着ってことで俺はこれで」
「おう……って言いたいところなんだがな、ちょっと待ってくれや」
そそくさとその場をさろうとしたアランだったが、途中で親方に呼び止められる。
「なんだよ」
また猛烈に嫌な予感がしたアランは、早くこの場をさりたいという意思を込めて、地上へと続く階段の1段目に足をかけた。しかし、そんな抵抗は虚しく、話は続く。
「実はな、この馬鹿がぶっ壊しやがった飛翔石っっー石が取れるところなんだけどよ……実は戦線区域の中なんだ。でも俺は今はどうしても手が抜けねぇ」
「……それで?」
「筋肉のつき方でわかる、おめえさん相当戦い慣れしてるだろ?だからアヤメが飛翔石とってる間の護衛を任されて欲しい訳だ。どうだ?」
「――すまんけど、こっちも急いでるんだ。また今度の機会にな」
悪い予感は見事に当たり、まだまだ面倒事を続けろと頼まれる。もちろんそんなことはなからごめんなアランは当然断る訳だが、アランには先ほどからもう一つ嫌な予感がしていた。
「アラン、やろう」
そう、この意味不明な少女である。アヤメとエンカウトした時からずっと、まるで旅を長引かせたいかのような選択をする。そしてアランがそれに従わない時は無理くり連れて行く。何を考えてそんなことをしているのかは全くもってわからないが、とても厄介だ。
「お前アルバヘムに行きたいんじゃなかったのかよ、このまま戦争が苛烈になっていったら本当にいけなくなっちまうかもしれないんだぞ」
「大丈夫、戦争はこのまま」
それを口にしたアイリスの声音は、どこか確信じみていた。アランはますます疑念を強めながら、大きくため息をつく。
「嫌だ、って言ってもどうせ無理矢理やらせるんだろ?……はぁ……」
そう、一番の時間を無駄にしない方法は、おそらく、なるべくアイリスの言うことに従うということだろう。ただそれはアランからしてみればどうしても鼻持ちならないというか、納得いかないというか。とはいえ、こうやって私情で葛藤していたらそれこそ時間の無駄だ。
「おい、えーっと」
「俺はガリアっつう名前だ。で、どうだ?やっぱりやってくれる気になったか?」
「ガリアな。俺はアランだ――ああ、仕方なくやってやるよ」
「そうか!それは助かる!」
人好きのよさそうな顔で笑うガリアを後目に、再びため息をつく。これからもこのようなことが続くのではないかと考えると、憂鬱で仕方なかった。そしてその感情の原因であるアイリスに目を向けると、どこかうれしそうな顔をしていた。そして、それを見少し喜んでしまっている自分もいた。
「じゃあ今からでも言ってきてくれや。飛翔石さえあれば完成するんだ。この、*飛行船*がな」
「飛行船?」
聞き覚えのない単語だった。飛行船は飛行と、おそらく船でできているのだろう。飛翔石という名前も鑑みると、空飛ぶ船といったところだろうか。そんなものが本当にできるのかは実に懐疑的だったが、ガリアの飛行船を見つめる眼差しに宿った確かな決意を見れば、それがただの冗談で済まされるものではないということは、分かった。
「ああ、飛行船、空を自由に駆ける船だ。これは俺のじいさんの代から作られてきたものでな、じいさん、親父、俺と三代にわたってひたすら建設してきたんだよ。そしてそれがようやく完成しそうってわけだ。――百年近くの本願だ。何としても作り上げたい。作り上げるまで、死ぬつもりはねえんだ」
「……作って、どうするつもりだ?まさか戦争に使うとか――」
「まさかだぜ。ただ、そうだな……作ってから何かに使うとかァそういうことは一切考えたことはねぇ。――俺の目標はただ一つ、完成させることだけだよぉ」
アランは、十代らしく、その生き方がとても格好よく見えたし、尊敬できた。アランもリリアを見つけるという目標をずっと持ってきたし、それを達成するためには命も惜しまない――しんだら元も子もないので、これはあくまでそれほどということだが――決意で臨んできた。その点に関しては、ガリアと似ているといっていいだろう。だが、何かが違う。決定的な差がある。そしてその差が分かれば、アランはこのリリアに対する依存から抜けられるのだろうと、漠然とした予感があった。
「あいつは?ガリアのなんなんだ?」
「アヤメか?あいつはな、ほんのきまぐれで拾った孤児だ。その時はあいつはまだ五歳くらいでな。薄暗い路地裏で全身傷だらけのまますすり泣いてたのを俺がたまたま見つけたってだけだよぉ。今はこうやって俺の仕事の手伝いをして、明るい性格してるがなぁ、ひどいときはほんとにひどかったんだぜ?まったく、昔の俺は何を考えて拾ったんだか」
そう口にするガリアの顔は、言葉とは裏腹に、何か愛しいものを見るかのような、そんな表情を浮かべていた。少し、うらやましかった。
「――じゃあ俺はとっととその飛翔石とやらをとってくるよ」
「ああ、頼んだぜ。――ただ、アヤメに何かあったら、許さねえぞ」
すごむガリアに、アランは飄々と、でも少し恐れを含めて肩をすくめ、アイリスをつれ、アヤメに声をかけて採掘場に向かった。
町からでて、東にずっと進んだ先にそれはある。おそらく、リーベルニアの東部戦域――メルボラスに対する戦域だ――のどこかにあるのだろう。アランは先を進むアヤメの背中を見つめながら、メルボラス、自分の故郷であり、戦場である国に思いをはせた。とはいっても、メルボラス国内でくらした記憶なんてものは存在しないし、戦場ではいい思い出なんて一つもない。特攻隊が壊滅したのもつい最近のことなので、懐かしさなんてものもない。あるのはそう、一抹の悲しさだろう。
一際大きい森を抜けた先にそれはある。洞窟の狭い入口を潜り抜け、しばらく進むと、大きな空間に出た。そこには、淡く発行する薄黄色の鉱石、飛翔石が至る所から生えていた。洞窟の薄暗さも相まって、まるで星空のように美しく、アランは思わず足を止める。
「アヤメ、どれくらいとればいいんだ?」
「そうね、この木箱がいっぱいになるくらいかしら」
「結構多いな」
アヤメは、アランが衝突した時に持っていた木箱と同じものをもってきていた。おそらくあの時も頑張って掘って、少しでも早くガリアに渡そうとしていたのを、責任はアヤメにあるとしても、壊してしまったのだと思うと、罪悪感がわいてこないでもなかったが、気のせいだと振り払い、採掘を始める彼女の近くに歩みよった。
「このぶつかったとき割れたとか言ってたけど、そんなにもろいのか?その石」
「ええ、そうよ。ガラスと同じくらい割れやすいわ」
「お前そんなもの持ってるのに走ってたのかよ……」
「う、うるさいわね!今はそんなことはどうでもいいでしょ!」
やっぱり罪悪感なんてこれっぽっちもわかなかった。
「よいしょっ!よいしょっ!」
すぐに、心地よい、カン、カンという音が鳴り響く。飛翔石自体を直接たたくと、粉々に砕け散ってしまうので、周りの石をけずって掘り出すつもりらしい。アランはそれを胡坐をアイリスの横で、胡坐をかきながら見ていた。
「――これ護衛なんていらないだろ……あんな狭い洞窟の入り口なんて誰も気づくわけないし、気づいたとしても入ろうなんて思わない……」
「だめ、ここは危険。とても嫌な感じがする」
「……そうかよ」
アイリスは時々、そんな予感を口にする。往々にしてそれは当たってきたが、嫌な感じというのは初めてだ。とはいえある程度信じられることは確かなので、少し警戒を強める。
この空間への入り口は一つだ。そこさえ見張っていれば問題ないだろう。そう思い、アランは常に入口の空洞の先を見通せるような位置に座った。ぴちょん、ぴちょん、としずくの垂れる音が時折聞こえ、洞窟自体の入り口から漏れる光が、穴内を淡く照らしている。あいかわらず後ろからは子気味のいい、金属と金属がぶつかるような音が聞こえてきており、その周期的なリズムに柄にもなくうとうととし始めるたびにアランは自らをたたいて頭を覚醒させていた。そしてようやく――。
「終わったぁー!!」
そんな元気な声とともに、つるはしと、アヤメが地面に放り出される音がアランの鼓膜を震わせた。結局最後まで何も起こることはなく、アランは少しホッとしながらも、アイリスの予感も必ずしも当たるわけではないということを知った。
「お疲れさん」
「疲れたわよぉ、お水頂戴!」
「へいへい」
地に大の字に倒れているアヤメに水の入った革袋を放り投げ、アランも自分の分の水を勢いよく飲んだ。さすがにずっと気を張っているのは疲れたのだ。
「今度は落とすなよ、てか走るなよ」
「わかってるわよ……あの時悪かったのは避けなかったあんただけどね!」
「……そういうことでいいよ、もう」
アランは本日何度目かもわからないため息をついた。せっかく戦場から解放されて晴れて自由の身になったのにもかかわらず、どうしてこんなに日々疲れ、ストレスをためているのだろうか。――原因はおそらくあの少女にある。
アランはその当の少女を採掘が終わったことを知らせるために呼ぼうとしたが、どこを向いてもアイリスの姿は見えない。アランが位置を変えようと足を進めると、そこでようやく誰かに服の袖をつかまれていることに気づいた。そしてそれは、不安そうにこちらを見つめる、アイリスだった。
「どうしたんだよ、もう採り終わったから行くぞ」
「……怖い、何か来る」
「は?なに言って」
とす、腹に何かが当たった。アランは首を下に傾けた。そこには、*銀色の何か*が――。
「っ――――――!!」
次の瞬間、アランは驚異的な速度で後ろにとんだ。そして、自分が元居た位置の近くには、何者かに腹を刺されているアイリスの姿があった。先ほど見えた銀色は、アイリスを貫通して、その身をのぞかせた剣身だと、それを理解するのにはさほど時間を必要としなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます