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「――ラン、アラン、起きて」

「ん……ん?」


 誰かに体を揺さぶられていた。寝起きの未覚醒な頭がぐらぐらと揺れ、無理やり覚醒を促す。


「なんだよ、今何時だと思って……は」


 そう言って、アランが窓の方を見ると、カーテンでも遮られないほどの強い光が部屋に差しこんでいた。太陽はほぼ真上にあり、白い天蓋に姿を隠されるなどなくその身を悠々と現している。正午ごろだろう。


「嘘だろ……」


 どうやら、かなり寝過ごしたらしい。ということが分かった。アランは今の今まで、こんな時間まで寝ていたことはなかったので、その分動揺や戸惑いも多かった。


「いい夢でも見てたの?」


 夢、確かに夢を見ていた。でも頭の中の夢想は、ぼんやりとしていて、うまく思い出せない。でも、それは楽しくて、でも悲しかったことは覚えていた。背反した二つの心情に揺さぶられるのは、今回だけではなかったが、随分と久しぶりな気がする。


 ――何をやってるんだ俺は……


 深くため息をついた。

 昨日は結局、宿を見つけるだけですっかり日が暮れてしまった。何せアランはボロボロのシャツと軍のズボン、アイリスも同じくボロボロのワンピース、不審がられるのも無理ないだろう。だが、幸にして金だけはあったので、この少し割高だが大抵のことは見逃してくれる宿はアランたちに最適だった。


「ここって飯とかでんのか……?」


 ろくに整備もしてないのか廊下を歩くだけでキシキシと音の出るこの宿は、そんなありふれたサービスさえ心配になる程だった。とはいえ、文句は言えない。出なかったら出なかったで宿を出て買いに行けばいいのだ。


「アラン、お腹すいた」

「ああ、流石にな」


 アランは、結局昨日の朝から何も食べていない。流石に空腹感が顔を出し、時折存在を訴えるように腹の中でうめくようになった。


「ここは飯は出るのか?」

「出ねえよ、自分で買ってこい」


 そして案の定、随分と適当な接客の宿の主人からは、そんな言葉をもらった。アランたちは仕方なく市井に足を運ぶ。

 街の広場近くの露店は、昼頃というのもあり、かなりの賑わいを見せていた。アランはアイリスの手を引きながら熱心に値切り交渉をする奥さんたちの間を通り抜ける。そして比較的空いている串焼き屋の前で足を止めた。


「高いな……」

 

おそらく安物の肉だろうということが見ただけでわかってしまうほどのものだったが、それでも明らかに値段が高い。節約していかなければならないアランにとっては、痛い出費だ。


「なんだァガキ?さっきからうちの串焼きジロジロみやがって、冷やかしなら帰れェ」

「いや、高くないか?これ」

「仕方ねェだろ、今は戦争で物価が急上昇してんだよォ。このケッチィ肉もめちゃくちゃ高かったんだぜェ?加工前でもよォ」

「そうか……2本くれ」


 ここは技術大国のリーベルニアの領地、食糧などの大半を輸入に頼っているこの国は、戦争が始まった途端、国力が一気に落ちてしまった。今は自国の最新兵器をひたすら敵であるはずの他国に売り飛ばしてどうにか保っているらしい。だから物価が上がってしまうのは必然だ。


「あァ?てめえみたいな見窄らしいガキに金が出せんのかよ?」

「ああ、ほら、お代だよ」

「チッ、ったく、最近のガキは金持ちだなァ、毎度アリィ」


 店主からすっかり冷めた串焼きを2本受け取る。片方をアイリスに渡し、もう片方にかぶりついた。


 ……固い。


 戦場で非常食として食べていた、干し肉によく似ていた。

 そして、まだまだ育ち盛りのアランたちがこんな串焼き一本で足りるわけもなく、結局他の店も回って食料を買いこむ。終わった頃には、だいぶ財布が軽くなってしまったが、保存性の高いものを買ったのでこれでしばらくは持つはずだ。 

 とはいえ、そろそろ路銀を稼ぐあても見つけなければならない。旅を続けるには何と言っても金が必要だ。


「アラン、これまずい」


 固いパンのようなものを齧っていたアイリスがそんな不平をこぼす。もちろんそれはこっちも一緒なので、容赦なく切り捨てた。


「うるせえ、黙って食べろ。もっとうまいもん食いたかったら自分で稼いで買うんだな」

「わかった。どうやったら稼げる?」

「それがわかったら苦労しねえんだよ……」


 そう、なにか、身分がはっきりしない者でもできて、いっぺんに大金を稼げるような仕事は……。


「♪〜」


 アイリスはそんなアランの苦悩を知る由もなく、呑気に鼻歌なんかを歌っている。いっぺん懲らしめてやろうかと拳を握り締めた時、ふととあるアイデアが頭に去来した。


「なあ、アイリス、お前の知ってる歌ってそれだけか?」

「ううん、いっぱい知ってる?」

「そうなのか?」

「うん、有名どころなら基本的に。いつの間にか頭に入ってた」

「ならーー」


 吟遊詩人まがいのことをしようと、そうひらめいたのだった。さっきのことでーーなるべく思い出したくはないがーーアイリスが歌が上手いことがわかった。なのでアランがオカリナで伴奏を担当し、アイリスが歌うというのを、人通りの多い広場で披露すれば、相当儲かるのではないか、と思ったのである。

 とはいえ、アイリスはまだしも、アランは一から曲を練習しなければならない。流石に伴奏なしで歌うとなると相当の力量が必要になってきてしまう。アランはそこまでアイリスに期待していないので、アイリスの歌を繰り返し聴きながら少しずつ練習した。


「♪〜」


 こうして改めて聞いてみると、本当に綺麗な歌声だ。耳に残るという感じではなく、かなり抽象的になってしまうが、こう、心に残る感じの声なのだ。心の奥底で残響を響かせながら、徐々に薄れていく、そこになんというか……ノスタルジック、ではない。ひとときの切なさを感じるのは、きっとアランだけではないはずだ。

 そして当然、そこにアランの川のせせらぎのような、はたまた小鳥の囀りのような、そんな音色を響かせるオカリナが加われば、美しさは乗算で跳ね上がっていくわけであって、初めてうまく合わせられた時は思わず鳥肌が立つほどのものだった。

 そして、結局ほぼ徹夜で次の日。


「……やってみるか?人前で」

「うん」


 こうして、アランたちの小さな初公演が決定する。場所は一番の賑わいを見せる中央広場、時間は昼前、昼飯の材料の買い出しに来る人たちをターゲットにしたものだ。宿のマスターから薄汚れた木箱を譲ってもらい、そこに露店街で買った赤い布をかぶせて、ステージは完成。アイリスはその上に立ち、アランはそのすぐそばに腰掛けるような形で演奏する。


「流石に、緊張するな」

「そうなの?」


 戦場では、冷静沈着をモットーの一つにしていたため、常に気張ることなくいられた。しかしここは平和な市井、しかも誰もが銃剣を片手にギラギラと獲物を見定めているわけではない。今までとは全く違う環境に慣れないのも無理もない話だった。とはいえこれからの路銀のため、手を抜くわけにはいかない。アランは息を大きく吐いて、合図もせず、でも完璧なタイミングで演奏を始めた。


「♪〜」

「♪〜」


 話し声を、足音を、風の音を、まだ登りきっていない太陽の下、とある一つの雑踏を、二つの色が上塗りする。夜空を明るく彩る花火よりは控えめで、でも同じく夜空に瞬く星々よりは輝いて、確かにそこに、音が広がった。


「すっ……げぇ……」

「きれい……」


 きっとそれは、プロの演奏には程遠い。でも、それでも特別な何かがあって、その非日常に人々は釣られゆく。音色の作り出す万華鏡に囚われ、歌声の煌びやかな光が取り囲み、もはや抜け出すことなど、不可能だった。そしてそれはアランにも。


「流石だな、アラン」


 だから、そう呟いて、そっと人ごみを抜ける男にはついぞ気がつくことはなかった。




「おいおいマジかよ……」


 演奏が終わってしばらくは、いつの間にか果てが見えぬほどに増えていた聴衆はみじろぎひとつしていなかった。アランは演奏が失敗に終わったのかと、心配になったが、その直後、大きな拍手と歓声と共におひねりが雨のように降ってきた。少し大きすぎたかと心配していたおひねり用の小さな木箱は、金銀銅あらゆる硬貨に埋め尽くされて、宝箱のように鎮座している。とても持ち上げられそうになかった。


「ここまでうまくいくとは……」


 一ヶ月くらい旅をしても全く問題ないだろうと、それくらいの金額が、たった一度の演奏で稼げた。アンコールの嵐が降り注ぐ広場をやっとのことで抜け出し、宿まで戻ってきてのはいいが、衝撃はまだ抜けなかった。もちろんこの金のことも含まれるが、実際の演奏のところまで、予想以上だったのだ。


「すごいの?」

「ああ、めちゃすごい」

「わたしのおかげ」

「……ああ、そうだな」


 アイリスはいつも変えない表情を少し誇らしさに染めた。それをみるとつい意地悪を言いたくなったが今日はやめておいた。


 ――さて、ここでまた選択が出てくるわけだ。


 このまま町に残ってある程度稼げてから街を出るか、今持っている路銀で、次の街に行くか。その二択で、アランは迷っていた。安定策をとるなら前者だ。でもいつアランがまだ生きていることがバレるかわからない。それを考えるとなるべく一箇所にとどまるのは控えたほうがいい。


「なあ、金集まったけどすぐ次の街行きたいか?」

「うん」

「即答か……なんか理由でもあんのか?」

「わたしはアルバヘムに行かないといけないから」

「なんだよそれ、初耳だぞ?」

「聞かれなかったから」


 ここで、この世界デウスヴェリアの地理を説明しておく。

 この世界は、主に四つの大陸に分かれており、それぞれ、原始の大陸:アルバヘム、創世の大陸:リーベルニア、繁栄の大陸:メルボラス、守界の大陸:ディアムラン。位置関係としては、原始の大陸が中心にあり、その上には創世の大陸リーベルニア。右斜め下に繁栄の大陸メルボラス。左斜め下に守界の大陸ディアムランがあって、三つの大陸がアルバヘムを囲むような感じだ。それぞれの大陸は涙湖るいこと呼ばれる巨大な水たまりで分かたれていて、涙湖の果てには神々の住まう神界があると考えられていたりする。

 歴史としては、世界はデウスという神が作り出したということになっていて、まず最初に原始の大陸アルバヘムが作られ、デウスはそこで三つの神を作った。それが創世神リーベルニア、繁栄神メルボラス、守界神ディアムランだという。創世神は人間が暮らせるように世界を作り、繁栄神はその世界を繁栄させ、守界神はその世界を守った。原始の大陸以外の大陸一つ一つに国ができ、原始の大陸には共栄の国が作られた。

 概要は大体こんな感じだが、宗教的な歴史はかなり奥が深い。それこそ一日中話してもキリがないくらいだ。それだけ何かに縋りたいのだろう。


「なんでアルバヘムに行くんだ?今あそこは盟約で戦争禁止だから実質封鎖されてるぞ」

「わからない。でも行かなきゃいけない」

「そうかよ、じゃあ俺の旅についてきてもいいのか?」

「別に急いでない」

「さっきと言ってること矛盾してるぞ……」


 とはいえ、まだこのまま旅を続けられるようで、ホッと息を吐く。そしてホッとしている自分に少し驚きながらも、すぐに荷造りを始めた。

 荷造り、といっても、アランたちには全くといっていいほど持ち物がなく、精々アランのバックパックを半分満たすほどだった。旅慣れしている人は荷物が少ないとは聞いたことがあるが、アランはまだしも今まで何をしてきたのか一切不明なアイリスが果たしてこれだけで生きていけるのだろうかと、心配になる。でもこの少女ならどうにかやりそうだという変な自信も少しあった。


「行くぞ」

「うん」


 一行の旅は続く。


   ✟


 ところで、場面は切り替わり、とある下町の路地裏。そこに一人の少年がいた。服装は、どこかの国の*軍服*。肩に銃剣を担ぎ、全体的に薄汚れている。よくみると体には細かい傷が無数にあり、ズボンには必死に走ってきたのが容易にわかる、飛び散った泥や砂が張り付いている。


「クソがッ!」


 少年は、先ほどから定期的に、そう呟いていた。剣呑とした雰囲気は隠しようもなく、態度に如実に現れている。


「クソのクソ濡れのクソ溜まりのクソったれが」


 思いつく限りの悪態をつき、やり場のない怒りを煤けた地面にぶつける。それでも怒りは収まらない。


「絶対に、絶対に殺してやる」


 その目に宿るは殺意の狂気、その身に宿すは確かな決意。

 それは、一人の少年の復讐の物語。

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