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忘れてしまったのではない、忘れたのだ。それは、きっと自らの意志で
■■■旅記
人生は常に選択の連続である、などと偉そうに言えるほどアランは長く生きていないが、それでも大きな選択をしたあとは決まってあっちを選んでおけばよかったと後悔するものだということは知っていた。そして今現在進行形でそれを味わっている身にとってはより強い教訓として心に根差すわけであって。
「お前……女のくせに重いな……」
「それは失礼。平均体重」
「うそだろ……」
出発するぞ、と声をかけた三秒後、アイリスはまたもや崩れ落ちた。どうやらかなりお腹がすいているらしい。もちろんほかの誰でもなくアイリスのおかげで食料はキャンプに残っておらず、町に着くまで我慢するように言うと、なら負ぶってくれと言われ、そして今に至る。
「だいたいお前が自分で食料消し飛ばしたんだからその責任は自分で負えよ……」
「無理」
「あーこのまま投げ飛ばしてー」
とは言いつつもそれを実行に移すことができない。それくらいアランはリリアに依存していたのだ。情けない話だが、仕方ないといえば仕方ない。アランには家族の記憶といえばリリアしかいない――それも写真と手紙だけで実際に会ったこともないが――。両親なんて記憶の隅にだってとどめられていない。いたのかすら……いやそれはいると信じているが、とにかく自分の存在を定義してくれるのはリリアしかいなかったということだけは確かだった。
「アラン、これは何?」
「あ?っておい!勝手に荷物あさるんじゃ」
「楽器?」
「な、お…………そうだよ、オカリナだ」
なにを言ってもこの少女の耳は自分に都合のいいことしか拾わないということがわかってきたので、潔くあきらめる。本当に、なぜ連れてきてしまったのだろう。後悔しかない。
「どうやって使うの?」
「おしえねえよ。いいからおとなしくしとけ」
オカリナを吹くことは、記憶を失ったはずのアランが唯一感覚として覚えていたものだ。記憶を失う以前に体が勝手に動くほどやりこんでいたのかもしれない。軍に入ってからもたまに吹いていたがあまり好きになれず、結局リリアの写真の近くにお供え物かのように放置されてずっとほこりをかぶっていたのを、さっき見つけてきた。ちなみにもちろん写真と手紙も回収して、服の内ポケットにしまってあるわけだが……そういえばオカリナは普通に荷物に入れたのか……。
「じゃあアランが吹いて」
「お前を負ぶってるから無理だ」
「じゃあ降りる」
すたっと、アランの背中から軽快に降り立ったアイリスは、オカリナをアランに差し出す。
「じゃあ吹いて」
「……いつから歩けた、てか空腹じゃなかったのか?」
「結構前から大丈夫そうだった。おなかがすいてるのは本当」
「……じゃあな、お前とはここでお別れだ」
「反省してる、だから吹いて」
「もう勘弁しろ……」
もはやだんだん殺戮兵器のイメージが薄れつつあるアイリスは、アランに薄汚れたオカリナを持たせては、ほとんど変わり映えのしない顔を少しだけ期待に染めていた。
――これで満足するなら……。
アランは仕方ないという風にそれを口にくわえ、息を吹きかけた。
「♪~」
流れるような音色がアランとアイリスを取り巻き、漂う。曲は一つしか知らない。逆に言えばその一つは完璧に吹くことができた。名前も知らないし、誰が作ったのか、そもそも自分が作ったのか。そんなこともわからないままただただ独りでに動く指に身を任せる。
「♪~「♪~」」
それがあまりにも自然すぎて、いつの間にか加わっていたもう一つの音に少しの間気づかなかった。そしてそれがアイリスの声だと気づいたとき、心は驚きを如実に表そうとしているのに、まるで根本を分かたれているかのように体がいうことを聞かない。しかし、やがてそれに引っ張られるように一つに――。
「――ぁ」
曲は、終わっていた。この瞬き間のような時間で。
「お前……なんで……」
「――わからない。全部、知らないはずなのに」
頭が、ずきりと痛んだ。だからアランはそれ以上の思考をやめた。まるでこの時間自体がなかったかのように、二人は歩き始めた。
「私は、アイリス」
アイリスは、そう言った。それはアランに向けてのものなのか、それとも――。
✟
そこから、休憩も取らずにほぼ無言で歩き続け、やがて目的地の街につく。そこはアランにとってはもう敵国の領土で、だからこそ警戒も必要なはずなのに、そんなことは全く頭になく。上の空といった感じで大きな門の前で止まった。
「……」
「……」
そこで初めて、今まで足を動かすことでなくしていた空白の時間が訪れる。やけに沈黙が気になって、どこか居づらくなって。
「おい」
「アラン」
それが故のその発声は、後出しの手に防がれた。声の主は、目の前の少女だ。
「アラン、私はアイリス」
「あ、あぁ。知ってる」
「ほかの誰でもない。ただのアイリス」
「わかってるよ……」
「そしてあなたはアラン」
「……」
アラン、その名前を聞いたとき、一瞬誰のことかわからなかった。頭の一部にもやがかかったような、そんな心地が引き起こしているのかも知れない。でも、そうだ。
「俺は、アランだ」
「うん」
そこでようやくアランはアランを認識する。徐々に思考が自分の元へと帰ってきて、正常に働き始めた。
――さっきまでのは、本当に俺だったのか……?
アランには、自分の中にもう一つの自分が巣くっているような気がしてならなかったが、それを振り払い、現状に目を向ける。
先ほどから二人して門の前で突っ立っているので、門兵からはすっかり不審がるような目で見られており、このままいけばひと悶着あるのは確かだった。
――そもそも俺、顔上がってるからな……
特攻の時は、並々ならぬ戦績を上げていたことは自覚しているので、当然敵国には顔が割れているわけであって、そんな中軍の人間の前に無策でのこのこと現れるほど愚かなことはない。ここはしっかりと質疑応答の対策を――。
「アラン、早く行こ」
「……ん?っておい!勝手に行くな!」
あわてて駆け寄った時にはもう遅く、見事にエンカウントする。
「……名前と出身をいえ」
「……俺はアルクスだ。こいつは俺のいもう……従妹のアイリス。出身はディアムラン」
門兵はまるで信じていないかのようにアランたちを睨んだ。
「お前、戦場上がりじゃないか?」
「おいおい冗談はよしてくれよ。俺はまだ十七だぞ?」
「今はどこの国も切羽詰まっている。少年兵が配属されていたっておかしくないだろう。それに、お前の顔には見覚えが……」
流石に無理があったか、そう思っても仕方がない。もし取り調べなどされたなら本当に面倒臭いことになる。それだけは避けねば。アランはいつでも逃げられるよう身構え、そして門兵が口を開く。
「確か、アラン、だったか?メルボラスの“生き損ない”、不死身の特攻隊の副隊長。それが俺の記憶だとお前くらいの歳だった気がするが」
「手間をかけてわるい。俺はもう」
負けを確信し、アランが逃げ出そうとアイリスの手を引き、足を踏み出したところで、門兵がふと思い出したかのように言った。
「まあだが、その不死身の特攻隊とやらはつい最近掃討されたらしいからな。お前がそのアランってやつな訳がないか。まあ妹もいるようだし、通っていいぞ」
状況は一転、随分と都合のいいように転がった。しかし、なぞは残る。
――なんでただの門兵がそれを知ってる?誰かが広めたのか?
考えれば考えるほど謎は浮かんできて、とうに収拾がつかなくなる。だから急かすように服の裾を引っ張るアイリスや、急に黙り込んだアランを訝しむ門兵に全く気づかず、ただただ時間が過ぎていく。
「おい、通るなら早く通れ」
「アラン、早く行こ」
「……え、あぁ、すまん」
そこでようやく思考の海から引き上げられ、体が思い通りに動くようになった。しかしいまだに納得はいかず、蔓延るような疑問が頭を擡げる中、門を通り過ぎる。
「どうしたの、アラン?」
「いや、なんでもない。とりあえず宿を見つけるぞ」
アランは数年ぶりの雑踏の中に、足を踏み入れた。
✟
「んん〜〜………………」
「……早くしろよ」
「うるせえ!俺はこの一引きに昼飯一品がかかってるんだよ!そんな簡単に決められるわけないだろ!」
「わかった、じゃあ右がジョーカーだ。ほら、早く引け」
「……ははぁん!そういうことか!アランは愚かにも俺が焦っていると思ってしまった、だからうまく騙せると思ったんだろうが、そうはいかねえぜ!ここは右だ!」
アランの手から二枚のうち一枚が引かれる。
「は!見なくてもわかるぜ!お前の負けだアラン!無敗の名、潰えたり〜!」
場に素早く放り出されたのは二枚のカード、スペードの三と――
「そういえば、ババ抜きって反則負けとかあるのかしらね、こういうやつで」
「お手つきみたいな感じか?」
「そうそう」
「まーた見事に騙されたね」
ジョーカーだった。
「なに言ってんだよおまえら……ぁあ!!??は、え、なんでジョーカー!?まさか俺の読みが外れたっていうのか!?」
「ほら、早く引かせろよ」
「な……え……お、おおおおおう、引けよ」
明らかに焦っている相手は、場から二枚のカードを拾い、それを手に持った。片方のカードが、明らかに出っ張っていた。
「……いいのかそれで、じゃあ引くぞ」
アランからしてみれば、というか誰から見ても明らかなそれ、引っ込んでいるカードに手を伸ばし、容赦なく引く。今度こそ確認するまでもなく――。
「じゃ、昼飯一品自由なの、よろしくな」
スペードの三、ペアだった。アランは手持ちの二枚を放り出し、立ち上がる。対する相手は、残った一枚、ジョーカーを持つ手をプルプルと振るわせながら、頭を抱えている。決着はついたようだった。
「くっっっそぉおおおおおおお!!また負けたぁぁあああ!」
およそ戦場とは思えないほどの穏やかな風景で、でも確かに人は殺し殺されている戦場で、十七歳ほどの少年少女たちの繰り広げる情景は、やはりどうしようもなく平和だった。そこが血を血で洗う地獄だとしても、これも彼らの日常だった。
「だいたいアランにババ抜きで一騎打ちとかいうからこういうことになるのよ?私たちがいたらとりあえず罰を押し付けられたかもしれないのに」
そう言って呆れた様子をしているのは、アリス・ユレーナ。年は十七、水色の髪を腰のあたりまで伸ばし、少し吊り上がった目尻と、紅の瞳がどこか強気な雰囲気を漂わせる。
「てか、何が楽しくて二人でババ抜きしてんだよ……普通複数人でやるもんだろうが」
その左に同じく、レイ・ラギア。年も同じく十七、燦然と輝く綺麗な銀髪を、視界を塞がぬよう雑に頭の上でまとめており、粗雑な雰囲気が漂っている。また、とても屈強な体を持ち、腕には一際大きな傷が見えていた。
「ねえユーリ!私ともう一戦しようよ!」
その左に、チーシャ・メルローナ。年は十六。アランたちとは一歳しか変わらないはずなのに、どこか幼いところがあった。ふんわりとした金色のショートボブは、右に同じく陽の光をうけてまるで秋の畑のように、美しく輝いている。翡翠色の瞳は彼女らしくクリッとしていて、そこも幼さを感じさせる所以かもしれない。
「嫌だよ!お前意外と強いだろ!もうこれ以上俺の昼飯を犠牲にするわけにゃいかねえんだよ!」
そして先程からなにかと喚いているこの男は、ユーリ・バリウス。年は十六。鮮緑の髪はまるで、よく晴れた日の草原のような暖かさを感じさせ、無邪気なその性格とうまくかみ合っている。ここが必死の戦場でなければ、素直に育ったまま、幸せな人生を送れていたのだろうと、そう思わせる奴だった。
「ほら、そろそろ飯だ。行くぞ」
そう言って、輪の中から踵を返し、歩き始めたのは、アランだ。年は十七、赤みがかった黒髪は意外と手入れが施されているのかさらさらで、だからぼろぼろの服との差が目立った。紅の双眸は、どこか大人っぽさを感じさせ、ときおり、どこか遠くを見るように細められた。
「ええ」
「おう」
「うん!」
「ぐっ……わ、わかった」
いつまでも続くはずのないこの日常は、それでも確かにゆっくりと、記憶に刻まれていた。
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